○:委員
●:事務局

第8回 非営利法人ワーキング・グループ

−議事録−


平成16年5月14日(金)18:00〜20:00
場所:虎ノ門第10森ビル4階

○ それでは、これでメンバーはそろったということになりますので。資料等の説明からお願いします。

● それでは、あらかじめ座長と御相談させていただきましたとおり、WG資料13の「4 事業」からということでよろしゅうございますか。

○ 今まで議論していないといいますか、ちょっと蒸し返しになるかもしれないけれども、そこからやりましょう。

● それではWG資料の13の2ページの下から2行目「4 事業の制限の要否」の部分から御説明いたします。
 まず、本文でございますが、財団形態の法人の行い得る事業については、非営利社団法人(仮称)の場合と同様、格別の制限をしないこととしてよいかというのが本文でございます。これは、当該法人が自ら掲げる目的の範囲内であれば、どのような事業を行うこともできることとしようとするものでございます。
 おめくりいただきまして、3ページの※1でありますが、これは本文と同じ意味でございます。制限しないという部分を言い換えますと、公益的事業、収益事業といった区別なく、あらゆる事業を行うことができるということになろうかと思います。
 これに対して※2でございますが、財団形態の法人の行い得る事業について、何らの制限をすべきではないかという問題意識を記載しております。資料では、「収益事業を主たる目的としてはならない」と書きましたが、このような制限をする場合には、むしろ、「当該法人には何か遂行すべき事業が定められていて、その事業に支障がない限り、収益事業をはじめとする遂行すべき事業以外の事業もすることができる」といった規制に現行法制はなっておるようでございます。資料は端的に「収益事業を主たる目的としてはならない」といった制限というふうに単純に書いてしまいましたが、そのような問題もあろうかと思います。
 社団における御議論では、「法人を設立しようとする人々の自由活発な活動を促進する」という理念ですとか、「社員に対し剰余金の分配を目的としない」という制約があるため、社団形態の非営利法人は、営利法人に比べて収益活動を中心に行う器としては不便な制度設計となっていることもあって、行い得る事業については制限をしないということで、このワーキング・グループとしての議論は一定の結論をいただいたところですが、財団の場合にも、同様のことが言えるのかといった点が問題であろうかと思います。
 また、財団について何らかの制限をするとなりますと、社団の場合にも影響してくるのではないかと思う部分もございます。なお、※2の後段に記載しました部分については、何らかの制限を求める場合には、その制限について実効的な担保が準則主義の下でできるのかどうかという点も問題として生じてこようかと思います。
 以上でございます。

○ 今、事務局から御説明がありましたけれども、財団が行える事業について、およそ何でもいいということでいくのか、何らかの制限を設けるべきなのか。「目的の制限の適否」のところで、目的については、ファミリー財団的な、あるいは家族世襲財団的なものについて制限を設けたらどうかということについて少し御議論いただきましたけれども、それとはちょっと違った次元で、要するに、この収益活動、あるいは、もっと端的に言えば、不動産事業だとか貿易事業だとかいろんな事業が考えられますけれども、財団法人ですから構造的には利益は分配しない。あるいは本来その財団の性格上は利益を分配しないので、事実、非営利なので、非営利という点さえ抑えられていれば、どんな事業でも構わないということになるのかどうかという点だけ少し改めて御議論いただければと思います。
 この背景には、実は社団にも同じ問題があるんですが、親会議の方で結構何度も繰り返し、概念的には矛盾していないんですけれども、非営利法人と言いながら、どんな事業でもやっていていいんだと、収益事業をそれこそ主たる目的にして行っていていいんだというのはおかしいんじゃないかという意見が結構何度も繰り返し出てくるんですね。そういうことも、まずは財団法人のところで御議論いただいて、場合によっては、社団法人についてももう一度詰めて御議論いただくということがあるかもしれません。背景といいますか、この点を御議論いただく理由としては以上のようなことがあります。
 これは御承知のように、財団法人を含めたドイツの法人制度と大分違ってきているわけですね。ドイツも財団法人については「経済的な財団」、「非経済的な財団」と区別しないで、財団法人に関してはおよそ何でもできるという形になっている。そこでいろいろ持株会社的なというんでしょうか、経済活動の中で積極的に財団を使うというようなことも行われている。
 それに対して社団の方は、「経済的社団」、「非経済的社団」という区別がありまして、社団については、民法上は「非経済的社団」に限定されているわけですね。現在のこの我々の案というのはその制限を設けていませんので、ドイツの社団よりはずっと広いことになります。財団と同じように経済的な活動の中でも使おうと思えば使える、そういう社団になっているということがあります。こんなことも踏まえて、これでいいのかどうかという点について改めて御議論いただければと思います。
 経済的な活動の中で財団法人を使うというのは、むしろ新しい形態として好ましいと、そういう考え方があり得ると思うんですね。どうですか。

○ ドイツでは財団法人の方が何でもやれて、社団の方が限定される。それはドイツの独特の何らかの経済的な背景とか、制度的にほかにないので、財団法人にいろいろな役割を果たさせているとか、何かそういうことがあるのではないですかね。普通は逆だと思うんです。

○ 今の御意見の背後には、ドイツの非経済的社団と同じように、本来は何か限定があるべきであるという、そういうことですか。

○ どちらかというと、そういう感じですね。

○ 日本で明治時代に民法をつくるときに、どういう規律で営利法人と非営利法人を分けるかという議論がございましたね。そのときにドイツのように事業活動、収益活動を行うものであるか否かで分けるやり方もあるけれども、それはとらなかった。ドイツでは、財団は、今お述べになったように、事業活動を行うことは自由ですか。

○ 少なくとも、それはそんなに意識しないで今まで議論されてきたんじゃないでしょうか。財団についても何かこう、財団と言っても実際上は日本の場合には公益財団法人ですから、公益性の観点から事業の内容が制限されているわけですね。ということで、一遍公益性の枠を取り払って非営利の財団というのを考えると、出てくる制約は非営利だけですが、財団は、性質上、構成員に利益を分配しないので非営利だとすると、事業のレベルでは何でもできるということになるんですね。

○ ドイツの財団は、収益活動もできるんですね。

○ それはできるようですね。

○ ちょっと認識が……。

○ それは余り今まで認識されていなかったことなんですけれども、そんなにたくさん使われているわけじゃないようですけれども、特に条文上も排除しないということです。事務局で資料は前につくられたんでしたかね。

● 第7回WGで参考資料5「財団法人制度に関する調査(ドイツ)」をお配りしましたが、条文そのものはお渡ししていないと思います。

○ 解説書も基本的にそういう理解で、財団にはいろんな財団があるということが本などには書いてあります。経済的な活動もするということです。

○ それは準則主義の下でですか。

○ 財団は単なる準則主義ではなくて、現在認証ですけどね。

● 現行法では認証主義となっております。

○ 実態として、ドイツで何でもできる財団法人として具体的にどういうものが存在して、どういう活動をしているのかちょっと伺わないと、それだけでは評価ができないような気がしますけれども。

○ 今すぐ正確には言えませんけれども、前に例を挙げたかもしれませんが、カール・ツァイス・スティフング(Carl Zeiss Stifung)というのがあって、これはレンズメーカーですよね。これはその下にいろんな事業会社を子会社にするような形でもっていて、その上に君臨するような持株会社的な財団法人があり、それは持株会社としてのいろんなコントロールもするし、同時にいろんな社会貢献などもするというような形をとっているのだろうと思います。もうちょっと準備してくればよかったんですけれども、このようなタイプの財団法人も結構あるようですね。
 それから、先ほど準則主義、認証主義の話がありましたけれども、事務局から答えられたように、準則主義ではなくては認証主義なんですが、ただ、実際の運用は、ほとんど認証しているということで、公序良俗に反するようなものだけ認証しないということなので、やろうと思えばかなり広いことができるようですね。

○ その財団法人に関する法制は、日本の民法の財団法人に関する法制と全体としてほぼ同じようなものなのでしょうか。

○ 財団法人の仕組み自体はそうですね。ただ、細かいところは各州法に任されていますけれども。

○ 公益を目的にしなくてもいいわけですか。

○ ええ。

○ 目的も何でもいいわけですか。活動だけでなくて。

○ ええ。前にちょっと問題となった家族財団と言われるものですけれども、これも公序良俗に反するわけではないということで、それも認められている。すべての州かどうかわかりませんけれども、認めている例が、少なくともバイエルンでしたっけね、あります。

● 手元の資料では家族財団の多い少ないはありますが、すべての州に存在しているようです。1財団しか成立されていないという州もあるようです。2001年の資料でございますが、民法財団9,674 のうち 、家族財団は543、全体の5.61%という割合だそうです。

○ どうぞ。

○ 十分自信はないんですけれども、収益事業を行う財団法人というのを積極的に認める事情はないんだろうと思います。私は思い当たりません。しかし、準則主義で成立というのは一応の前提になっていると思いますし、そこも実質的に考えるならば、やはり自由な財団法人という法形式の活用というのは認めるべきなんだろうと思います。認証とか、今のような許可というのを維持するべきではない。そうしますと、少なくとも社団法人である現行の中間法人タイプの財団法人というのはあってよいだろうと思います。そうしますと、事業については公益と収益という二分法をとっていますが、公益に限るとか、あるいは公益を主とするなどの制約は加えるべきでないと思います。そうすると、そこから最初のところに戻って、収益事業を行う財団法人というのは許されることになってしまうけれども、そこは今のような論理でいくと、容認して構わないのではないかと、そういうふうに考えます。
 しかし、それが有識者会議で最後の結論のところだけが受け入れられないとすると、調整をすることになると思います。

