○:委員
●:事務局

第6回 非営利法人ワーキング・グループ

−議事録−


平成16年3月2日(火)10:00〜12:40
場所:虎ノ門第10森ビル4階

○ それでは、時間になりましたので、非営利法人ワーキング・グループを開催したいと思います。
 今日は、少し長目で12時半まで議論を予定しておりますけれども、委員は途中で御用事がおありということで御退席されます。
 それでは、早速議論に入りたいと思います。前回の続きで財団法人ということで資料6と資料9に基づいて議論していきたいと思います。 最初に、資料の説明をお願いします。

● それでは、お手元に資料6、これは前々回から配付しておるものでございますが、資料6と資料9を御用意いただければと思います。これらの資料の関係でございますが、ワーキング資料9は資料6の2以下の項目について考えられる論点を若干敷衍して整理いたしたものでございます。前回のWGにおいて、公益性を要件としない財団法人制度を創設するかどうかという点について御検討いただきました。その中で、公益性を要件としない財団、これを非公益財団あるいは非営利の財団と呼ばせていただきますが、その創設の可否について少なくとも創設を否定する、創設しないと決めたわけではないけれども、創設する方向で検討してよいかどうかについて、引き続き意義・理念等を詰めていくという御議論だったと思います。そして、この点を検討するためには、ある程度の具体論、資料6の2以下をやってみてから再度立ち返るというようなことでどうかという御提案もいただいたところでございますので、このような観点から本日は資料6と資料9に基づいて御議論いただければと思います。今述べました趣旨を資料9の冒頭の注に掲げさせていただきました。どうぞよろしくお願いいたします。
 早速、中身の御説明に入りたいと思います。資料6に掲げました2以下の項目「※」で書いてある小さい字のところでございますが、この項目は、おおむね資料9にも盛り込んでございますので、主として資料9に基づいて御説明させていただきたいと思います。
 資料9の1「基本財産制度の要否」でございますが、(1)基本財産に関する規律の要否に関する論点ということが問題となろうかと思います。「※」には、その考え方のたたき台を掲げました。2つございます。@は、財団形態の法人であれば、法人格付与の対象となる財産の集合体が、まず必須であろうと思われること。Aは、今改革によって、現行の公益財団法人に対する主務官庁の自由裁量、これは許可主義に基づくものでございますが、自由裁量に基づく指導監督体制というものが、少なくともそのままの形では維持されないであろうということを前提といたしますと、その財の固まりである、人格の基礎となるところの財産に関する規律を法律に書く必要があるのではないかという問題意識でございます。
 (2)は、そのような基本財産に関する規律を設けるとした場合、更にその中身として基本財産の規模に関する事柄が論点となろうかと思います。
 「※1」でございますが、もし規模に関する規律を置かないといたしますと、基本財産の額については法律上規制がなくなりますから、実際上はあり得ないのでしょうが、理論上は1円でも財団をつくることができるのではないかということが問題になるのではないかと思いました。
 次に「※2」ですが、逆に財団の規模に関する規律を法定するとした場合には、まず設立時に一定規模以上の基本財産、以下、仮にこれを「最低基本財産」と呼ばせていただければと思いますが、これを保有することとすべきかどうかという点が問題になるのではないかと考えました。
 そのほか、その下に掲げた@ABのような問題点もあるのではないかと思いました。@は最低基本財産の額をどうするか。A設立後の最低基本財産を維持する義務に関する規律の要否という点であります。Bが設立後に基本財産の額が最低基本財産の額を下回った場合についても何らかの規律が必要ではないか、このようなことが論点となり得るのではないかと思われます。
 「※3」でありますが、最低基本財産及びその維持義務を法定した場合には、第1回のワーキング・グループで問題指摘のありました基本財産を取り崩していく形、最後はゼロになって解散してしまうという法人形態が認められにくくなるのではないかということも検討の対象となろうかと思いました。
 ただ、この点については、まず最低基本財産額以上の部分についての取崩しを左右するものではありませんし、また、最低基本財産の部分に至った場合でも、給付を続けるということはいろいろな工夫が考えられるのではないかと思うところでもございます。
 (3)基本財産となし得る財産の種類に関する論点についてですが、現行民法ではこの点についての制限はございません。指導監督上も正面からこの点を制限していないと思われますが、指導監督基準の5の(4)及びその運用指針(1)では、「基本財産については減少することを厳に避けるとともに管理運用は安全確実な方法による」ということが要請されております。前々回にお配りました参考資料4に抜粋部分がございます。
 これらを踏まえ、新たな財団制度においては、そもそも財の種類を法定すべきか、法定するとした場合には、その理由はどこにあるのか。仮に法定する場合には、どのような基準が考えられるか等々が論点になると考えました。
 (4)ですが、今度は基本財産とするための手続に関する事項でございます。まず「※1」ですが、この点についても民法には規定がございませんので、現行の公益財団法人における一般的な寄附行為の記載例を掲げました。おめくりいただきまして四角囲みでございます。中身を読み上げますが、財団法人にあっては(財産の種別)という見出しのもとに、第6条第1項、「財産は基本財産と運用財産の2種類とする。」
 第2項が手続に関する部分ですが、「基本財産は次に掲げるものをもって構成する。(1)設立当初の財産目録中、基本財産の部に記載された財産。(2)基本財産とすることを指定して寄附された財産。(3)理事会において運用財産から基本財産に繰り入れることを議決した財産。」このような手続といいますか、方法、手段によって財団の財産のうち、基本財産が形成されるというような規律が寄附行為に置かれておるところでございます。
 第3項は、運用財産は基本財産以外の財産とするという定義でございます。
 このような現行の在り方を前提に「※3」となっておりますが「※2」の誤りでございます。基本財産とするための手続を肯定することの要否につきましては、まず法定するとした場合には、その規律の内容が問題となるのではないかと考えました。四角囲みのような規律がよいのか、それ以外の合理的な規律がよいのか、いろいろ考えられると思います。
 他方、手続を法定するのではなく寄附行為に任せる、寄附行為の必要的記載事項とすることも考えられるのではないかと思われます。
 続きまして、(5)基本財産の処分の制限に関する論点でありますが、ここも(4)と同様に「※1」は、現行の寄附行為の記載例を四角囲みで掲げさせていただきました。第8条におきまして、「基本財産はこれを処分し、又は担保に供することができない」というふうに一般的に制限を置いております。ただし書がございまして、ここに記載してありますような要件を充足すれば、その一部を処分し、又は全部若しくは一部を担保に供することができるという規定も置かれておるようでございます。
 これを踏まえまして「※2」であります新たな制度を創設すると考えた場合に、基本財産の処分の制限を法定することの要否が問題となろうかと思います。
 ただ、ここで言う「処分の制限」は、さきに御説明した最低基本財産の保有規制とは当然のことながら別個となろうかと思われます。すなわち、例えば仮にでございますが、最低基本財産の額を(2)の方で1,000万円といたしました場合に、基本財産とする手続に基づいて1億円が基本財産になるとした場合、この1億円のうちの1,000万円を超える部分について、処分の制限を掛けるかどうかが(5)の論点ということになろうかと思います。
 「※2」法定することの要否でございますが、論点事項を整理しただけでございます。法定する場合には、制限を設ける理由はどこにあるのか。制限の方法としてはどのようなことが考えられるのか。更に進んで制限に違反した処分の効果をどう考えるのか等々が問題となろうかと思います。他方、やはり制限を法定するのではなく、寄附行為に任せるというようなことも考えられるかと思います。紙面には記載しておりませんが、この部分については、そもそも処分を設けないということも考えられるだろうと思います。
 最後になりますが、基本財産の要否に関する現時点における論点は以上のとおりでありますが、基本財産に関する規律の在り方が公益性を要件としない財団の創設を検討する場合に、どのような意義、役割を持つか、持ち得るかという点についても御検討いただければと思います。なお、現行の財団法人の基本財産の状況、第1回のワーキングで御説明いたしましたが、御参考までに再度御紹介させていただきます。
 お手元のファイルを、もしお時間があれば後でごらんいただければと思いますが、参考資料2に書いてございます。基本財産の規模別財団法人数を紹介してございます。財団法人は現在1万3,000法人あるわけでありますが、1,000万円以上の基本財産を有する財団法人が1万790法人ございます。他方、500万円未満の法人も1,800法人ほど存在しておるようでございます。
 基本財産についての御説明は以上でございます。どうぞよろしくお願いいたします。

