T 行政改革の理念と目標

〜なぜ今われわれは行政改革に取り組まなければならないのか〜

1 従来日本の国民が達成した成果を踏まえつつ、より自由かつ公正な社会の形成を目指して「この国のかたち」の再構築を図る。

われわれは今、国家・社会の在り方の基本にかかわる困難な諸課題を抱え、いかにしてこれに果敢に取り組み、光輝を放つ21世紀日本の展望を切り拓くことができるかという重大な岐路に立たされている。

わが国は、近代史上、大きな転換期を三度経験している。一度目は、言うまでもなく19世紀後半、黒船の来訪に端を発した幕末、維新期である。欧米列強による植民地支配のさなか、わが国は、植民地化の脅威をはねかえすべく、封建時代の桎梏から自らを解放し、近代国家へと変貌を遂げ始める。殖産興業、富国強兵を国是としたこの国は、新たな文明に触発されつつ、順調にその国家的命題を達成し、やがて列強の一角を占めるに至る。

次なる転換期は、1920年頃に訪れる。それまでの驚異的な成長力と適応力の下に着実に近代国家への歩みを進めてきたわが国は、第一次世界大戦後の恐慌の発生と日英同盟の廃棄、そして満州事変、国際連盟脱退、二・二六事件への事態の展開のなかで、次第に軍靴の高鳴りに包まれ、やがて戦争への坂道を転げ落ちていくことになる。

そして敗戦。米軍の進駐の下、瓦礫の山を前にして、われわれは、深刻な挫折感に打ちのめされながらも、復興と国際社会への復帰への道を歩み始めたのである。その歩みの指針となったのは、新しく制定された日本国憲法の具現する、「天皇主権」から「国民主権」へ、「臣民の権利」から「個人の基本的人権」への転換であった。日本の社会は、大きく地軸を動かして、「天皇が統治する国家」から「国民が自らに責任を負う国家」へと転換したのである。この転換に伴い、明治憲法下の統治構造と社会・経済諸制度の一大変革が試みられる。

これにより、日本の国民は、戦時体制や「家」制度等従来の社会・経済的拘束から解放され、戦争の荒廃からの復興と経済的自立・豊かさを求めて一丸となって邁進した。この国は、恵まれた国際社会環境の下、欧米へのキャッチアップを国是とし、社会全体を生産競争に動員することに専念することによって、念願どおり“経済大国”を実現し、国民自身も物質的な豊かさとある種の達成感を得たのである。

しかしながら、われわれは真にかつての社会・経済的拘束から脱皮し得たのであろうか。深刻な挫折に端を発しつつも、近代史上、明治維新期に次いで、日本民族のエネルギーが白熱し、眩いばかりの光彩を放ったこの半世紀は、経済的繁栄というかけがえのない“資産”をもたらしたが、それとともに、400兆円あるいは500兆円ともいわれる膨大な財政赤字に象徴されるような巨大な負の遺産をも残し、われわれにとって過ぎ去りし時代となろうとしている。長年にわたる効率的かつ模倣的な産業社会の追求の結果、この国は様々な国家規制や因習・慣行で覆われ、社会は著しく画一化・固定化されてしまっているように思える。われわれは、敗戦の廃墟のなかから立ち上がり、経済的に豊かな社会を追求する過程で、知らず知らずに、実は新たな国家総動員体制を作りあげたのではなかったか。右肩上がりの経済成長が終焉し、社会の成熟化に伴い、国民の価値観が多様化するなかで、かつて国民の勤労意欲を喚起し、社会に活力をもたらした同じシステムが、現在ではむしろ、もたれあいの構造を助長し、社会の閉塞感を強め、国民の創造意欲やチャレンジ精神を阻害する要因となりつつあるのではないか。

日本の官僚制度や官民関係も含めた国家・社会システムは、一定の目標を与えられて、それを効率的に実現するには極めて優れた側面をもっているものの、独創的な着想や新たな価値体系の創造、あるいは未曾有の事態への対応力という点では、決して第一級のものとはいい難い。最近日本の国家・社会を襲った様々の出来事は、われわれにこのことを痛感せしめているのではないか。