○ 親会議の方でそこがいけないとか、そういう形で議論が出るということはないと思いますけどね。ただ、結構繰り返し疑問が提起されている。社団法人の方は、公益に対する共益という概念を立てようと思えば立てられるわけですね。構成員がいますからね。その共益事業の目的のために、遂行のためにその収益活動をするということができる。そうすると、ちょうど公益法人がする収益活動の構造と似ていて、公益法人は公益事業をやる。それが主目的で、そのための財政的なソースを確保するために収益事業をする。非営利社団については共益という目的を立てて、その目的遂行のために必要な収益活動をするということで、それができる。だけど、社員がいない財団法人の場合は共益という目的を立てることが恐らくできないので、そうすると、いきなり収益事業が表に出て、主たる目的が収益事業を行うことになっちゃうということがある。
 社団法人の場合について、ここでの御議論は、共益というのを立てる必要はなく、利益さえ分配しないのであれば、収益事業を主たる目的にすることができるという方向だったと思うのですが、社団法人についてそれが行う事業に関して制約を加えることは構造的には可能なんでしょうね。財団法人ではちょっとそこが難しい。

○ 中間法人法の立法のときには、非営利性を貫徹する手法として、営利を主たる目的としてはいけないという歯止めの仕方があったんですね。だから、活動の方では抑えなかったんですけれども、財団の場合には、分配するという局面で抑えようがないものですから、活動をストレートに規制するかという話になっているんだと思うんですね。

○ 分配は、やはり財団法人というのはしないんですよね、非営利であっても。

○ 分配という概念がありませんね。

○ ないがゆえにしないということだと思います。

○ 概念がないから、実際にそういうことがないというふうに。

○ それは社団法人についても同じであって、要するに事実上の分配はいろいろな形で制約をすることになると思います。それは財団法人についても、もちろん、あってしかるべきだと思います。

○ 概念を自分でもよく整理できないんですけれども、財団法人の収益事業を限定するという理屈を考える場合に、根拠は、1つは非営利性に反するという根拠がまず考えられるんですが、しかし、そもそも今お話に出ているように、厳密な意味での「営利」、「非営利」ということはあり得ないから、だから、そのレベルでは押えられないと。それから今度は、非営利という概念をより広くとって、それは親会議での議論だと思うんですけれども、非営利をある種の公益的な色彩を帯びた概念としてとらえた場合には、それに反するんじゃないかという議論が出てくる。それは多分親会議での議論で、そこは非営利の概念を明確にすることによって整理できるだろうと思います。
 そうすると、いずれにしても、非営利によって限定できないとすると、もう一つ考えられるのは、営利法人ではないということから、営利法人におけるガバナンスを潜脱するということがないかという問題が結局あるのかなと思います。そこがこの非営利財団法人が営利という概念がないのだから何をしてもいいのかというときに、本来、営利法人であれば規制されるべきことが可能になってしまうのだったら、それはまずいだろうということかと思うんですが、それはどういうことがあるのでしょうか。

○ 論理的に概念として整理していくと、皆さん御指摘のとおり、委員のおっしゃるようなことになるんだろうと思うんです。仮に、こういったものを論理に従って認めたときに、現実に社会でどういうことが起きるのかなというのを考えると、2つ心配があって、1つは、まさに今、御指摘のように、営利的な活動を行うところが実際上の営利活動の手段としてこういう法人を使って、本来、営利法人であれば、それにふさわしい関係者の利害調整ルールとして設けられているルールをいわば潜脱するような問題が生じるという心配です。
 もう一つは、そもそも法人形態としてこういったものが認められることによって、これは古い考え方かもしれませんけれども、法人形態が濫用的に使われるおそれがないかという心配です。例えば、マネーロンダリングなんかを抑えるために、本人確認法等によって対処しようとしているときに、どんどんこういう形の法人が設立できることになれば、幾らでもそれが迂回できるし複雑になって、実際上の法の執行が難しくなるんじゃないか。それと同じように、強制執行や法人税その他の徴税の関係で、とにかく財産の集合体ということで幾らでも法人がつくれますよということになると、実際の主体とアイデンティファイすることが法の執行する側にとってみれば極めて困難にならないか。税や強制執行等の関係、それから今言ったようにマネーロンダリングのその他の違法行為をチェックする際に、社団法人の場合とどれだけ違うのかというふうに言われると思うんですけれども、社団法人であれば、最終的に構成員のところで結びつけて、マネーロンダリング等の行為を行っている主体の確定ができる。それに対し、財団法人ですと、実際の行為の主体を役員などから探っていくしかない。実際上はより法の執行が難しくなるのではという点が気になる。
 大きく言うとこの2つの点が懸念されて、前者の問題については、特に財団法人の場合は、おっしゃるように「営利」、「非営利」ということで抑えようがないんですけれども、本来であれば、私は公益目的以外の財団法人には特別の政策目的がなく、何でつくる必要があるのかという気がどうしてもしてしまいます。仮に公益目的に限るというような考えをとっていくとすると、公益性を担保する1つのチェックの方法として営利的な活動、収益活動についての限定を加えるということもあり得るという感じがしています。余りにも保守的な意見かもしれませんが。

○ 本来、営利法人であれば受けられるべきいろいろな利害調整のルールが財団法人で会社法などの適用がないために潜脱されることで、利益を害される者がでてくる可能性がある。すぐ思いつくのは債権者ですね。

○ あるいは実質的な出資者についても同じことが言えるのかもしれません。こちらの方がコストが安いから、あるいは、いろいろ使いやすいからということでこのタイプの法人に使うことになるのではないか。実質的な出資者は同じなんだけれども、出資への利益の分配は、形としては役員報酬等の形で行われるということになって、そのときの出資者間の利害調整ルールについて、合名会社なりあるいは民法上の組合なり、あるいは有限会社、株式会社で用意されている出資関係者間の利害調整ルールが働いてこなくなってしまう。役員から首になると、それでおしまいということに多分なってしまう。実質的に出資している人の利益を守るという、ルールとしては機能しなくなります。そこから逆に出資者を募る側には有利で出資タイプのも認めよという声は出てくるのかもしれません。

○ 財団法人の場合の出資は、社団法人と違って、出資するとそこで拠出者の一切の権利が切れてしまうので、ちょっと違うかもしれない。

● それでも、あえて財団形態を選ぶ出資者なのかどうかであり、財団も簡単につくれるかどうかは財団のガバナンスその他のルールをどのように仕組んでいくかということにつながるのではないでしょうか。有限会社の場合は、恐らく取締役を一人決めればそれだけでよいのだろうと思います。とはいえ、そういう御指摘の懸念もあるのは間違いないと私も思いますものですから、ガバナンスその他でどのような対処をすればいいことになるのか。それでも、やっぱり結局何人か集めて社団になればいいだけだと考えてしまえば、御指摘の懸念は払拭できないとも、同時に思うんですけれども。

○ 繰り返しになるかもしれないけれども、委員が心配されている第1の点は、本来、財団法人のガバンナスの問題として解決すべきです。ただ、利益をあげることが財団の目的だとすると、実際上その利益をどういうふうに使うかについての利害がより複雑に対立しているので、問題が大きいという御指摘なのだと思います。今日こういう形で御議論いただいたわけですが、究極的には、財団法人というものの範囲を、委員が言われたように、やっぱり公益的にものに限定すべきなのか、広くとるのかという、基本問題と密接に関係しています。

○ 今おっしゃったことは特に反論いたしませんが、最後におっしゃった点は置いておいて、マネーロンダリングを具体例とするような違法行為、それは恐らく理事者に対する制裁を十分に用意することによって、社団法人の方も、社員を最終的な責任のよりどころとするのではなくて、恐らく理事者だろうと思いますので、その点については財団法人も同じなのではないかなと思います。

○ 最終的な利益の帰属主体がわかりにくくなるということだと思います。それは当然、税法で一番ストレートに出てくると思うんですけれども、マネーロンダリングも、この資金は結局誰のところに行ったのというのが非常にわかりにくくなると思うんですね。

○ これは事業活動を制限しようというやり方ですね。中間法人のときもそういう議論がありましたが、最終的には、それは規制としては厳しすぎることと、そういう規制をしたところで、実効性を担保する制度が考えられないということで断念したということがあります。同じテーマだと思います。営業活動自体を制約するというのはなかなか難しいかなという気はします。

○ 私は財団のときは、むしろ親委員会の問題かもしれませんけれども、結局、公益性のところで抑えて、公益タイプ以外にどれだけ必要性があるのかと、どうしてもその議論に戻ってしまうんですね。そちらの方で抑える方が確かに法技術的には賢明かなという気がします。

○ ニーズという観点から言いますと、今まで準則主義で設立できる非営利の財団を認めろというのは余り聞いたことはないですね。

○ そこまで強い要求はないかもしれませんね。ただ、公益の範囲におさまらないような財団をつくりたいというニーズはあるかもしれないですね。前にもここで議論しましたが、例えば社員のための福祉施設とかですね。

○ 大きな構造体というのは、社団法人の形をとるよりも、財団法人の形をとっている方が財産管理の点で言えばよろしいんじゃないでしょうかね。同窓会として何か打って出るみたいなものがありますと、それはやはり社団法人形式でちゃんと社員の総意でということになるかもしれませんけれども、比較的保守的なというか、余り大きく動かなくていいようなタイプのものであるならば、公益は古い時代の公益法人行政では可能だったと思いますが、今では考え方としては、同窓会と公益性というのは弱いだろうと思いますので、そういうものというのはあるんじゃないかなと思います。

○ そうしますと、公益を目的とするという前提をとらなかったとすると、なぜ財団が収益活動をしちゃいけないのかという根本が問題ですね。財団をつくって法人格を取得した上で、収益活動をして財産がたまりますよね。出ていく蛇口の方は、今まで公益法人でしたら良いことに使うからということで理解されていたと思うんですが、今度は、財団法人の目的如何で蛇口がどこの方に流れていくか分からない、場合によっては私益でもいいということになったときに、これが問題になってくるんだと思うんです。収益活動で財を貯めている、その貯めたものの使い方がよければいいけれども、その保障がないから問題になるわけですね。