○ それでは、ここで切って議論いたしましょうか。今日は少し細かい論点を御説明いただきましたけれども、その細かいことを議論していただくのも結構でございますし、それを手がかりにもう一度財団法人の基本的な在り方、特に非営利目的の財団法人というものを設けることの意味というものについて御議論いただくのもよい、という趣旨でございます。どうぞ御自由に御議論いただきたいと思います。
 今までも何度か御議論いただきましたけれども、財団法人というのは何らかの財産を基礎にして設立されるわけですが、財産を出した後の活動の面でもいろいろな特徴がありますけれども、財団法人としての意義が最もよく現れるのは財産を拠出するときだと思います。財産を持っている者が自分で活動するわけではないが、特定の目的のために財産を拠出し、その目的でその財産の利用を拘束したいというときに、財団法人が使われるのではないか。その際に、拠出した財産の利用や処分を拘束する目的が公益的な目的の場合だけでなく、より広い非営利の目的であってもいいのかどうかが、まずは問題となるわけです。前に社団法人のところで、1人でも社団法人をつくることができるかということを議論しましたが、これを認めると財団法人の設立と1人法人である社団法人というものが非常に似てきます。社団法人については公益目的に限られないので、非営利の社団法人が作れますから、そうすると1人社団が認められるならば非営利の財団法人を認める必要はないのではないかという議論もありえます。しかし、今申し上げたように、社団法人であると主体的に活動していく人が中心になって社団法人を設立するのに対して、財団法人は必ずしも自分がやるのではなくて、例えば、高齢者の人が自分の財産を一定の目的に使ってもらいたいなどというときに使うメリットがある。このような理由で、社団法人、1人法人が認められても、なお財団法人、非営利の財団法人の意味があると思います。
 以上は設立段階の話ですが、財団法人の活動面についても、社団法人とは異なる特徴があります。、これは基本財産を要求するかどうかということとも関係しますが、助成型の財団法人で、拠出された財産の運用利益で活動していくという場合には、これはまさに拠出された財産を中心に活動しているという意味で社団法人と違う特色があると思いますけれども、財産をもとに事業をやっていく財団法人では、社団法人と余り変わらない。したがって、今言った活動のレベルで財団法人と社団法人というものを区別する意味がどの程度あるのかというのは、私は十分まだ自分自身を説得できない。

○ いろいろな問題点があると思いますけれども、今おっしゃったほかの法制との比較、社団法人との比較、それから、公益性のある財団法人との比較、それから、信託との比較、その中で非営利非公益の財団法人が必要かどうかということが問題点だと思います。それから、もう一つは、非営利非公益の財団法人を設けることによる副作用をどう考えるか、それを抑えることができるか、多分その2つの問題点があるのかなと思います。
 どちらから議論してもよろしいのですけれども、後者、副作用の方を考えてみますと、1つは設立者意思が公益性によって吟味されないというわけですね。そうしますと、どこまで設立者意思を拘束力あるものとして認めてよいのか。何でもいいのかということが1つあると思います。
 2番目に、設立者と債権者との関係をどう考えるのかということがあると思います。債権者というのは一般の債権者と国、国税との関係がそれぞれあるわけで、例えば、その場合に詐害設立についての特則を置いた方がいいかどうか、そんな問題点があろうと思います。
 それから、3番目に非常に一般的なことなんですが、今のお話にも出てきたんですけれども、理念をどう設定するのかです。非営利非公益の社団の理念については、前に委員から団体としての活動を促進するという話が出ましたが、それとの関係で言うと、非営利非公益の財団法人を設けることの理念というのは、それとは別個になるだろう、より抽象度の高いものになるだろうけれども、そうすると理念の希薄化ということが起きるかもしれない。そんな辺りが検討すべきことかなと思いました。

○ 非営利の財団を認めるという場合に、財団設立目的のチェックというのは、ある種の目的は非営利財団では認めない方がいいという意味ですか。目的自体は寄附行為に客観的に書かれるし、あとは、その目的に拘束された財団運営がされるというだけの話ではないですか。

○ 公益性のない目的で、設立者の意思の拘束を非常に強いものにするわけですね。それが勿論、公序良俗に反するようなものはだめだということは問題ないと思うんですけれども、公序良俗に反しない場合には、拘束力のあるものを全部認めることができるかどうか、そこがまだ分からないんです。例えば、家産の承継について言うと、それは税の問題で処理すればいいということなのかなと思いますが、そういったレベルの公序良俗に反しないけれども、適当かどうかというのが限界があるかどうかを検討したいということでございます。