故司馬遼太郎氏は、「この国のかたち」のあり様を問い、明治期の近代国家の形成が、合理主義的精神と「公」の思想に富み、清廉にして、自己に誇りと志をもった人たちによって支えられたことを明らかにした。その後の日本は、精神の退廃とそれに伴う悲劇的な犠牲を経験し、その反省の上に戦後の復興と経済的繁栄を築いたが、氏は、現代の日本に生きる個人の誇りや志の喪失と「公」の思想の希薄化を憂いつつ、この世を去られた。

いずれにせよ、しばしば日本人について指摘される、“集団に埋没する個人”といった特性は、決して日本の国民の不可避的な特性ではない。日本国憲法第13条は、「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で最大限の尊重を必要とする」と規定している。ここに「個人の尊重」とは、一人ひとりの人間が独立自尊の自由な自律的存在として最大限尊重されなければならないという趣旨であり、そのためにこそ各種人権が保障されるのである。そして憲法前文にいう、「主権が国民に存する」とは、そのような自律的存在たる個人の集合体である「われわれ国民」が、統治の主体として、自律的な個人の生、すなわち個人の尊厳と幸福に重きを置く社会を築き、国家の健全な運営を図ることに自ら責任を負うという理を明らかにするものである。

今回の行政改革は、「行政」の改革であると同時に、国民が、明治憲法体制下にあって統治の客体という立場に慣れ、戦後も行政に依存しがちであった「この国の在り方」自体の改革であり、それは取りも直さず、この国を形作っている「われわれ国民」自身の在り方にかかわるものである。われわれ日本の国民がもつ伝統的特性の良き面を想起し、日本国憲法のよって立つ精神によって、それを洗練し、「この国のかたち」を再構築することこそ、今回の行政改革の目標である。

2 「この国のかたち」の再構築を図るため、まず何よりも、肥大化し硬直化した政府組織を改革し、重要な国家機能を有効に遂行するにふさわしく、簡素・効率的・透明な政府を実現する。

上に述べたとおり、今回の行政改革の基本理念は、制度疲労のおびただしい戦後型行政システムを改め、自律的な個人を基礎としつつ、より自由かつ公正な社会を形成するにふさわしい21世紀型行政システムへと転換することである、と要約できよう。

その際、まず何よりも、国民の統治客体意識、行政への依存体質を背景に、行政が国民生活の様々な分野に過剰に介入していなかったかに、根本的反省を加える必要がある。徹底的な規制の撤廃と緩和を断行し、民間にゆだねるべきはゆだね、また、地方公共団体の行う地方自治への国の関与を減らさなければならない。「公共性の空間」は、決して中央の「官」の独占物ではないということを、改革の最も基本的な前提として再認識しなければならない。

次に、従来の行政の組織・活動原理についても抜本的な見直しを行う必要がある。物資の窮乏や貧困を克服するための生産力の拡大や、欧米先進国へのキャッチアップという単純な価値の追求が行政の大きな命題であった時期に形作られた、実施機能を基軸とする省庁編成と、行政事務の各省庁による分担管理原則は、国家目標が単純で、社会全体の資源が拡大し続ける局面においては、確かに効率的な行政システムであった。しかしながら、限られた資源のなかで、国家として多様な価値を追求せざるを得ない状況下においては、もはや、価値選択のない「理念なき配分」や行政各部への包括的な政策委任では、内外環境に即応した政策展開は期待し得ず、旧来型行政は、縦割りの弊害や官僚組織の自己増殖・肥大化のなかで深刻な機能障害を来しているといっても過言ではない。本来国民の利益を守るべき施策や規制が自己目的化し、一部の人びとの既得権益のみを擁護する結果を招いたり、異なる価値観や政策目的間の対立や矛盾を不透明な形で内部処理し、あるいはその解決を先送りしてきた結果が、最近における不祥事の数々や政策の失敗に帰結している実情をわれわれは真摯に受けとめなければならない。

こうした戦後型行政の問題点、すなわち、個別事業の利害や制約に拘束された政策企画部門の硬直性、利用者の利便を軽視した非効率な実施部門、不透明で閉鎖的な政策決定過程と政策評価・フィードバック機能の不在、各省庁の縦割りと、自らの所管領域には他省庁の口出しを許さぬという専権的・領土不可侵的所掌システムによる全体調整機能の不全といった問題点の打開こそが、今日われわれが取り組むべき行政改革の中核にあるといって差し支えないのである。