○ 保障がないから何が問題かということだと思うんですよ。ですから、なぜいけないかなんです。

○ 活動して財産を貯めることがどうしていけないのかということですね。

○ 貯め込んで、その蛇口がどこに行っても構わないということがなぜいけないのかなんですね。それではいけないという理由がないんじゃないかということだと思うんです。

○ それは多分国によって異なり、法人を否定的に見るか否かに係ってくるのでは・・・。

○ 理念的な問題もあると思いますが、法技術的に考えたときに、もしいけないとすれば、さっき申し上げたように、営利法人でやるべきものを、こういう形でやって規制を免れるというのが適当ではないのではないかということは1つ思いついたんですが、それ以外に何かあるかということなんです。

○ 私がさっき申しましたように、それにプラスして最終的に誰に利益が帰属するかわからないようなところに利益がプールされるような仕組みができて、各種の法の執行が実効性が低くなるような可能性のある制度をつくることが、それ自体として問題になり得るのかという、その辺が気になるんです。

○ 中間なのかもしれないけれども、委員が言われたような同窓会とか、それから、さっきの社員のためとか、なかなかそれをうまい概念でもって括れないのが苦しいところですけどね。そういうものに使われるのであれば恐らく構わない。

○ もう一つ、公益性が古い考えでということを委員はさっきおっしゃったと思うんです。前回先生が欠席されたときに、公益性を一体どこで抑えるか前回随分議論になりまして、そこの方で柔軟性を持たせた方がよいのではないかと私は思っています。

○ わかりました。

○ 同窓会なんかも広い公益ですね。

○ そうそう。

○ 切手収集家の会というのもいい、構わないということですか。

○ あと、その上の公益法人の制度の方で抑える場合は、活動の事後的なチェックをかけることもできるわけです。ここでの議論で指摘されているように公益性のチェックを担保する制度をつくるかということ等も併せて考えないといけないわけですけれども、単に法律上できるできないと書くだけだとすると、それこそ皆さんおっしゃるように、あんまり実効性がないので、むしろ上で公益性の方で抑えて、公益法人としてほんとに公益的な活動をしたかどうかをレビューするような制度を上の方で設けることになると思うんです。その方がまだ実効性のあるチェックになり得るのではないでしょうか。

○ 同窓会のような活動は、本来はそれも広い意味での公益性に入っていいと思うけれども、こうした活動は、狭い意味での公益性を標榜する団体について要求される公益性の観点からのチェックと同じような厳格な規制が必要とは思えません。同窓会の活動についてレビューをしたり、チェックしたりするというのは、利益が変なところに行かないようにという意味では必要かもしれませんが、あんまり多すぎる規制があるのはよくないと思います。狭い意味での公益の周辺部分は、比較的自由な活動が許容されるのではないでしょうか。

○ 正直言うと、最近NPOで問題になっていますね。一部の暴力団がそういうのを使って不当な活動をしているとか、そういうことはチェックできるような何らかの仕組みがビルトインされている必要があるのではないかという気がするんです。

○ 暴力団が株式会社をつくっても、株式会社はおかしいと言わないわけです。

○ それは商法58条で解散命令の制度がありますし、非営利法人という名前の下で不当な行為がなされること自体に問題があるかもしれません。

○ ですから、そこは何かニュートラルなんじゃないかなと思うんですけどね。

○ 社団法人のことで考えると、社団法人の活動が何でもいいとしますと、収益活動でたまった財がどこに流れていくのか分かりませんよね。そうすると、特段問題にする必要ないのかもしれませんね。

○ 社団法人の場合は非営利性ということがありますから、少なくとも非営利性に反するということはできないということで抑えがきくんだろうと思うんですよ。ところが、財団法人の場合は、その非営利性というのがないものですから、それで何でチェックすべきかということだと思うんですね。

○ 営利を主たる目的としないということで自ずから活動も制約されるんでしょうかね。

○ 社団法人の場合は、構成員に対する分配がないということで、実質的にそれを分配してしまうようなことはよくないだろうという方向からの抑えを考えていけると思うんですが、財団の場合には、そもそも非営利性という概念がないからそうはいかないと。

○ しかしそこは、実質出資者に対して配当類似のような形で、財団で挙がった収益を分配するというようなのは、やはり封じられるべきなんだろうと思うんです。

○ そこだと思うんです。そうすると問題は、財団における非営利という概念を新たに定立する。それが実質的に出資者あるいは役員に帰属させるというのが非営利だというふうに定義すれば、それはあり得ると思う。しかしそれは、今日の資料の13の1ページの一番下の※印のところに、そういったことが提案されているのだと思うんですね。それについて委員から意見が出ているようですけれども、これはやっぱり本来の非営利ということとは違うんじゃないかということだと思います。

○ それは本来の非営利とは違うけれども、財団法人における利益の使い方についての規制みたいなもので、定義の問題だと思いますけどね。

○ まさにそうでして、ですから、財団法人における新たな非営利概念というのをここで考えていって、実質的にそういうことがないようにすべきだという方向で制度を組み立てるということは可能だと思うんです。

○ そこは皆さん一致できそうですね。どういう概念を立てるかは別として、委員も、非営利という概念からはおかしいけど、こういうのは好ましくないということで規制することは構わないということですね。それから、仮に何をやってもいい、財団法人の場合には、今のような関係者に利益を分配するというものはだめだけれども、それ以外であれば、どのように利益を使ってもいいと、本当に言い切っていいのかということですね。実質的な意味での非営利の要請は財団法人にも求めることになると思いますけれども、それさえ守っていれば、あとは社団法人と同じで、収益事業はどんなものでも構わないということになりますか。

○ 実質的には、委員の御懸念というんでしょうか、それは私はある意味で当然だというふうに今まで思っておりまして、非営利社団法人でもできないことを非営利財団法人で、かえって財団であるがゆえにできるというふうにする必要はないし、すべきでもないというふうには思います。その上で先生のお考えは、財団法人の方がもっと手足が縛られていいんじゃないかということなんだろうというふうに承っております。

○ 非営利の社団でできないことというのは、例えば何ですか。

○ ですから、それは事業のレベルではなくて、利益の処分の仕方なんじゃないでしょうか。

○ そこは社員に対する分配という形ではできないというんですね。

○ そうです。

○ それは財団だってできませんでしょうね。

○ そして、それをそういうふうに杓子定規に言うだけでなく、実質的にも社員がいないから分配できないんだというだけでなく、社員に当たるような者がいたとして、ですから出資者なんでしょうね。寄附行為をした人、あるいは財団にデットの基金みたいなものができるのかどうかよくわかりませんが、そういう人たちに対して、あたかも配当するかのように利益の部分を分配するというのは、それもどういうふうにするかというのはそう簡単ではないかもしれませんが、しかし、容認すべきでないという考え方は、私はとっていいんだろうと思います。

○ 社団でできないことが財団でできる、その違いがちょっとよくわからなかったのでお聞きしたんですけれども。社団の場合でも、事業活動の一環という名目であれば幾らでも財は流れていくんですね。社員に対して持ち分に応じた分配というのはだめだけれども、実質上、事業活動の名目をとると、相手が社員であってもいい。そういった意味では財団も社団も同じ。

○ 後者の部分は、委員も恐らくしょうがないというふうに考えると思いますけれども、前者の部分ですよね。社団法人との比較で言えば、財団の活動に決定権を持つような者に、恒常的に利益を分配するようなもの、あるいは利益を流していくようなものはだめだということになるんじゃないでしょうか。理事はもちろんその典型だと思う。

○ ただ、そのルールをエンフォースするのは極めて難しい。

○ それは社団法人も同じでしょう。

○ だから、社団法人を含めて、ほんとは両方一緒で、社団法人で事実上可能だから財団法人でも認めていいという毒皿というのはちょっとどうかなという気がします。

○ そうすると、社団法人の毒ですかね、そちらは仕方がないというのが委員の立場だとすると、それはやはり社団法人の方は必要性が相当程度あるからということだと思います。財団法人は……。

○ ほんとは社団法人だってきちんと抑えなきゃいけないと思うんです。

○ 財団法人の問題点というのは、さっき営利法人の潜脱ということを申したんですが、それだけではなくて、社団法人の潜脱もあり得るということですね。

○ 非営利の社団法人で潜脱されて困るのは、まさに利益を分配する部分についてで、結局、営利法人に関する諸規制の適用を受けないで、営利法人と同じことをするのは困るということなのだと思いますが。財団法人では他に特有の問題がありますか。

○ 2つあって、営利法人におけるルールを潜脱するというのと、それから、社団法人においては非営利の概念がある。その非営利の概念を財団形態をとることによって潜脱すると。

○ さて、なかなか決着つかないけど、やっぱり公益の問題といいますか、今日の総論の中の1とか2とか、あるいは3、今、4のところを中心に議論していただきましたけれども、それ以外の部分とどうも密接に関連してきて、また繰り返しになるのかもしれないけれども、やっぱり中間的な財団というのを認めていいのかどうかが焦点になります。これはある程度政策の問題でもあると思うので、理論だけでは解決できないと思いますけれども、この点についてもう少し御議論を続けていただきましょうか。
 この点については、何か事務局の方から追加して説明する点がありますか。

● いいえ。資料にお書きしましたとおりでございます。

○ 第1の1、2、3のあたりに戻って議論を続けてよろしいということでしょうか。

○ はい。

○ まず第1の1の(1)(2)(3)なんですけれども、これはそれぞれ改めて考えてみるとよくわからないところがありまして、まず、(1)で財産処分の自由ということが書かれていますけれども、その内容が必ずしもよくわからない。財産を自由に処分できるということと、それによって新たな法制度を設ける、あるいは新たな物権的な効力を持つ制度を設けるということとはちょっと違うんじゃないかという気がします。
 それから、(3)の方で、当然1階部分が必要ではないかということですが、これは現行法人の移行の問題と、新制度の設計の問題とは区別すべきではないかという気がします。現行法人の移行に当たってどう受け皿を設けるかということは考慮すべきですけれども、新制度の場合には、財団については、いわゆる1階建てでも不可能ではないだろう。そうすると(1)と(3)はどうも決定的な理由ではなくて、強いてとるとすると(2)に根拠があるんじゃないか。(2)は多分政策的なものであって、結局どの範囲で非営利の財団法人を認めるかというのは、政策的な考慮かなという気がするわけです。