○ 私も以前から昔の家産みたいなものをつくることになるのは適当ではないのではないかということは申し上げてきたと思いますが、しかし、非営利の財団を認めたら場合にどういう基準で一定のものはだめだというか、その限界線というのがよく分からない。もし、相続税を逃れるような形でもって家産維持を図るということが行われれば、これは財団法人をつくっても実質的に利益を享受している者に課税すれば問題は解決できる。ただ、目的を設定して財団の財産を言わば半永久的に拘束するというところが問題で、これは法人の形態を使うことによって生じる特有の問題だと思います。財団を使わないで契約を使ってもある程度は似たことは実現できますが、契約では契約違反によって目的外のために財産が処分されることが生じやすい。したがって、財産を半永久的に拘束するには契約ではだめです。仮に、うまく契約でできるとしても、長期的拘束を与えることは契約では公序良俗に反するからだめだということにもなりそうです。しかし、財団法人という法人の形態を使うとすれば、こうしたことが言わば合法的にできてしまうというところが問題なわけですね。

○ 公益性を要件としないで、こういう財団形態の法人制度を使う、実際上の使われ方はどうなるのでしょうか。

○ どんなときに使われるかですか。そもそも何がここで言う公益ではないけれども非営利の目的の財団なのかということで、前回も少し議論があったと思いますが、利益を享受するのが家族のように狭い範囲の者であるとか、あるいは一企業であるとかの場合です。これらを受益者とする財団は公益財団とは言えないでしょうから。一企業の従業員のための財団などというのは意外と可能性があるかもしれませんね。社員のスポーツのための施設を会社そのものから切り離して、1つの財団にしておくとか。そういうものに社会的な意義としてどれほどの意義があるかと聞かれると、私も十分は説明できないけれども、ただ、そういうものを否定しなくてはいけない理由もない。

○ そうすると、そこから上がってくる収益をそういうものに使いたいという、さっき先生がおっしゃった助成目的タイプですかね。

○ 助成目的という場合もあるかもしれませんが、特定の不動産や施設を、特定の目的に使うというのが意外と多いのかもしれないという気がするんですけれども。

○ 町内会などでいろいろな活動していますね。そうすると、メンバーの1人が土地を拠出して、こういう組織をつくって、何かいろいろな目的のために使うあるいは道路の混雑を防ぐためにパーキング・プレイスとして使うとか、そんなことも考えられる。そして、法人形態にしておけば、その人が町内会のために使うのをいつでもやめてしまうということはある程度チェックすることができるとか、そういうことがあるのではないかと思いますね。

○ 今の先生のお話で重要だと思った点があるんですけれども、さきほどは、積極的に公益でないという団体を念頭に置いて説明しようと思ったんですが、実際には町内会のために拠出するとか、公益目的も認められるような財団がつくられる可能性があるわけですね。ただ、これらの財団が税の優遇措置とかあるいは公益性の認定自体を積極的には受けない。受けないけれども、公益的な活動のために財団という器を使うと。そういうものも非営利の財団の中には結構たくさん入ってくる可能性がある。ここにも公益性の認定を受けない非営利の財団を認める意義というものがあるような気がします。

○ それから、その前の問題として、公益的な財団法人というものを認めるということは、暗黙の前提というか、全体としてそういう方向の考えを持っている方が多いと思うんです。そうすると、いつもの議論ですが、2階に上るためにはまず1階に入ってということになりますと、もし、2階に公益的な財団法人、つまり今の財団法人というものを認めるのだったら、1階にも非営利の財団法人を認めておかないと上りようがないといいますか、そういうこともあるものですから、これは制度論理上の問題ということになるかと思いますが、それはどうなのでしょうか。直接2階に外側に階段をつくって直接上れるということにすれば別ですが、まず1階に入ってということですと、1階にもやはり非営利の財団法人を設けておいて、それが一定の基準を満たせば公益財団法人として2階に上れるということになるのではないかと思うんですが。

○ 非営利法人法というものが社団法人と財団法人を含めた全体の法律だとすると、今、先生がおっしゃったような形になるのが適当です。財団法人だけは全部切り離して別の法律ということもあり得なくはないと思いますけれども。その結果、財団法人は公益だけに限定して認めるということもあり得ないではないですね。
 いかがでしょうか。

○ 公益法人にしてしまいますと、残余財産は国に帰属するとかいろいろなことになりますけれども、非営利の財団だと後でまた取り戻せるんだという安心感のようなものは恐らく拠出する人にはあるのではないかと思いますけれども。

○ 例えば、ただの空想ですが、設立者がたくさん持っている株を財団法人として別に移して、社員のための施設に使いたい、福祉の目的に使いたいとか、福祉だと公益に入るかもしれませんが、受益者の範囲が狭いので仮に非営利だとして、そういうときにも株が仮に基本財産として認められるという前提で考えますけれども、それが後でどう処分されるか分からないというと、ちょっと企業としては不安ですよね。ですから、そんな使い方もあるのではないでしょうか。アメリカなどではよくあるタイプと言われていますね。
 非営利の財団法人を広く認めるという法律制度をつくると、世界的には先進的な法律に恐らくなると思いますが、アメリカはともかくとしてヨーロッパ系の国では、財団法人というものをそこまで広くは認めていないのが現状ですね。委員の方が詳しいかもしれないけれども、少なくともドイツは財団法人法の改正というのをかなり大々的にうたって、しようとしたんですが、実際には財団法人の枠組みというのは連邦制ではなくて州法に任せられていて、それぞれの州では実際はかなり公益的な目的に限定している。どこに改革の目玉があるのか、余り解説書を見てもよく分からないんですけれども、今までは許可主義だったのが、今度はある意味で認証主義に変わった。それから、監督官庁に提出する書類とか手続などを非常に簡素化して、もうちょっと効率的な運営ができるようにしたというのが2つ目の狙いです。
 それから、ものの本によりますと、ビュルガー・スティフトゥンゲン(Burgerstiftungen)という言葉を使っているんですが、ビュルガー(Burger)といのは市民という意味です。市民財団というのはどういうふうになるか余りはっきりしませんけれども、従来の財団というのは、やはり資産家が大きい財産を拠出して財団をつくるというのが多かったのに対して、市民が集まって小口のお金を拠出し合って、それを財団にするというのがビュルガー・スティフトゥンゲン(Burgerstiftungen)だという説明もちょっと出ておりますが、その辺は実際の法律をまだチェックしておりませんが、今のはいずれもここでやろうとしていることに比べれば小さい改革だと思いますけれども、そんなことが議論されているようであります。