それでは、われわれは、自由かつ公正な社会を形成するにふさわしい21世紀型行政システムとして、具体的にいかなる仕組みや特性を追求すべきであろうか。

第一には、総合性、戦略性の確保である。内外環境が時々刻々変化し、時に相互に矛盾する多様な政策課題に即応し、国政全体と国際社会を見渡して、時と課題に応じていかなる価値を優先するかを総合的、戦略的に判断し、大胆な価値選択と政策立案を行うことが何より必要である。

第二には、機動性の重視である。危機管理や安全保障など緊急かつ国家的な課題への対応に遺漏なきを期するためにも、また、国政全般にわたり、政策判断の機を逸する愚を避けるためにも、意思決定を抜本的に迅速化することが重要である。

第三には、透明性の確保である。行政が公正な政策判断を保つためには、その意思決定を透明かつ明確な責任の所在の下に行うことが必要不可欠である。また、時代環境がめまぐるしく変化するなかで、行政のみに無謬性を求めることは、その政策判断の萎縮と遅延、先送りを助長することになりかねない。この際、発想を転換し、行政の失敗の可能性を前提に、絶えず政策の評価や転換、さらには官民を問わない政策の自由競争を促す環境を整備するとの視点も必要ではなかろうか。

第四には、効率性、簡素性の追求である。この古くて新しい課題の追求のためには、精神論では不十分である。市場や社会が行政の効率性を不断に監視し、効率性の確保を担保し得るシステムを作り出すことが新たな行政に最も求められている課題であろう。

こうした課題を解決するためには、次のような処方箋が考えられる。

まず、総合性、戦略性の確保という観点から、基本的な政策の企画・立案や重要政策についての総合調整力の向上などを目指して官邸・内閣機能の思い切った強化を図ることである。このことは、行政の機動性の確保にも大きく寄与するものとなろう。

また、企画・立案機能と実施機能の分離や中央省庁の行政目的別大括り再編成・相互提言システムの導入は、個別事業の利害や制約、縦割りの視野狭窄を超越した、高い視点と広い視野を備えた、自由闊達かつ大所高所からの政策論議を帰結し、行政の総合性を増進する結果となるであろう。

行政の透明性の確保の観点からは、行政情報の公開と国民への説明責任の徹底を図り、国民的視点からの公正な政策評価機能の向上が求められる。そして、企画・立案と実施の分離は、従来ややもすれば内部化されて不透明であった企画機能と実施機能の関係を外部化し、両者の相互作用を白日の下に置くことにより、これまで不十分であった政策評価の制度的位置付けを与えるものとなることが期待されよう。

また、異なる行政目的の追求を任務とする省間の開かれた論議は、行政の透明性と政策決定の責任の所在の明確化に寄与するものと考えられる。

行政の効率化の視点では、官民分担の徹底による事業の抜本的な見直しや独立行政法人制度の創設による民間能力の活用などを推進していくことが必要不可欠である。また、政策の実施に当たっては、実施主体に事業・業務実施上の裁量性・弾力性を付与することによって、利用者の便益を優先した、国民本位の行政を実現していくことが重要である。このことは、市場による絶えざる検証に行政を晒していく試みにほかならない。

なお、以上のような改革を行う際、われわれが特に留意しなければならないのは、国家百年の計に思いを致しながらも、常に時代の要請に機動的かつ弾力的に応え得る、柔軟な行政組織を編成することである。この国のわずか四半世紀の歴史が如実に物語るように、行政に求められる役割は時々刻々めまぐるしく変遷しており、半永久的な、堅牢な行政組織を構築することは、新たな硬直的行政を生ぜしめかねない。政策内容の評価を行うがごとく、行政組織についても、不断の見直しを行い得るような仕組みを組み込むことが必要不可欠であろう。

3 そのような政府を基盤として、自由かつ公正な国際社会の形成・展開を目指して、国際社会の一員としての主体的な役割を積極的に果たす。

わが国の国際的地位の向上や国際情勢の激変に伴い、国際社会が作り出す平和と繁栄の枠組みのなかで、日本が国際環境を所与のものとして受動的に行動していれば足りる時代は完全に過去のものとなった。いまや、国際社会は、この国に対し、経済的価値の追求のみを国是とする行き方を許容していないことは明らかである。日本国憲法が明確にしているように、われわれは、国際社会において名誉ある地位を占めることを希求しているが、従来それは文字どおり希求にとどまり、その希求を現実のものとする具体的努力を欠いていたと言わざるを得ない。日本の国内社会の在り方と国際社会の在り方とは別次元のものとしてとらえ、わが国の特殊性を強調し、国際社会に対して防禦的になったのがその原因の一半であった。