○ そんなに異論があるわけではないんだけれども。

● 1の(1)については、こういう言い方はおかしいんでしょうか。財団法人制度があると、そういう処分が今までできなかったものができるようになる。今までは公益を目的としてしか自分の意思に拘束された財の使われ方というのはできなかった。ですが、今度は公益を要件とせずに公益以外、公益以外とすると広がるということがもちろん前提になっているんですけれども、そういった目的のもとに財を拘束した使われ方ができるというタイプに、自分の財を投入するというのは財産処分の自由の度合いが増えるとは言えないんでしょうか。

○ それは結果として、そういう制度を設けることによって財産処分の自由が拡大するということは言えると思うんです。しかし、財産処分の自由という理念があって、だから、論理必然的に新しい制度を設けるべきだということにはならないのではないかと、そういう趣旨です。

● なるほど。もともと自由の中にそれが入っていてということで、あればいいんだろうけれども、そうではないだろうということですね。ただ、そこはどっちが先で後なのかをいま一つわからないんですが。

○ 財産処分の自由というのは、ここでは少し広い意味で使っているんだと思いますけどね。ただ、自分の財産をこういう目的で使いたい、使ってほしいという形である種の拘束をかけたいというか、自分の意思に従った処分をしたいというときに、そういうための制度があるといいというので財団法人の一つの意義であるという位置づけです。信託もある程度同じですけどね。そういうふうに理解すれば、財団法人制度は財産処分の自由を保障する制度の一環だというのは、そんなにおかしいわけではないと思いますけど。ただ、財産処分の自由から必然的に財団法人制度を広く認めなければならないということが出てくるわけではないというのは、そうだと思います。

○ 「一環として」というのには、両方のニュアンスが入っているんだと思いますね。例えば、跡継ぎ遺贈は財産処分の自由だから当然認めるべきかというと、そこでまた相続法のルールとのぶつかり合いがあるわけです。しかし、仮に跡継ぎ遺贈を新しい制度をつくって認めたとすると、それによって自由が増すであろうと。それは財産処分の自由があるから跡継ぎ遺贈を認めるべきだということになるわけじゃなくて、跡継ぎ遺贈を認めたら自由が増すと、そういうことではないか。跡継ぎ遺贈を認めるべきかどうかは、ほかの理念との検討の中で決定すべきことではないかということです。

○ 跡継ぎ遺贈のレベルじゃなくて、遺贈という制度を認めるかどうかというレベルなんじゃないですか。財団法人の中身をどういうふうに制限するかとかというのは、また次に出てくる問題です。

○ ただ、現行法の下で、跡継ぎ遺贈については無効説が多いと思うんですけれども、ですから、その意味では、現在は自由が制約されている。

○ 跡継ぎ遺贈についてはね。

○ はい。それを認めると、その自由が増えるわけですけれども、先に自由があるから跡継ぎ遺贈を認めるというのとはちょっと違うんじゃないかということなんですけれども。

○ 跡継ぎ遺贈という遺贈の具体的な利用方法になると問題がありうると思うけれども、ここでは、ある種の財団法人というのを制度として認めるかどうかというレベルの議論だとすると、具体的な跡継ぎ遺贈に行く前のもう一つ前の段階の遺贈という制度を認めるかどうか、そのレベルの議論ではないかと思うのですが。こう考えてよければ、遺言とか遺贈という制度は、まさに自由な財産処分の一環として、認められる制度であり、同じ理屈で財産法人についても議論できないかと思うのです。しかし、どんなに理念的には望ましい制度でも、それが濫用されると困るので、遺贈の中にもこういう遺贈はいい、こういう遺贈はだめだと、そういう限界ないし規制はかぶってくる余地はある。このように、遺贈や遺言という制度が財産処分の自由を支えるといいますか、それを促進する制度と位置づけられるという点には異論がないとしても、一定の限界はある。それと同じような意味での財団も、基本的には財産処分の自由を進める制度として位置づけることは可能ではないかと思ったのです。

○ 余り実益のある議論とは思いませんけれども、遺贈、遺言に対応するのは法人制度というレベルじゃないですかね。

○ 社団法人は違う理念に基づいています。財団法人は、まさに自分の意思に基づいて、その意思に従ったような使われ方をしてほしいという意図から財産を処分する点に財団法人の意味があると思う。

○ あるいは信託。

○ 事務局のペーパーの後押しするようなつもりはないんですけれども、今までは公益目的が必要で、何かいいことのために使うから財産の提供に恩典を与えると。しかし、もともとの財産というのは個人の自由に使えるはずなので、出した財産が必ずしもいいことだけに使われなくても構わないはずだという意味では、個人の財産の処分権と関連づけられるという気もするんですけれども。

○ 関連することはもちろん異論はないんですけれども。

○ 必ずしも公益性がある場合に限定しなくてもいいという理屈の1つになるんじゃないだろうかという気がするんです。

○ (1)に反対しているわけじゃなくて、その結果として自由に増えるということについてはそのとおりなんだけれども、しかし、自由があるからそう行くべきだというのとは違うんじゃないのか。それはむしろ(2)の政策的な判断であって、その結果認められると、財産処分の自由が増えますねという関係ではないかという意見です。

○ 委員が言われたように、政策的な部分もあるかもしれないが、財産処分の自由があるから、というと委員のご意見と違って言い過ぎになるかもしれませんが、非営利の財団法人を積極的に支える理念として、財産処分の自由というコンセプトが使えるかどうかというところが一番のキーポイントなのではないでしょうか。
 しかし、どの程度処分の自由を認めるかは政策の問題であるということもわからないではない。そして、もし政策の問題であるとすると、非営利の目的のためにも自由に財団法人を設立できるようにすべきことを財産処分の自由で説明しようとするのは難しい。委員の言われているのは、そういうことですね。非営利一般ではなく、公益の目的のために財産を拠出して、それを活用する器として公益財団法人という制度を設けるべきであるという議論は、財産処分の自由から正当化できるのでしょうか。それとも、公益目的であっても、同じことで、財産処分の自由からは正当化はできないということになるのだろうか。

○ 次元が違うような感じに。

○ 公益性の問題がね。

○ はい。

○ 財産処分の自由を実現する1つの手段として使えるということではそうなんでしょうけど、ただ、財産処分の自由は無制限かというと、そうではないわけですから、先ほどのまさに遺贈の例に出てきます。ですから、この法人という自由を実現するための1つの手段を認めることによって、そういった弊害というか、本来、財産処分の自由について与えられている制限を逸脱するようなことがないようにやれるかどうかということは、やはり検討しておく必要があると思います。今の遺贈の制限の脱法に使われないようにしておかないといけない。
 その際に、さっき委員がおっしゃったように、かつては仮にそういう懸念があり得るにしても、公益目的であれば、それをそれほど神経質に見なくていいということがあったのかもしれませんけれども、仮に公益目的を要求としない、こういう財団形態を認めるとすると、財産処分の自由について別の視点から与えられている制限について、この制度を認めることによって問題が生じないか。問題が生じるとしたら、仮に制度を認めるにしても、それに対する歯止めがこの制度自体の中でうまくつくれるかということは検討しておかないといけないと思うんです。

○ 財産処分の自由ということでいえば、公序良俗に反しなければ、財産処分というのは本来自由にできるべきで、そういう脈絡で考えると、財産処分の自由は、非営利の財団法人というのをそう強くは支えないかもしれないけれども、少なくとも、それを正当化する1つの根拠になるのではないでしょうか。

○ ただ、公序良俗には限らないんじゃないですか。さっきの遺贈みたいに、それこそ強行法的ないろんなルールがある。

○ 確かに、そういう強行法規的なルールで守ろうとして価値との調整は必要かもしれませんね。関連する価値にはいろんなものがあって、前から議論になっている家族の世襲財産みたいな形で財団法人が使われると、これは、デモクラシーとか、その他別な要請からくる限界とぶつかって、財団法人を正当化する論理はそういう制約まで乗り越える自由を与えるわけではないかもしれない。そういう制約はあるのは確かですが、しかし、私としては、公益に限定しなくても構わないだろう、その根拠としてやはり財産処分の自由というのが根拠になると考えたいですね。

○ あと、論理的に確かにここで検討しているようなことは問題になり得るし、論理的な可能性としては公益目的でない非営利財団法人の制度をつくるということも価値があるかもしれませんが、ほんとに国全体としてそういうニーズがあって、国会の方で受け入れてくれるのか。こういう作業を続けていく価値がどれだけあるのか、少し懸念を持っています。

○ 公益性の概念というのをどこまで広くとらえることができるのか、という問題と非常に密接に関係しているんじゃないでしょうか。同窓会みたいなものが、伝統的な公益性概念から排除されているのが、問題なのかもしれない。公益の中にもいろんな段階があって、広い意味での公益でとらえられるものと、狭い意味での公益に入ってくるものとがある。そして同窓会のようなものが広い意味の公益の中で拾えるのであれば、その広い範囲の公益性に入る場合に財団法人の設立を限定するという立場もそれほどおかしくないかもしれない。

○ さっき委員がおっしゃった広義の公益概念を設けるというのは、私もそれが現実的かなと思うんです。ただ、その公益概念をただ広げてしまいますと、公益の認定に伴ういろんな効果との関係で逆に広げにくいかなという気もします。特に租税と結びつくときに、そこが広げにくいだろう。そうすると今、おっしゃったように、公益2段階論というか、認定されるべき公益と、それからプラスαを何か考える。その2種類の財団法人ということだったら、それほど弊害がなくつくれるかなという気はしますけれども、多分、委員もそこら辺だったらいいとおっしゃってくださるんじゃないかと思いますけれども。