○ さっき御質問申し上げたことに対するお答え、さらに先生からの御指摘に対するお答えを伺いますと、公益か少なくとも共益目的、中間法人の場合が主に考えられているのだろうと思います。しかし、更に進んで、個人が自分の子どもに勝手に財産を使わせないようにして、家産を守っていこうという目的の財団法人まで認めることができるのかというのは、もう一段先の話ですね。そういうものを認めてなぜ悪いか。多分、弊害がなければ、そういう目的だっていいのではないかという考えになるのだろうと思います。弊害として考えられるのは、税を追及されるのをなるべく逃れる手段に使われる可能性が高いということ、債権者からの追及を逃れるための手段として使われたりすること、あるいは法人格を使って詐欺的な取り込み行為を行ったりするのに使われるといった点等ではないでしょうか。特に我々私法学者からすると、実際に非常に事件が多く問題なのは、出資行為を取り消すことはなかなか難しいですから、債権者の追及を逃れるためにそういう別法人をつくって、そこに資産を移して実際上、債権者による追及を難しくするといったケースだろうと思います。
 そういう起こり得る弊害とメリットとのバランスで、どこら辺に線を引くかということが問題になるのかなというのが第一の感想です。第二には、今いろいろ挙げられたメリットは、やはり何らかの財産があって初めて意味を持ってくるわけですから、助成タイプにしろ、あるいは財産そのものを使うタイプにしろ、基本財産が実質1円のものを認める必要があるのかという感じがしました。社団タイプの非営利法人のほかに実質ほとんど資産がないようなものを非営利財団法人として認める必要があるのか疑問ではないかと思います。

○ 今のことに続けてなんですが、委員は公益、共益、私益と3つに分類されて、それは最初に先生が提起された問題ともつながると思うんですが、もうちょっと大ざっぱに言うと、自益と他益という分け方もあるかと思うんです。他益については、認めることのメリットがかなりありそうな感じがするんですけれども、自益については、今の委員の整理で言うと、弊害の方が大きいかもしれない。設立者意思をどこまで保護するかということとの関係でも、他益型の場合には認める余地があるのかなという気がしてきたんですが。

○ 理念的にはよく分かる話ですね。ただ、他益はよい、自益はだめというときに、ほかの利益も入っていれば自分が入っていていいという意味で、共益的なら構わない。純粋に自分の利益だけを図るのはいけないという意味ですね。

○ そうです。

○ 少し乱暴な議論になるかもしれませんが、最初の方で先生がおっしゃったことを敷衍する形になろうかと思いますが、1人タイプの非営利社団法人、それは1人をだめだとして、2人タイプのものは準則主義で相当程度柔軟に自由にできるという今までの議論を前提にしますと、非営利財団法人というものをたとえ認めなくても、それで実現しようとしたことは非営利社団法人でおおむね実現できるだろうと思います。生ずる弊害も今、先生のおっしゃったようなこともほぼ同じように生ずるだろうと思います。したがって、非営利財団法人は必要がないという議論にも勿論なり得るんですが、同等に非営利財団法人を今のような検討から認めなくとも、同様の弊害は非営利社団法人の財産拠出型といいましょうか、当初、財産拠出型で生ずると思います。したがって、非営利社団法人について現在議論しているところを前提にしますと、私は現に公益財団法人が存在するというその一事をもってなんですが、そして、公益については差し当たって民事法上の第1の軸とはしないという社団法人についての考え方をそのまま複雑にしないという意味で、非営利財団法人についても、まずは積極的に考えていいのではないかと思います。
 ただ、比較法的に先生がおっしゃったように、かなり突出しているという認識を照らし合わせますと、やはり今のようなものはどこかに落とし穴があるのかもしれないというところが、まだ気になっているところではあります。

○ 私も比較法的なものはもうちょっと厳密に調べないといけないと思うんですが、私が念頭に置いていたものは、民法で財団法人というものを認めているときあるいは民法に根拠があって、ドイツだったら各州で法律をつくっている、そういう財団法人については比較的公益的なものに限定しているだろうということです。ただ、恐らく財団法人というのは民法以外の別な法律でも認めているところがあるのではないかと思います。よく分からないけれども、ドイツの財団法人というのは持ち株会社みたいな、有名なものにはフォルクスワーゲンのスティフトゥンゲン(Stiftungen)とか、それから、カールツァイスという有名なカメラ会社の、これもスティフトゥンゲン(Stiftungen)と称していて、財団法人というのは言わば一番上に持ち株会社的に存在していますよね。これは、何を根拠法にしてつくっているのかよく分からないんですが、どうも民法の非営利あるいは非経済的な財団法人ではなくて、むしろ経済的な財団なのではないかと思うんです。そういうものも恐らくほかの法律を見るとあるかもしれない。そうすると、中間的な公益でもない、非営利のものだというものを否定する理由もないかもしれない。だから、全体を見ると日本がそんなに突出しているわけではないのかもしれないとも思いますけれども。

○ それはひょっとしたら、かつてのオーナー的な大株主が自分の実際上の影響力を維持したり、あるいは相続税のこともあるのでスティフトゥンゲン(Stiftungen)を設立して、それが会社の株式の大部分を持つという形をとったというわけではないんですか。

○ ただ、そういう形の財団があるために、財団の法理と企業の営利追及目的との間に多少衝突というか矛盾があるというようなことを書いてある本もあるんですけれどもね。

○ アメリカなどでそういう大金持ちが実質的に自分の財産や会社に対する影響力を保全するために信託を使うのと同じような意味で。

○ アメリカに『フェデラル・タックス・ポリシー』というペックマンの書いた有名な本がありまして、それを読むとやはり会社の株式をつくった財団に移転して、そこがマジョリティを持ち得るようにしておくために使われる例がしばしばあるということが書いてあるんですけれども。ただ、フォルクスワーゲンの財団などは、研究のために随分助成しているのではないですか。

○ フォルクスワーゲンはしていますね。確かにおっしゃるとおりです。

○ 確かに、先生がさっきおっしゃったように、弊害という点では社団法人とそんなに違いはないと思います。社団法人との違いは、拠出者の意思を尊重する、その1つの現れが寄附行為を変更することを認めないということでしょうか。
 もう一つ弊害なのかもしれませんが、先ほど先生がおっしゃった駐車場のときは非常に皆さんから喜ばれているのかもしれませんが、時代に応じて再開発の必要が生じたときに邪魔になる、財の効率的な需要が時代に即応しなくなるときがある、それが弊害と言われております。ですから、財団法人の弊害といいますと、拠出者の意思を尊重するがゆえに拠出者の意思が時代に適応しなくなった場合の財の使い方が非常に非効率的になる。そこをどうするかという問題もあるだろうと思います。