しかし、今後日本がより自由で公正な社会の実現に向けて努力を傾注することは、いわゆる先進立憲主義諸国との価値観の共有を強めることを意味するものである。そしてそのことは、日本が経済的な面で国際社会に寄与するだけでなく、人類が直面する新たな課題に対し独自の提案を行い、また公正なルール作りに向けて積極的に参画していく基盤が整うことを意味している。例えば、地球環境問題などについて、資金面などで寄与するにとどまらず、これまで蓄積してきた経験や技術を背景に、地球における人類の共生の在り方に関する価値体系を構想・提示し、国際社会の合意の形成に向けて努力することは、人類全体に裨益するのみならず、諸国民と価値観を真に共有することを通して国民の精神のあり様に少なからず良き影響をもたらすものである。「国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ」(憲法前文)というわれわれの願いは、われわれが多様な価値観と異なった歴史的背景をもつ諸国家の人びととともに悩み、未来を展望し、困難な諸課題に真正面から立ち向かうことによってのみ可能とされるのである。

このようにしてわが国が国際社会において新たな価値を発信し、公正なルール作りに向けて積極的に参画していくことは、われわれが日本という国家に生きることに誇りや愛着をもつことを可能にするとともに、自らのうちに多様な意見や生き方を許容する多元的な社会を形成・維持することに寄与するであろう。

かかる21世紀日本を展望するとき、われわれは、新たな叡智の広がり、すなわち学問や研究教育、さらにはわが国独自の文化の継承・醸成そして発信といった価値の重要性にあらためて思いを致さざるを得ない。しばしば日本人は独創性を欠くといわれるが、それは決して真実ではない。一丸となって画一的な競争に熱中し、豊かな経済社会の効率的な達成を追求した時代は、個人の創造性の発揮にとって必ずしも良き環境ではなかったが、国際社会を視野に入れた自由で公正な社会の追求は、日本人の知的活動の活性化に良好な環境を提供するにちがいない。21世紀日本は、学問や文化を通じての国際社会への価値の発信を最重要課題のひとつとし、研究教育環境の充実に格段の努力を傾注すべきである。

4 21世紀日本に向けてのわれわれの決意と希望

以上のような日本と世界の未来像を胸に抱き、われわれが生きるこの国と社会を少しでもその理想に近づけるように試みること、すなわち、「この国のかたち」を見つめ直し、その再構築を図ることが、今日最もわれわれに求められていることである。もはや個別の政策・制度改革のときではなく、戦後のわが国の社会・経済システム全体にわたる大転換こそが必要な時期である。

したがって、われわれが目指す行政改革は、断じて、行政改革のための行政改革、スリム化のためのスリム化、中央省庁の看板の掛け替えや霞が関のみを視野に置いた改革ではあってはならない。21世紀日本のあるべき国家・社会像を視野の中軸に据え、改革の具体像を描くこと、このことが時代がわれわれに求める使命であろう。

もとより、「この国のかたち」の再構築は、行政改革のみによって成し遂げられるものではなく、経済構造改革や財政・社会保障改革、教育改革などの諸改革が併せて実行されてはじめて実現するものである。この国の行政のありようは、長年にわたる行政と政治、行政と産業、あるいは中央と地方の関係の濃密な反映であり、これらの関係を根本的に見直すことなしには、「この国のかたち」の再構築はあり得ない。また、国会改革や司法改革も欠かすことのできない課題であろう。しかしながら、国政において行政が果たしてきた役割に照らせば、行政自らが先陣を切って具体的な改革に着手しなければならないことは言うまでもなく、われわれは、行政改革をいわば突破口として、この国の社会・経済システムの全面的転換の端緒を開かなければならないのである。

今、われわれの目の前には、「黒船」も「瓦礫」も存在しない。あるのはわれわれの意思、そして日本の将来に対する希望と勇気である。他の何者かの圧力や強要によってではなく、自らの意思によって、われわれは、勇気をもって、この大きな転換への具体的ステップを踏み出す瞬間を迎えている。


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