○ 逆にさっきの先生のようにドイツのような制度を考えて、積極的に収益でも何でもできる財団法人といった制度をつくる方が社会にとってプラスになるんだということでしたら、ドイツなんかの例で、こういうメリットがあるということをお示しいただいたら、それは大いに検討の価値があると思います。ただ、ちょっと実態がわからないものですから。

○ 私もその方向をそこまで強くサポートする意味で言っているわけじゃないので、十分に説得的な議論はできません。だけど、メリットが示せるのであれば、財団法人の設立を広く認めてもよいのではないかと思います。

● 今の広い公益と結びつけた財団制度であればよいだろうという場合の公益と法人格の結びつけ方、言い換えれば準則主義がどうかという問題なんですけれども、準則主義だとすると、理念的に公益又は準公益と言ってみたところで、かえって、むしろ私は害悪があるんじゃないかと思うのです。つまり、この法律に基づく財団というのは公益目的なんですと。だけども、準則でつくれるわけですから、現実には誰でも何でもする可能性があるわけです。それこそ、公益の名の下に何でもできる方が何かよくないんじゃないかと思うのですが。

○ それはまさに上の有識者会議で議論しているところで、公益の名の下に何でも行われないようにする、何らかの認可制以外のシステムを考えようということを有識者会議でやっているわけで。

● 広い意味の公益も有識者会議で検討中の担保システムと結びつく、そういうことですか。

○ それを前提にしていると私は思っています。

○ ただ、あんまり強い規制をするのではなくて、例えばイメージとしては、チャリティ委員会みたいなものを設けて、そこに財団設立を届け出ることにし、それによってチャリティ委員会が一般的には権限を行使できるような体制にはなっているけれども、実際上は、それ以上の強い規制はしないといったことが考えられます。要するに、規制の段階にもいろいろ段階があり得ると思うんですね。非営利ないし広い公益の財団法人については、狭い意味での公益財団法人と同じような厳格な規制をかぶせることになるのは、行き過ぎではないかと思います。

● 今の点に付け加えてもう一点だけ気になる点がありまして、2階といいますか、何か担保システムがあったとしても、法人格と結びつかないと意味があまりないのではないでしょうか。つまり、上での認定は取り消された、これはいかんと、広い意味での公益にも入らないと言われても、法人格として残ってしまうのでは結局意味がないのではないかという疑問もあるんですけれども。

○ それは当然エンフォースメントとして……。

● 解散まで行かせられますですかね。

○ ものにしないと実効性がないと思います。

● ただ、公益がなくなったときに解散させるとすると、もうそれは、会社における解散命令とは別のものとなりますが、そこが一体どのようなものとなるのかという気がいたします。

○ あるいは現在の制度で言えば、一定期間活動していないときは……。

● 休眠法人のみなし解散に関する規定は、社団も財団も理事に任期制度があれば可能です。

○ 同じように何らかの形で。

● 休眠法人の整理に関する歯止めは、むしろ準則主義の法人についてはやらなきゃいけないことだろうと思っていて、それは広い意味での公益があるとかないとかという議論以前に、以前というのはよくないかもしれませんが、それと同時にやらなきゃいけないことではないかとは思っておりますけれども。

○ 法人の設立要件が満たさない状況になったというふうに考えるのだから、それは何かエンフォースメントが必要なんじゃないでしょうか。

● そうすると純粋の準則主義では多分なくなるのではないでしょうか。

○ 準則主義の下でもあり得るのではないですか。

○ あり得ます。

● つくるのはいいけれども、でも結局、公益性がなくなったら解散させるという話ですね。

○ 一定の事由が発生した場合には解散事由になるということです。

● 解散命令と同じものであれば、準則法人たる株式会社にもあるわけですから、それは私もよくわかります。

○ そういう形で準則主義との調整はすればいいのかもしれないね。

● 必ず解散させなきゃいけないというのは、実際問題すごく大変な気がいたしますけれども。

○ 設立の今のイメージ、十分ついていないんですけれども、設立は準則主義でやって、そして何か……。

○ 解散事由になるんですよね。

○ 解散事由にチャリティ委員会のようなものが認定しなかった、あるいは不適格と認定したということが解散事由になるということでしょうか。設立はできるけれども、設立には瑕疵がなかったけれども、そういう認定があるとだめになるということですか。

● そうすると、最初から認定をとっておかなきゃいけないことになりませんでしょうか。

○ どこら辺が問題になりそうですか?

○ 一旦つくって、要するに認定がとれるようなものでないと生き延びていかないわけですよね、実質的に。そうすると、形は準則主義を維持していますが、やっぱり実質的にある種のそれ以上の形をとっているということになると思いますし、例外的に不適格とかというのが出てくるのであればいいのかもしれませんが、そうでないとすると、成立はして法人一旦つくって、そこを帰属点として様々な法律関係ができ上がっているのに、認定が得られなかったから解散しましょうというのは、何か制度として混乱する要素を含んでいる。

○ 登録主義をとっている法人については、それは普通でしょう。一定の法律の要件を満たして登録すれば、それで事業を始めることができて、登録の取り消しという制度が設けられていて、違法行為等があったときには、登録の取り消しをすることにして。

○ 法人はだめになりますか、法人格自体。会社が貸金業を営むとかそういうことになるんでしょうか。今おっしゃっている登録制というのは、貸金業ができなくなるかもしれませんが、法人格としては株式会社として残りますよね。

○ アメリカの公益法人は、別に何も許認可がなくてでき、ただ、法令違反があった場合には、司法長官が解散請求や理事の解任請求をするということですね。そういうシステムもないわけではないですけれども、果たしてそういうシステムが日本にふさわしいのか疑問であるという気がします。

○ 法律構成というか、ロジカルにはあり得ると思うんだけれども、委員がむしろ心配されるのは、準則主義で設立されるために、後で取り消されるかもしれないような法人が入り口の段階でたくさん入ってくる可能性があると。数の問題ですかね、あるいは実際的な影響の問題でしょうか。

○ 恐らく、実質そういうルールをつくるならば、最初のところで準則ではなくて、その認定を申請して、認定が得られれば、法人格が付与されるという制度の方が、ほかのことをいろいろなしがらみというんでしょうか、いきさつを考えなければさっぱりしたというんでしょうか、余り……。

○ まさに政策の問題として、あらかじめ制限せずに自由にやらせるけれども、やった後、変なことをやっていたらやめさせますよという制度に移行しようというのが、まさにこの全体の……。

○ 変なことというのは、やっちゃいけないことをやったらだめというよりも、何かもう少しこの中に入っていないとだめということですよね。

○ 事前規制。

○ まさにそれは、仮に広い意味での公益性みたいな要件にしようということになったときに、設立の準則主義をとるか、あるいは認証主義的なものにするかというのは、親会議のほかの議論とも関連することになるので、そちらに任せればいいんじゃないですかね。

○ はい。

○ ほかの点、1の「総論」のところはいかがでしょうか。

○ 目的の制限について、家族世襲財団の設立がよくないのではないかという議論の中で、前回、委員から、そんなことを言ったって社団法人でもできるじゃないかという御指摘をいただいて、社団法人と財団法人とどこが違うのかという、たしか問題提起があったと思います。それで考えたんですが、財団法人の場合には、社団法人と違って、1つは遺言で設立できるということがあるだろうと。それから単独でできる、これは社団法人に社員1人でもいいということになれば同じになるかもしれませんが。それから3番目に、財団法人の場合ですと、設立行為を取り消すと財団が消えてしまうということになりますが、社団の場合ですと、脱退して、しかし法人は残るという解決があり得るだろうと。それから4番目に、社団法人の場合は社員が死亡するということによって法人が動いていくという流動性が考えられるけれども、財団法人の場合にはその可能性がない。そういうことが違いかなと思いました。
 それから、社団法人との違いというわけではないんですが、財団法人の場合に考えておくべきことは、やはり相続法との関係を詰めて考えておく必要があるんじゃないか。もしつくるとなると、そこをきっちり考えておく必要があると思いました。同時に、財団法人については相続紛争になる可能性があり得ますので、逆に言うと、相続人間の争いで財団法人が規律に違反しているということが示される。それによって相続人がモニタリング機能を果たすということがあり得るんじゃないかというふうに思います。
 以上、前回の委員の御発言に触発されて考えてみました。

○ 財団法人の場合と社団法人の場合とで、言われたような違いがあることは確かのような気がするけど。

○ とりあえず、課題を整理したというだけで、別にだからどうこうということでは今の段階ではありません。

○ 社団法人の場合であれば、事実上そういう家族世襲財団のための法人がつくられても、それはそれで弊害はあるのかもしれないけれども、流動性という観点からいえば、財産の固定化は生じにくいが、財団法人の場合はそうではないので、問題が大きいということですね。

○ 脆弱だということですかね。社団法人でやろうとすると脆弱で、財団法人は相当強固なものができるので、その趣旨が適切でないとすると、社団法人の場合は脆弱であるがゆえに、余り心配する必要がないけれどもというふうにまとめることができますか。

○ そうですね。

○ この問題は、公益性を仮に広くとらえるにせよ、それを要求するようになると自ずと解消する問題ですか。

○ 一応今、備忘的に申し上げただけです。

○ 日本の公益法人に関する現行民法72条が残余財産の帰属をあらかじめ指定できるとしていること自体が極めて緩いんですね。たしかイギリスなんかは同じ目的にのみしか使えないとされています。

○ イギリスはそもそも非営利法人というのはないですね。非営利法人の一般法がないですね。

○ 普通のカンパニーズアクトの中で非営利のものもカバーしております。

○ カンパニーアクトの中で公益活動をする法人を設立したときに、そのときの公益性の要件として残余財産の分配に関するルールを用いて……。

○ 本来の類似の目的にしか使われない。

○ イギリスの場合はチャリティですから、チャリティを通しての目的でしか残余財産は使えないことになるんですね。フランスの場合は、出資額という限度額で抑えられていますけど、残余財産は戻せますし、ドイツは限度なく戻せますので。アメリカも、、一定の条件があるみたいですけれども、残余財産は戻せるという形になっていますね。