○ それはこういうことでしょうか。社団法人でも、その社団法人自体が財産の使途等を変更しなければ非効率なまま残るけれども、それは制度上、社団法人が総会の決議なり特別決議なりで自ら変更することは可能である。しかし、財団法人はそれが制度的に皆無であるということなのでしょうか。

○ 基本的には、寄附行為というのは変更できないという考え方ですね。ただ、それは今度制度を仕組むときに若干変容していくことも可能だと思いますが、社団法人と財団法人の大きな違いは、寄附行為者の意思を尊重するかしないかというところにあると思います。

○ 一番極端なのは、さっき言われましたように、寄附行為の中にこの寄附行為を変更してはいけないというようなことも規定することで、これも恐らく有効なのだろうと思いますけれども、そうなると、まさに変更が一切できない。それは何か別な法理で対応するしかない。

○ 後ろの方の論点の寄附行為の変更のところをどう仕組むかというお話と、今の委員のお話とが関係してきますよね。寄附行為の変更は一切認めないという規律もよしとするか、そうではなくて、よもや将来再開発があるというようなことは予測しないで行われた設立行為のときに、予測しない事態に接したときに一定の合理性があれば、寄附行為の変更を認めるという仕組みを入れて対処するか、そういうものがソフトにできないから、やはり一般的な財団の仕組み方自体に問題があると考えるか、いずれでいくかという問題でしょうか。それは公益財団法人についても同じですね。したがって、非営利に広げて準則主義で設立を可能にできるとしたことによって生ずる問題ではないと思います。

○ そうですね。ですから、公益目的のものだけに限定し、一般的に余り認める必要はないという議論もあり得るかもしれません。

○ 公益の場合ですと、公益性が時代によって失われるということがあり得ますけれども、そうでない場合には公益性がなくなったから目的を達成できないという制約は働かないという違いがあるのではないでしょうか。

○ 自益と他益の話に戻って議論してよろしいでしょうか。恐らく純粋全くの自益というものに使うことにそんなに奨励すべき理由がないのではないかというような御議論の雰囲気ではなかったかと受け止めましたけれども、他益のためのもので公益性を厳格に要求しない、許可主義に服しない一般的な財団の設立の可能性というのはあってよいけれども、専ら自益というものを認めるために、果たして一所懸命制度を立ち上げる理由があるかという御指摘はごもっともであると感じたのと同時に、準則主義で受け止めようとするときに、自益というものをどこまで設立の際にチェックできるのかということが検討される必要があって、そこのところがもし法律が定める一般的な準則を重くしておくことによって、ある程度実際上はじかれるといいますか、コントロールできるんだと割り切って準則主義の形式的な審査で行くと考えるか、それとも専ら自益のものを設立の入り口のところで何とかしてはじくための別な枠組みを考えるかという、解決の仕方として二通りあるのだろうかと自益・他益のお話を受け止めたんですが、どうでしょうか。

○ 自益については、さっき話しているときに委員から理念としてということをおっしゃっていただいて、私はそっちの方かなと思っているんです。実際に技術的にはじくことができる制度というのはなかなか難しいと思うんですが、理念として純粋自益は除くのだとしておいた方が、この制度を積極的に位置付けやすいのかなと思ったということです。

○ そのときの純粋自益とそうではないものはどうやって選別するんでしょう。中間法人においても、純粋の私益であっても社員が共通にそれでいいというのであれば、それで共益になりますから、共益と公益というのは全然次元が違いますね。

○ 逃れる方法は幾らでもあると思うんですが、ただ、専ら私益あるいは自益のためにこの制度を使うことは意図していないということを盛り込めないかということなんですね。

○ その盛り込むという意味なんですが、先ほど理念としてということで受け止めてよいのだとおっしゃったんですが、それでよいというお考えなんですか。そうすると、そんなに難しくはなくて、どこか法律の1条か何かに理念としてそういうものに使うのは望ましくないと書いておけば済む話なのかもしれないんですけれども、恐らく多分それでは済まなくて、ある程度の実効的な規律を伴わせて初めて一般的財団を導入してもよいという政策的な説得力を持つことになると思うので、その理念としてということの意味をもうちょっと詳しくお教えいただけますか。

○ 具体的に申し上げますと、設立者の設定する目的を限定するというのが1つの方法だと思います。例えば、専ら私益を目的とするものは除くということですね。

○ 専ら私益の例としては、どんなものが考えられますか。

○ それをどこまで広げるか。

○ 家産みたいなものをむしろ私益として考えているんでしょう。

○ いや、そこを入れるかどうかなんですね。

○ それが入らないで、それ以外の専ら私益というと、まさに自分だけのためということになると、なかなか考えにくい。自分の財産を分離して、とにかく別な法人をつくるというだけの話なのかもしれないし。私は、委員の理念とはちょっと違う意味で理解しているかもしれないけれども、そういうものは別に奨励はしないと。そんなのはこの制度が使われる主たる目的ではないというぐらいの理解で、それに使われても別に積極的にはそれを排除するわけではない。だから、専ら私益を除くというような規定をわざわざ法律の中にまでは入れないでよい。ただ、この制度は何のために使われる制度か説明するときに、そういうものは説明には使わないということです。
 今のことといろいろ関係しますけれども、先ほど委員からも話が出ていますが、基本財産というものとの関係はどうですか。

○ やはり基本財産は必須なのではないですか。

○ 基本財産は必要なのだと思いますけれども、額とかはどうでしょうか。

○ 額は、政策的な問題ですよね。

○ そういうものを特に要求する必要があるかどうかということですけれども。最低基本財産の額とか。

○ 財団法人は有限責任になるわけですね。ですから、社団タイプの方で最低の資本金的な制度をつくるとすれば、それに少なくとも準じるということになるのではないでしょうか。その金額のレベルは、商法の会社法改正などの結果を見ながら、大体それに準じて考えていくのではないかと思います。