○ アメリカの法人法制は州法ですが、個別の州法レベルでは残余財産は拠出者に戻すことを認めるところもあったように思いますけどね。州法だから、全部の州で同じじゃなくて州によって違うと思いますが。たしか雨宮さんの御著書にそんなことが書いてあった。民法72条はそれなりに合理的な内容であるという気がします。ただ、現在の主務官庁の実務は、残余財産を拠出者に戻すようなものは一切だめだという運用をしているので、ここで新しい考え方を主張しても、なかなかそれが現実に通るのは難しいというところがあります。

○ 中間法人は社員総会の決議で残余財産を戻せますし。

○ 中間法人は、規制しても実効性がないからという理由が強かったと思うんですね。公益法人については、これは政策的な判断で、今、先生がおっしゃったように、民法制定の際も、信託法制定の際も、残余財産を戻せるようにするべきかどうかということで議論がありました。むしろ残余財産を戻していいじゃないか、それによって設立者がある一定期間だけでも、公益のために利用するということを積極的に推進していいじゃないかというのが民法と信託法のもともとの考え方で、それは十分あり得ると思うんですね。ただ弊害があるというので、結果的には抑えられているんですが、当然にだめということにならないんじゃないかという気がします。

○ この問題は親会議の方でまた議論しなくちゃいけないことだと思うけど、本当は残余財産を戻せるタイプがあっていいと思うんですね。この点の規制が厳しいのは、委員が言ったように英米系なんだと思いますけれども、アメリカの公益法人については詳しく知りませんが、信託に関しては最初は公益の目的で信託財産を運用し、しかし一定期間後には、私益のための信託に切り替わるということを認めています。こうした扱いは無制限に認められるわけじゃなくて、最初から計画的に一定期間のみ公益目的で信託するということになっているのであれば、そのような設立者の意思に従うということです。チャリタブル・リードトラストと呼ばれるものがありますね。
 こうした考え方が一般受け入れられるかは別として、どこかではちゃんと議論しておいた方がいいんじゃないかという気がします。これと関連して、この場で議論すべきかどうかわからないけれども、親会議の方で出てきた問題ではありますが、出資型の非営利法人ないし出資型の公益法人というものがあってもいいではないかという議論がありまして、非営利法人のレベルでは、残余財産を分配することは可能なので、その名称はともかく、出資型の非営利法人を設けることはできると思うんですけれども、それが適当かどうかを議論しておく必要があります。出資型というのは、社員等が出したものは戻ってくる。増えて戻ってくるのは非営利性に反するのでまずいと思いますが、出したものだけが戻ってくる形の非営利法人組織をつくることはできる。ただ、このような非営利法人が公益活動をしようとして公益性が認定されるかというところが恐らく一番難しい問題なのではないかと思っています。

○ 委員のお話、私が先ほど申し上げていたのは、全部公益法人じゃなくて非営利法人のことで、多分、公益がいろんなところで認定されて、税の恩典をつけられるシステムがそれぞれありますけれども、公益が認定されているものについては、たしか残余財産を分配するのは、いずれも禁止になっています。だから税の恩典との絡みかなという気がしますけれども。

○ 禁止というのは、法務省の禁止じゃなくて?

○ イギリスでチャリティは分配を禁止されています。ドイツやフランスもそうです。

○ ドイツはそこまで厳しいのがありましたっけ。

○ ドイツでは税法の関係で、出資限度額に限定されているようですけれども、運用上は残余財産を戻すことは許されないというふうになっていると思います。

● ドイツですか。

○ 残余財産を戻せると理解していましたが。

● 公益法人という類型はないので、税法上、公益認定が、公益というか、税優遇認定がされるということではないでしょうか。

○ 公益性が認定された非経済社団とかというのがありますね。

● あると思います。

○ これが租税法かなにかの規定で。

● 次回までに調べてまいりますが、恐らく、ドイツは税法でそういうルールにしておかなきゃいけないという規制が課されておるのではないかなと思います。

○ そうですね。税法通則55条とかというふうに書いてあったような気がしますけど、それで出資限度額を超えて返還を受けることは制限されている。

● 出資限度額だというふうに私も記憶しております。

○ イギリスは普通のカンパニーとしてチャリティをやる場合があるわけですね。残余財産の分配となると、その中に利益も入ってくるから問題なんだと思いますけれども、しかし、構成員が脱退して自分の出資分の返還請求ができると同じことですね。それも制約しているんですか。

○ そこまではちょっと覚えていません。ただ、普通の場合は、もちろん認めないと思います。そういう公益型のものは。イギリスのカンパニーズアクトでは、営利型はみんな持ち分がありますが、多分、非営利タイプにはないものがあると思います。

○ 当然、利益の分配は恐らく……。

○ むしろ一種の保証責任をつけるんですね。ギャランティをするという、まさに公益でそういう保証だけしているというものが……。

○ この点はいずれ社団法人のタイプのときにもう一回御議論いただくと思いますので、それまでに資料をそろえていただくことにしましょう。

● ニーズ等も踏まえて可能な限り調べてまたご議論いただければと思います。

○ 今日は、根本的なところで議論が大分ありました……。

● 根本的なところでも今日大変いろいろ御議論いただいて、今後どういう議論を進めていくか。恐らく根本な部分について、1か2かということは直ちには決まらないような気がいたします中で、引き続き御議論いただくのか、それとも、今回資料の第2以下で設立から大雑把に準備いたしましたが、根本の部分をペンディングにしたままでは、財団法人としての中身、例えば評議員会をどうするかといった点の議論はできないということになろうと思いますが。それとも、そこをペンディングにしつつ御議論いただくことが可能なのかどうか。

○ 今日、新しく出てきた議論は、財団法人の設立を広い意味での公益的なものに限定するという法制度もあり得るんじゃないかという議論ですね。仮に、こうした立場をとったときに、準則主義を維持するか否かが問題となりますが、これは親会議に任せるにしても、このワーキンググループとしては、広い公益性で括った財団法人を念頭に置いたときに、設立後のガバナンスなどの問題について、今まで議論した枠組みがそのまま使えるのか、あるいは、修正が必要なのか、そんなことを検討する必要があるのかもしれませんね。
 私の感じでは、ガバナンスの問題に関してはそんなに影響を受けないと思いますが。財団法人というのを認める範囲に一定の限界があるとすると、それをどう判断するかという問題があると思いますけれども、いかがですか。そういう意味では、やはり財団法人の設立に関係する問題ということでしょうか。

● 若干難しい面があります。とはいえ、寄附行為をつくって署名するですとか、登記をするとかとった部分は言うまでもないことかもしれません。あるいは役員を最初に決めるとかということもそういうルールにしておいた方がいいかどうかぐらいだとは思いますけれども。しかし、根っこが準則かどうかということになりますと、余り詰めにくいことになりましょうか。

○ 皆さんの御意見は、仮に広い公益性を要求するといっても、その他の点では、例えば基本財産制度とか、その他ガバナンスなどの問題で、より厳しい基準を充たすことを求めるわけではない、ということではないかと思いましたけれども、いかがですか。

○ 遅れてきて申し訳ありませんでした。ちょっと今伺っていてよくわからなかったんですが、財団法人の場合には、非営利社団の場合と違って、最初から公益的なものを設立するということも考えられるという議論だったわけですか。

○ そうですね、大きく言えばそういうことですね。

○ その場合の公益というのは、広い意味での緩やかな意味での公益?

○ 余り狭くすると、例えば同窓会とかそういうものが入らなくなってしまうけれども、そういうものは入った方がいいかもしれない。そうすると財団法人に限っての話かもしれませんけれども、公益性の概念について少し広い公益性を考える必要があるのではないか。そういうことが先ほど議論になりました。

○ それは従来のたとえで言うと、1階部分に当たるんですか、それとも最初から2階部分を構想するということなんですか。

○ そこは直接議論しませんでしたけれども、私の理解では、広い公益性と言っても、入り口は広くするので、税の優遇措置だとかそういうのを求めるためには、2階建て構造があり、2階部分に上がらなければならないということになるのではないかと思いますね。しかし委員によってはもっと狭いことを考えておられるので、1階だけということになるのかもしれません。

○ 財団については、2階と1階が同じこともあり得る。私の意見なんですけど。

○ 1階で公益性について、広い概念をとるとしても、一体公益性とは何ぞやという大問題に。

○ まあ、そうですね。

○ 広い公益というのは、緩い公益と同じですか。緩やかな。広いというと、どういう意味なのかちょっとわからない。

○ 厳密な定義まで考えていませんが、公益性の概念をそもそもどうするかとも密接に関連していまして、公益法人制度に関する今までの一般的な議論の流れは、同窓会のようなものは、公益法人となれないということはなかったかと思うんですけれども、もしそうだとすると、同窓会などを含むような広い公益性を考えて、その目的のための財団法人というが認められてもいいのではないかと考えるわけです。しかし、広いとはいえ公益性を要求しますから、なんでも入ってくるわけではない。不動産事業をやるとか、貿易活動をするとか、あるいは先ほど議論になっていましたけれども、家族のための財団をつくるとか、そういうものは排除される。こうしたものは排除しつつ、同窓会のような非営利目的のものは入れるためのうまい線引きの基準が必要ですが、それがないので、苦慮している最中です。これを広いというのか、緩いというのかちょっとうまくお答えしにくいんですが。

○ 多分、議論を整理するためには、社団法人における公益性というのを1つ押えておいて、それプラスαが財団法人ではあると。そのプラスαも含めたものが広い公益ということになるんだと思うんですね。ただ、その広い公益というものの定義の仕方が難しいですから、αの部分については、例えば列挙するというようなやり方とかいろんなテクニカルな方法があると思うんです。ただイメージとしては、αを含めた意味での広い公益性を目的とする財団法人を認めていいんじゃないかということだと思います。

○ それも公益法人としてなのか、非営利法人の少し変種としてなのか、どっちになるんですか、あるいは1階も2階もないというふうに考えるのですか。

○ 1階も2階もないというと、委員がさっき言われたように、財団法人の場合は広い公益性を要求し、財団法人はその範囲でしか認めないので、それを財団法人における公益と考えるんでしょうね。

○ 私は税の優遇を受けるという意味での公益は、社団法人も財団法人も同じであって……。

○ 私は、個人的には2階建てもあり得るというふうに先ほど御説明したんですけどね。

○ そこの1階の部分というのは、非営利とはちょっと違いますよね。広い意味での公益性のあるものが1階にあってという意味ですよね。

○ そもそも財団法人を認める範囲を広い公益性のある場合に限定するので、そうなりますね。全体の仕組みが非常に複雑になってきますね、だんだんと。

● 社団とは、なかなかパラレルにいかないということになろうかと思います。

○ 法人格を獲得できるための公益と、税の負担というのか、恩典、優遇を受けるための公益と二重で考えるというのが両委員の御意見ですよね。で、委員の御意見は、そこは一致させていいだろうということでしょうか。

○ 別にそこは。上の階の方で税の観点からの公益性を判断し、公益法人として認める、私法上の公益法人の判断が一致するかどうかはまた別だと思います。

○ それは個々の収益についてどう課税するかだけじゃなくて、法人としてもそうですか。

○ ええ。

○ 民事上の2階の公益法人にはなるけれども、税の優遇は受けられない。

○ 受けられないこともあり得ると思っています。それはむしろ税の観点から決まってくることであって。

○ わかりました。遅れてきてすみませんでしたけれども、要するに、非営利社団と非営利財団とは、入り口が違うということですね。同じように2階建てだとしても。

○ なかなか難しいところですね。さっきのような考え方で言うと、非営利の財団という言い方はちょっとしにくいので。

○ もうしないということで。

○ ええ。

● 第1種公益と第2種公益ということになりましょうか。

○ 非営利の法人というものが社団法人において、とにかく広い範囲のものが認められるので、財団法人も一応その枠の中には入るという言い方をするのかな。社団と財団のいずれにもそれぞれ法人格を与える制度をつくるときに、法技術的には1つの法律の中で制度をつくろうが、別にしようが余り変わらない。両者の間で相互に移行するという問題がないのであれば。ただ、社団と財団を別な法律にすると、今までの議論は少し流れが違ってくる可能性がある。

○ 蒸し返して申し訳ありません、時間が限られているのに。財団法人の場合は、最初から広い意味での公益性を持った存在になるんだというのは、つまり社団に準じたような非営利の財団法人というのはそもそも考えられないということなのか、それとも、そういうものをつくると何か弊害が生じるという理由によるものなのかどっちなんですか。

○ 弊害というほど強くないかもしれませんけれども、後者ですね。論理上は非営利の財団は考えられるけれども、強いニーズがないだろうし、逆に弊害も考えられるかもしれないというので、財団法人については成立範囲を狭めてみたらどうかということですね。

○ 少し理解できてきました。理解といっても、賛成かどうかは別として、おっしゃっている意味は理解できてきました。

○ 財団法人でもってどういうことができるのか。非営利の財団、財団法人は構成員がいないので、ある意味では定義上当然に非営利なんですけれども、公益に限らない、何でもできる非営利の財団法人を考えていいかというところから議論を始めて、少し狭めた方がいいかもしれない、という議論が出てきたわけであります。これが最後的な方針となるのかまだわかりませんけれども、新しい議論の流れです。
 このように考えたときの問題点も一応詰めておいた方がいいので、それを残りの時間、余り時間ありませんけれども、議論していただきたいと思います。設立は微妙な問題がありますけれども、ほかの基本財産とか、あるいはガバナンス等の問題、寄附行為の変更とか、残余財産の帰属の問題とか、などについていかがでしょうか。
 ただ、社団法人の議論の関係で言うと、広い意味での公益的な財団法人というのを認めて、2階建ての税の優遇措置を受けるというものを認めても、要求される規制といいますか、財団の組織のあり方自体はあんまり変わらないのではないかと思います。どうでしょうか。

○ 入り口が緩やかだと、その組織を厳しくすることで抑えようという発想があって、恐らくこの原案というのは、そういう考慮もあるのかなという気がするんですけれども、逆に入り口を狭めた場合には、入った後は少し緩やかにしてもいいかもしれない。

○ 例えばどんなことですか?

○ 例えば、今回、評議員会と理事会等がかなり厳格な重い制度になっているわけですが、場合によっては、それを軽くすることもできるかもしれないという程度ですが。

● 監督者が別に存在するのであれば、理事と評議員会は結局どっちも法人から委任されている機関なのに、何か社員みたいな評議員を置くというのもちょっと無理をしている面はあります。

○ 公益法人の枠の中に入れれば、ある種の監督はあるんだと思うけれども。

● 事業範囲ですとか、目的範囲について監督を受けるということになれば、これは余りほかにはない監督といいますか、厳しい監督じゃないかと思いますけれども。つまり、そこには反せないわけですから。

○ それはそうだけどね、どの程度積極的にやるかどうかという。

● そうすると、ざるになってしまいませんでしょうか。

○ ざるというか、チェックしようと思えばできる体制はとるのかもしれないけれども。

● 緩やかな指導ですか。

○ 1つの考え方です。結局、問題となるのは、同窓会だと言っておきながら、実は不動産事業をやっている、そういう場合でしょう。

● 不動産事業で儲けたければ、それに適切な会社制度をつくるですとか、そこにお金を投資して適切に利益分配を受けたいと思えば、会社制度をお使いになるのが、むしろ会社制度の目的とするところであり、財団法人制度は、会社制度よりも営利目的には不向きであるということだけでよいのではないかと思ったりもするんですけれども、それは先ほど御議論があったところですので、余り繰り返してもいけないでしょうけれども。

○ ほかにどんなところが問題となりそうですか。監督があるのであれば、もうちょっと緩くてもいいというふうに委員の御意見はあったけれども、監督はあっても別に、評議員などは要求しておかしくないですね。

○ 小規模の場合に、負担が大きくなりすぎないかという点なんです。ですから、もし小規模の財団法人も考えるのであれば、もうちょっと軽減型のものもあってもいいのかなというふうに思います。

● 監督の前に、まず我がことは自律でというシステムを選ぶ人がいてもいいとも思いますし。

○ はい。

○ 基本財産制度について、所要の規定を置くというのですが、具体的にどういうイメージで御提案になっているんですか。

● 所要の規定の第一は、基本財産を備えなければいけないという点です。民法には全く明文がないものですから、基本財産というのはどんなものかという位置づけを法律で定めるべきではないかと思います。

○ じゃ、どういう位置づけにするんですか。

● まず、基本財産がなければ法人格付与がされない、とにかく一定の財産を置かなければならないとしなければいけないと思っています。

○ 何か公示制度みたいなものを設けるのですか、その財産について。

● 恐らく登記事項にするのがよいかと思います。そうしないと余りわからないし、意味がないかもしれません。

○ 登記というのは何を登記するんですか。

● 額になろうかと思います。

○ 金額だけですか。

● はい。それで不十分であれば、種類までとも考えられますが、当面は評価額でよろしいのではないかと私は考えました。

○ 貸借対照表みたいなものを作成して、その資産額、純資産額ですか、それを登記するんですか。

● 今でも資産の総額は登記いたしますので。社団法人も財団法人もですが。

○ そうすると、資産が変動すると、変更登記の手続が必要になる。

● そこは実は現行制度には御指摘の問題があって、変更の登記は年1回でよいという通達を出しております。資産の総額は日々変わっているはずだと私は思います。

○ 資産の総額だから、そうなるのですね。

● はい。今申し上げたのは、現行民法上の登記事項となる資産の総額でございます。

○ もう少し合理的な制度を設けてもいいような気がするんですけどね。

● 資産の総額の登記と同じであるというつもりではなくて、御指摘のように、基本財産額は変動しないものとして登記をするということもありようかと思いますが。というか、むしろ、そっちを思っていましたけど。

○ 今でも財団法人、あるいは基本財産と言っているんですか、ありますよね。あの部分だけをいわば登記させるという形ですが、あれは資産全体が変動しても、あれ自体は変わらない。

● そのとおりです。今の登記事項である資産の総額と現行の財団法人の基本財産は別といいますか、資産の総額の内側であるのは間違いないと思いますけど。

○ そういう制度も考えられるということなんですけどね。

● 所要の規定、ここだけを抜き書きしてしまうと余り意味がわからなくて、(2)以下の規模ですとか、種類とか手続の規律も踏まえて前に戻ってきて、じゃ、どういう規定になるのかを考えなければならないのだと思います。

○ 項目は、だから資産総額ではなくて、さっきの基本財産的なものを想定してできているわけですよね。

● そういうつもりです。

○ 基本財産というのは、金額でもって限定されるわけですか。

● まずは金額じゃないかと思いました。

○ どの程度なりそうなんですか。

○ 別に深く考えているわけではないのですけれども、会社に関する財産の公示のシステム等と比較すると、果たしてそういうのが合理的で意味のある制度になるかということをちょっと考えてみたのですけれども。

○ 登記で公示するのはどの。

○ 登記では資本金の額だけです。

○ 登記はあんまり意味がない。

○ しかも、登記ですと、年々、資本金というのは制度的に会社の意思で基本的には額を決めることができる。変えないでおこうと思えば変えないでおくこともできるんですけれども、こちらの方は変動しちゃうんですね。

● 「こちらの方」というのは基本財産でしょうか、純資産額という意味ではありませんので、変動させようと思えばしますけど、させなければしないというふうに考えています。

○ 委員の関心は、貸借対照表とか、そっちの方の開示の問題なんでしょうか。

○ それを含めてどういう制度を設けたら合理的な制度になるのかということを考えていたんですけれども。とにかく基本財産は、最低限これだけ財団としては資産として保持しておくことにしておきますよというのを示すということですかね。

● はい。

○ 欠損が出たらそのまま。

○ 取り崩すんですか。

● 取り崩しをどうするかについては、(5)で基本財産の処分の制限をどうするか。

○ (5)との関係で意味を持ってくるわけでしょう。

○ これは資本金に相当する資産がない会社もあり得るというのと同じではないでしょうか。

○ これを公示していることの意味は、別に法人の債権者保護とかそういうこととは、全然切れているわけですかね。

● それが第一ではないと思いますが、副次的に財団の基本財産の規模の大小というのは債権者にも関係することかとは思いますが。

○ 今までの基本財産制度というのは、主務官庁の監督等のかかわりで意味があったと思うんですけれども、それこそ2階建てにして、下については、公益性等によるチェックが働かないとすると、一体この基本財産を公示する意味というか、それに関する規定を設ける意味がどこにあることになるのかなとちょっと考えたんですけれども。

○ 時間的なギャップはあるかもしれないけれども、基本財産を満たす財産が本来あって、だけど欠損が生じるとか、あるいは取り崩せば、またそのときに公示をするという形で、そうやって反映させるのではないのですか。

○ それはわかりましたけど、公示をさせる意味が一体どこに残ってくるのかなというようなことを。

○ スタートしたときの財団法人の姿を示すということなんじゃないんですか。スタートをしたとき、設立されたときの財団法人の姿を示すと。

○ 誰に?