○ 社団法人について最低基金制度というようなものがもし導入されるならば、財団法人についても恐らく同等のものが必要だと思いますが、現在のオプションとして非営利社団法人についてゼロがあり得ると思うんです。そうすると、財団法人はどうするか。そのときに、確かに理論的には財団法人である以上、財産の固まりが必要だというところから入ると、確かに社団法人がゼロであっても財団法人は何らかのものが必要だということになりますが、その理論的な意味というのが実際上、何を意味しているかと考えますと、それを維持できるかどうかがよく分かりません。なぜならば、ほかのところで財団法人と社団法人がどう違うか、それは設立者か出捐者の意思による拘束というようなところがあるかもしれませんが、差し当たって社員がいるか、いないかが相違点です。社員総会というのはガバナンスの一番根元にあるかどうかというようなところはかなり明確な違いだと思うんですが、その違いが有限責任制を維持するために、最低基金制度が社団法人では要らないけれども財団法人で要るということの理由になるかと考えると、多分そうではない。ディスクロージャーとかさまざまな制度を組み合わせることによって有限責任制度が持ち得る弊害というものは除去できるのであって、法人格を与え、有限責任制度を備えているという共通点の方が重視されるべきではないかと思います。
 それから、もう一つは、ちょっとトートロジーなのかもしれませんが、出捐者あるいは設立者の意思を社団法人よりは安定したものとし、途中での変更を認めないという点の相違点に着目しても、それが基本財産に当たるものを社団法人では要求せずに財団法人ではそれとは区別して要求するということには、なかなかつながらないのではないかと思います。したがって、立ち戻ると財団法人が財産の固まりであるからという理論的なところのみに依拠しているのではないかと思いまして、そうすると、必ずしも財団法人という名を名乗ることと、社会にある財団法人に対するイメージの連続性みたいなものがありますから、不連続になることを必ずしもよしとしない面もありますが、そこをうまく調整できるのであれば、基本財産については柔軟な方向で考えるべきなのではないかと思います。

○ しかし、委員がおっしゃったように財産の集合体として財団法人を考えると、少なくとも1円はまず必要ですよね。あと、社団タイプですと、設立のときにはプラス財産だったかもしれないけれども、その後、実質債務超過になっても法人としての存立の意義は失われないという考えはできると思うんですが、財団法人の場合、債務超過の財団というのを認めていく必要があるのか、あるいはあるべきなのか、そこは議論があり得るのではないですか。そこまで社団と同じに考えられますかね。

○ それは直感的にはよく分かるんですが、何が違うかというところを考えると、社団の方には経費負担義務が社員に課せられているので、そこから収入がある場合がある。しかし、財団の方は社員がいないので経費負担義務がおよそあり得ないということでしょうか。しかし、他方で何か事業をしているものも考えると、社団は事業をしているからあるとき債務超過になっても将来、資産超過になる可能性があると考えられます。財団の方もその可能性は完全には排除できない。

○ 事業型というのは、そもそも財団でどれだけ認める必要があるのかということなのかもしれないですね。財産の価値を利用して、社会的に何らかの活動をしてもらうのが財団法人の役割だと考えるのであれば、財産を使わない事業目的のために財団法人を認めて活動させる必要がどれだけあるのかという点で議論があり得るのか。それならば、今は1人社団だって認めるなら、そちらでやればいいのであって。

○ 事業をやる以上は社員を伴うタイプのものでないといけないということでしょうか。

○ そういう考え方はあり得るのではないかと思います。

○ それはなぜなんでしょう。やはり事業というのは臨機応変に判断する必要があるから、ガバナンスがある程度機能的に動けるようなタイプのものでないといけないということでしょうか。

○ まさに事業というのは、本来人の活動なのではないですかね。

○ しかし、社員が活動するわけでは必ずしもなくて、社員は基本的な意思決定をするところにあって、社団法人が従業員を雇って活動するということはあるわけですよね。それと同じように、勿論理事者はいるわけで、財団法人も理事者がいて従業員を雇って事業をすると考えられます。それが本来の趣旨かどうかというところがまさに問題なんですが、しかし、どこが違うかというと、社員がいなくて社員総会がなくて、理事者に対する社員総会からのモニターができないということです。私が必要以上に割り切っていて、もっとさまざまな違いがあるということでしょうか。

○ 委員がおっしゃるのは非常によく分かるんです。つまり、社員ゼロの社団法人を認めようというイメージだと思うんです。それは、よく分かるんですが、ただ、それをどういうふうに理念を説明するかということで、やはり技術的な説明になってしまうのではないかと思うんです。それに対して、一応財産を前提としますと、例えば、財産処分の自由というようなことと結びつけたりできるということだと思いますが、もし、おっしゃっているような社員が2人以上の場合と1人の場合とゼロの場合と、それぞれあっていいではないかということですと、そのより積極的な意味付けを見つける必要があるのかなと思います。

○ それは恐らく、社員がゼロの方が、その法人の法的主体としての目的というか性格の継続性が高いということなのだろうと思います。あるいは継続性の高いものについては、先ほど委員のおっしゃったことの裏返しなんですが、社員をゼロにして余り自由に動けないようにする。それも理念というか、技術的にそういうことができていいではないかという程度なのかもしれませんけれども。しかし、そういう形の財産の拠出の仕方というものもあっていいのではないかと思います。先ほどの再開発というところは、また別の方策で手当ができればいいのではないかと思いますし、現在の民法にありませんので、もう一つ新しい考え方を取り入れるのは難しいかもしれませんが、存続期間というものを設けることは考えてもいいのではないかと思います。

○ 今、両委員の間では、事業を行うタイプの財団法人というものを考えたときに、委員は一定の基本財産というものがあった方がいいのではないかという議論だったと思うんですけれども、恐らく財団法人は最初に申し上げたように幾つかのタイプがあり得て、1つは、事業型の話が出たので事業型から言えば、一定の財産を拠出してそれを基にして事業を行う。だけれども、それは社団法人ではなくて財団法人という形で事業を行う。これを積極的に排除しなくてはいけない理由は恐らくないと思うので、そういうものは認められる。ただ、それは本来のタイプかどうかというのは確かによく分かりません。
 2番目は、むしろ拠出する財産を一定の目的で拘束するという、拘束する点に社会的意味があるというのは、もうちょっと言葉は選ばなくてはいけませんけれども、それは不動産であったり、建物であったり、あるいはマイナーな話ですが、たまたまちょっとある人の論文を読んでいる最中で、それに出てくるフランスで言う「思い出の品」というのがあって、これは家にある小さなものなんですけれども代々伝わっているものとか、個人の手紙であるとかそのたぐいなんですが、一般から見れば財産的価値は余りないんですね。だけれども、それをめぐってフランスなどで非常に裁判もたくさんあって、それが誰に帰属するかというのは常に争われているんですね。こういう財産をある種の目的で拘束をして、家族全体のために保管しましょうということで目的による縛りを掛ける、それは小さなレベルですけれども、もうちょっと大きいレベルでもそういうふうに財産そのものを一定の目的で拘束して、それに従った使い方、管理の仕方をするというのが2番目にあると。
 それから、3番目にはさっき言ったように、事業型と近いかもしれませんけれども、助成型ということで積極的に事業をするわけではないけれども、その財産の収益からどんどん助成していく。その3つぐらいが考えられるのかな。
 基本財産として最低額みたいなものを要求すべき、これも論理必然的ではないかもしれないけれども、事業型についてはある程度そういうことが言えるのかもしれないけれども、社団法人との比較から当然には出てこないかもしれない。
 それから、財産そのものについてそれを拘束するというタイプになると、これはさっき言ったように手紙だとか何とか、余り価値もあるわけではないし、恐らく幾らの額だというのは余りそこでは意味がなくて、まさにどういう財産を出したかというところに意味があるので、それに基本財産としての最低価値、最低額というのを要求するのはおかしい。
 それから、助成型は継続的にそういうことをやっていくのだったら一定の額が必要だというのは出てくるかもしれませんが、これも、もしなくなれば、その段階でもってその法人は解散すればいいので、公益法人の場合と違って非営利法人の場合には、いつ解散してもいいと考えれば、一定額を要求する必要はないのではないか。そんなふうにも考えます。

○ 財産がなくなったときに、解散義務はなくていいわけですか。

○ それは何か設けてもいいかもしれませんね。それから、委員が言ったように、債務超過みたいになったときに。これは現在でも生じる問題です。

○ 日本も戦前は債務超過になったときの解散義務が理事者にあった。会社ですと取締役ですね。破産申立て義務が課せられていました。ドイツでは今でも課せられているわけで、そういう法制を採るかどうか。

○ そういう形で債務超過の財団みたいなものをそのまま長いこと存続するというのは避けることができるのであれば、委員の心配というのも、そんなにはないのかもしれませんね。

○ 社団タイプと違いがあり得るとしたら、そういうところかなと思ったんです。マイナス財産になって、言わば債務超過で債権者に損害を与える可能性があり続ける財団法人というものの存続を認める必要があるのかというのは、一応問題ではあり得るように思うんです。

○ 現在の実情はどうなんですか。債務超過であれば破産の申立てができるわけですよね。それを実際に誰もしないので、そのまま債務超過の状態で続いているという財団法人があり得るということですか。

○ いっぱいあるのではないでしょうか。

○ 民法で申しますと、裁判所が職権で破産宣告できると思います。

○ これは中間法人やNPO法にはないんですか。

● NPO法は恐らく民法の規定を準用しているのではないかと思いますが、中間法人は準用していないと思います。

○ 破産申立て義務も。

● 中間法人は商法、会社並びだと思います。

○ そうですか。

● 恐らく債権者が申し立てるケースが多い。申し立てないとすると、それは債権者の選択であろうと思います。どうも破綻状態にあることを余り顕在化させたくないようで、ある財団法人が破綻状態に陥ったときも、結局は最も大きな債権者が申し立てたというケースがございました。破産手続に費用が掛かるという辺りも関係するのかもしれません。

○ 理事のような立場の者の職務上の破産申立て義務について、たしか倒産法制の議論をしたときにも、そういうものを横並びに一般的に存続させるかどうか議論があったと思いますので、あちらとの調整も御配慮いただければよいなと思いますと同時に、もっと問題なのは、法律的な原因での破産原因が起こるところまでいく手前の段階で、例えば、助成なら助成で債務超過ではないけれども、こういうふうに財産が減ってきていて、事業の遂行は実際上望めないんだという状況になっていったときに、特に寄附行為などで解散に向けての道筋が予定されていなくて、形骸化が始まる財団の扱いをどうするかということが、現状公益法人であれば建前としては監督の制度が予定されているところが、そうではないところをどうするかというところにあるのではないかと思います。

○ 現在の公益法人は、債務超過でも主務官庁は特に指導していないということですかね。

○ 先ほどからの雰囲気ですと、最低基本財産の規模についての規制は余りうるさくしない方がよろしいという御意見も多いような感じもするんですけれども、理念といいますか、政策的な説得力の問題として、一般的な、公益性を要件としない財団の制度を入れようとしているときに、あくまでも理屈の話ですけれども、1円が基本財産という財団を設立できますということについて、言わばそういう財団の制度を設けるんだという社会的な説得力といいますか、社会的な意味の説明が果たしてうまくいくものだろうかと考えます。そういうものを設けるなら、やはりある程度の財産の固まりがあって初めて、とりわけ助成型の財団を抜きにして財団法人のことは、いろいろなタイプがあるにしてもできないと思うのですが、助成型の場合に10円か100円なんですと言ってきたときにも、建前上登記を認めざるを得ないという制度が論理的にはあり得ると思いますけれども、政策的な説得力があるのだろうかということが、やや疑問のような気がいたします。
 同時に、先ほどの先生がおっしゃった手紙とかあるいは壷とか家宝みたいなものをとっておくための財団というのは、それをこの制度に取り込む意味があるとすれば、確かに手紙1通の価値というのは皆無に等しいというか主観的な価値しかないと思いますから、最低規制を設けることはそこのところでは好ましくないということになるかもしれませんが、それについては、その前提としてそういうものを今回の一般的な財団制度が受け止めてあげる1つの典型的なパターンに考えるのがよいのかどうかというところからも御議論いただいた方がいいのではないかという気もします。

○ それは、そういう形でも使えるというだけの話ですね。
 それから、実効性があるかどうか分からないけれども、具体的な金額を書くのではなくて、ただの指導理念かもしれないけれども、その目的を遂行するに必要な財産というものを要求すると。1円ではやはりだめでしょうというぐらいの。ただ、どこかでそれを使ってチェックすることができるかというと、それはできないかもしれない。ただ、考え方ですよね。もし、説得が必要であれば。

○ 委員のおっしゃった社会的な説得力があるかというところは、私もそのとおりだと思いまして、そこが乗り越えられなければ、幾ら論理的に平明だということでも退かざるを得ないだろうと思います。ただ、実際論として、こういうタイプのものについてどう考えるかということを特に委員に伺いたいのですが、余り多くない額で、1円かどうかはともかく、1万円とか10万円とかで財団法人をつくって、それから寄附を集めると。それも小口の寄附をたくさん集めると。いろいろな方法で理事者についての社会的な評判はあるので、信頼を基礎にして集めると。それから事業を始めるというタイプのものは、当初基本財産についての制約を低くすることによって可能になるかなと思います。それも10年先に寄附を集め終わって何かするということに対しては、社会的な説得力がなかなかなくて怪しいと思われるのだろうと思いますが、しかし、1年ぐらいまず寄附を集めて、それから何かをしますというようなタイプのものというのは、強い社会的なニーズがあるかどうか分かりませんが、あって良い、適切な目的には使えるのではないかと思います。