○ 一般社会に。

● 設立当時の社員みたいなシステムがいいんでしょうけれども。

○ だから、債権者としては、別にそれだけ見ていてどうってことはないんだけれども、最低限それはあるという。

○ 最初の寄附行為に書いてあるだけではだめで、それを公示して、誰でもが見れるようにするということの意味がどこにあるのかなと思って。

● それはそうかもしれないです。

○ どういう財団法人かという概括的な……。

○ 公益法人で公益性からのチェックを社会一般にかけてもらうためにというのだったら、それはよくわかるんです。

○ 公益性の保護を、公益法人の場合なぜ基本財産の部分についてチェックするかというところで。債権者保護じゃないわけですね。

○ それはそうです。

○ 事業活動ができるかどうかという。

○ どんな活動をしているかということですね。それを主務官庁がチェックできるようにするためにやっていたんじゃないかと思っていたんですけど。

○ 基本財産というのは、現金じゃなくても国債とかなにかそういうものでもいいし、それから美術品とかなにかでもいいわけでしょう。

○ それは基本財産についての考え方をどうするかの問題ですね。

○ そうですね。

○ 恐らく、今問題となっている公益法人のレベルでも、基本財産は金銭でなくてはいけないというのは少し制約が強すぎるというので、この制約を緩くしようという議論を他方ではなされていると思いますので。

○ 登記事項になると、登記すること自体にコストもかかるわけで、一体誰のために何のためにやっているのかということが問われると思います。上の公益性から来るチェックが可能なようにということであればまたわかるんですけれども、1階と2階を分けて、非公益財団法人というものができたときに、それの基本財産をこういう形で登記し、公告するということの……。

● 資料に書いていないことを付け加えてしまってので、かえっていけなかったと今は感じました。ここには登記事項にするとは書いておりませんものですから、まず寄附行為において定めるというところが出発点であろうかと思います。そして、それについてのルールができた後、なお公示まですべきかどうかという御議論をいただくのが順序ではないかと思い直しました。失礼いたしました。そこが抜けているのに、登記だけすると言ったものですから、先生から御指摘をいただいたのではないかと思います。
 戻ると寄附行為で基本財産なる概念を認めて、一定額以上必要とするかどうかですとか、種類を法定するかどうかですとか、手続は法定するのか、寄附行為に任せるのかですとか、更に(5)に進んで処分について規制を設けるのかどうか。この処分についても、恐らく最低の基本財産額というものと、それに加えて最低の基本財産額、例えば1,000万と法定した上に自ら定める基本財産とするための手続によって1億に増やすことも多分できて、その1億からの取り崩しという問題と、最低部分であるところの1,000 万からの取り崩しではまた意味も違ってこようかと。

○ 最低基本財産というものが社団の場合と同じ、いわば商法の最低資本金制度との見合いで決まってくるだけの話で。

● そうかもしれません。

○ ですから、それはここで考えなくていいように思うのです。あとは基本財産制度というのをつくる主な意味は、(5)のほかの財産と違って処分についての制限があるということでのみ意味があるのではないかなと思います。

● その意味があるものを更に進めば公示する、本当に意味があるのかどうかはまた別途ということだろうと思います。

○ では、基本財産はそんなところでよろしいですか。
 あと、時間もないので、すべてまとめですけれども、ガバンナス、評議員会、小規模の場合には必置じゃなくてもいいんじゃないかという御意見もありましたが、あと、寄附行為の変更のあたりのルールについて。

● 寄附行為の変更は、前回の御議論を踏まえて例えばで考えてみたもので、もとより不十分なのは御容赦いただきたいと思うんですが、これをたたき台にして何か御指摘をいただければというふうに思って考えました。
 恐らく寄附行為の変更のルールをどうするかによって、設立者意思による拘束がどれだけ重いものになるのかということに多少なりとも影響してくるのではないかと思うものですから、ちょっと御説明は不十分ですが、A案の4にしてしまうと、とにかく目的以外の事項であれば、設立者以外であるところの評議員会なる機関、評議員会以外かもしれませんが、何かの機関によって法定の要件で変更できるということになろうかと思います。
 これに対してB案のような考え方にいたしますと、(1)は本文と同じ記載になって恐縮ですが、「寄附行為の変更に関する規定を置かなければならないものとする」と書くべきだと思いますが、そうすると、どの機関がどんな要件で寄附行為を変えられるかということにまず設立者の意思があらわれて、(2)で目的はちょっと法律が介入して変更手続を難しくした上、(3)でその自主的なルールが不相当な場合の手立てを置いてはどうかという案なのでございますが。

○ 最初の例の「総論」のところで出た財産処分の自由というようなことを言い出すと、これはやはり寄附行為者の意思が基本的に貫徹しないとおかしいので、そうだとすると、B案の方がいいんじゃないかですかね。

○ 変更に関しての寄附者の意思、あるいはその定めがあんまり合理的じゃないときに初めて法が関与できるという例外的な介入を認める、B案の方が財団法人の趣旨にはのっとっている感じがしますね。

○ ほかのところでいいですか。

○ はい。

○ 「計算等」のところで、例えば、一定規模以上の法人については、公認会計士監査を強制するとかそういうことは考えないんですか。

● それは社団と並びであると考えています。もちろん社団の場合と同様、規模をどう見るかという問題はあろうかと思いますが。

○ 財産規模でいくんでしょうね。恐らく財団の場合は。

● あとは負債規模があろうかとは思いますが。

○ あとは、さっきの8の「清算」のところの残余財産の帰属。

○ ちょっと広くなったところをどうするか。もっと狭くしてしまえば、狭くしても問題があるけれども、分配できないという形にすることも考えられるけど、公益であっても、なお広いものが入ってくるということになるとどうしますかね。これは広いものが入っても、分配は寄附行為で定めるというのでよさそうな気がするけどまずいですか。

○ 中間法人と同じように考えますか。

○ 残余財産の分配というのは、出資そのものを寄附行為者に戻すということですよね。

○ 財団の場合はね。

○ 結局、寄附行為者の営利事業だったという総括をされかねない。

○ 出資額以上に戻してたくさん儲けがつきますと営利につながるという懸念があるのなら、出資額を限度にするということが考えられるんですけどね。

○ 財団法人というのは事業を何でもできるので、さきほどは少し限定するようにしたけれども、その利益を分配しないで蓄積しておき、適当な時期に解散して利益をドーンともうらと、そういう使い方をされると困ると。

○ まさに税で言えば繰り延べの手段に使うという。

○ そうしますと非営利社団の方との兼ね合いですね。中間法人法では限定はしていないんですよね。

○ あれは事実上できないということです。

○ 儲からないでしょうと。

○ いいえ、そうじゃなくて、そこまで規制できない。

○ 拠出額を超えた額の分配もできますよね。

○ 今の規定はできます。

○ 社員総会の決議でできますので。

○ 社員総会で決めれば。

○ 税の部分で、要するに潜脱にならないような方法というのは考えられませんですか。

○ それは税の観点から、それは税法でお決めいただければいいことで、こちらの関心から言えば、結局そういう形で利益を寄附者が実現する手段として使われることによって、結局あれはやっぱり営利目的の法人だったんじゃないかと言われることでいいかということだと思いますけれども。

○ 別途また税金とるのは。

○ それは税法の問題で。

○ 具体的に弊害がなければ、実質的に営利でしたねと言われたらそうかもしれないけれども、別に得はしていませんということにはなりませんから。

○ それがまさにさっきの営利として本来用意している法人形態の脱法その他の弊害がないですかということだろうと思います。

○ そこは中間法人のときと全く同じ問題ですね。
 私の理解では、財団法人を、まだここでは最終的な決定になったわけじゃありませんが、仮に広い意味での公益的なものに限定するにしても、現在の公益法人はかなり広い中間法人的なものが念頭に置かれていると思うので、そういう意味では委員ご指摘の問題点はなおあるけれども、残余財産の分配については、中間法人とほぼ同じルールでもおかしくはない。

○ 財団法人タイプなんですか。

○ 財団法人についても。

○ 一応、社団法人の場合は、社団の総会の議決で決めるということになっているんですけれども、こちらの方は、ある意味でいうと裸の形で出てきちゃうんですね。もとへ戻すということに。

○ 戻さないということにすると、じゃ、どこに持って行くか。

○ 1つは、似た目的にしか使えないというような。

○ 例えば慶応大学のものを早稲田に持っていくというわけにはいかない(笑)。
 この論点は少しまだ議論すべき点が残っているかもしれません。どうも財団法人も今回で完全に終わりというわけにはいかないような気がしますので、引き続き検討してもらうということでよろしいでしょうか。
 それでは、そういうことにいたしましょう。

(了)


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