○ 今の例は、公益性のある財団の場合にはあり得るかなと思うんですが、共益性のある場合はどうだろうか。例えば、同窓会のために小さなところから始めて広げていくというイメージだと思うんですが、その場合には社団法人でもできるのではないかという気もするんです。ですから、今挙げられた例というのが、どういう状況を考えておられるのかということです。

○ 経産省が所管している新事業創出促進法がまさにそうですね。5年内に一定額まで資金を集めるということを要件にして、事前に事業計画と資金の計画を出させ、更に会社成立の届出にかかる書面の提出及び計算書を提出させるという法制にしています。しかし、実際にはこれらは余り守られておらず、実態から言うと非常に問題であると思います。

○ 一応していることになっていますが。

○ 実際は行われていないようです。法律上は罰則等が定められているんですが、実際は全然調査をしていませんから罰則を掛けられないので、守られないのです。

○ そういう方法で担保するのは、この制度についてはその制度が新事業創出促進法でうまくいっていたとしても、余り適切ではないでしょうね。どこか官庁に対して確認をしてもらうというわけですよね。

○ ですから、あくまでも計算制度との見合いだと思うんです。官庁がそういうものを確認するというやり方は多分とらないとは思うんですが、それに代わる何か計算書類等を公衆縦覧に付して誰かが異議を唱えることができるような制度にするとか、何か考えることになるだろうと思います。単に精神規定だけの話ではない。

○ 基本財産をめぐっていろいろ御議論いただいておりますけれども、今資料9の1のところまで御説明いただいているんですね。議論としてはすでに資料10についてものもある程度で対象に入ってきていますが、資料10が別にあるので、事務局から何か特につけ加えて御説明いただく点があれば、していただきましょう。

● いえ、この資料10は前回の御議論を反映させたものでございます。意義として「※1」のような整理、「※2」のような整理。他方、留意点といいますか、弊害が「※3」でございます。
 「※2」の@に対応する弊害が「※3」の@で、「※2」のAに対応するものが「※3」のA。「※3」のBといいますのは多分、財団制度全体に対する問題指摘であろうと思います。
 あと、若干つけ加えるといたしますれば、「※2」のAでございますが、本文は「人々の結合体ではなく、財産の集合に法人格を与えることに意味があるのではないか」と書いてありますが、括弧内の例に2種類掲げさせていただいております。美術館の管理・運営というのは、典型的なケースでございます。同窓会のために用いる財産の管理を目的とするというタイプは、むしろ社団でもできるけれども、同窓会の社員が余りにも多数になる場合にはあるいは財団。財産も同時にある団体でございますので、財団形態を選ぶという意義もあり得るのではないかという前回の御指摘でございます。

○ それから、今日の資料9の1の御議論の中で、今、基本財産の規模に関する議論を大分していただきましたけれども、基本財産となし得る財産の種類も現在の公益法人に関する指導監督基準との関係で言うと、多少御議論いただいた方がよろしいかと思いますが、現在の公益法人のところで考えられている基本財産というのは、例えば、余り価値が目減りしてはいけないとか、公益事業をする上でどうしてもなくてはいけないような財産というものを基本財産と考えているために、どうしてもいろいろ縛りが多いのだと思うんです。これが非営利法人ということになりますと、金額の点でも、それから、基本財産となし得る財産の種類に関しても、余り制約はなくていいのだと思いますが、これも大体そんな理解でよろしいでしょうか。さっき言ったように、積極的にある特定の財産を出すこと、そして、その目的による縛りを掛けることに意味があるというタイプについては、そういう種類の財産ではだめだという言い方をするとできない場合が出てきて、それはちょっと議論としておかしいのだと思います。非営利法人の場合には、恐らく財産の種類を縛るという積極的な理由はないということでよろしいですか。
 基本財産をどこに位置付けるかという御議論ですが、ちょっと細かいレベルですけれども、例えば、寄附行為の必要的な記載事項にするかとか、あるいは手続を法定するかとか、少し細かいレベルの議論もありましたが、これも積極的に詰めて議論するのはもうちょっと後でいいかもしれませんが、もし何か御意見があれば。
 ドイツなどの財団は寄附行為に書いてあることが多いですね。ですから、寄附行為に書いてあるのでそれを減らしたり、変更したり、処分したりする場合には、寄附行為の変更手続をしなくてはいけないので、そういう形で縛りが掛かってくる。それ以外に法律上の縛りは特にないのではないかと思います。よろしいですか。
 では、また後で議論があれば戻ることにして、今日はガバナンスの方も説明の用意ができていますか。

● それでは、2「非営利財団法人(仮称)のガバナンス」について御説明させていただきます。大きく(1)(2)の2つ取り上げさせていただいております。
 (1)評議員会制度に関する論点といたしまして、「※1」非営利財団法人(仮称)のガバナンスを高めるためには、評議員会制度を法定するということを積極的に検討するべきではないかという論点があると思います。ちなみに、第1回のワーキング・グループでも御報告いたしましたが、現行の公益財団ではございますが、評議員制度がある法人は約1万3,000のうち1万法人に上り、77%を占めているということでございます。
 というような評議員について、では、指導監督上の措置ということではなく法制度として考える場合に「※2」といたしまして、理屈上どういう仕組みが考え得るかをたたき台に掲げさせていただきました。おめくりいただきまして3ページに3つございます。冒頭の積極的に検討すべきではないかという観点からは、これを法律上明確に必置機関と位置付けて法定するというような考え方。Aは、そこまで至らず、評議員を置くかどうかは寄附者に任せるわけですが、置く場合の規律は法定するという考え方。Bは、法定はしない、任意で置くかどうか、内容も含め寄附行為に任せるという考え方が理屈の上では考えられるのではないかと。ほかにもあり得るかもしれませんが、そのように考えております。
 「※3」でございますが、評議員会の位置付け及び権限に関する考え方が問題となろうかと思います。ここもそもそもの位置付けについての基本理念はどうかというところがまずもって問題となるのですが、権限についての表れといいますか、2つほど大きく考えられるのではないかと思いました。
 @が、評議員会は法律、寄附行為で定める事項について決議を行う機関、議決機関とする。言わば、財団法人の意思を決定する機関という位置付けになって、だんだん社団法人における社員総会に類するような形になろうかという印象も持ちます。
 Aはそうではなく、評議員会は法律又は寄附行為で定める事項について理事から諮問を受け答申を行う機関、諮問機関とする考え方があり得るかと思います。意思決定は理事者がすると。勿論、寄附行為に拘束されるわけですが、理事者がする意思決定について意見を述べる立場、機関という位置付けでございます。
 なお書きでございますが、現在の公益財団法人についての指導監督基準上の評議員会は括弧で引用させていただきましたが、理事・監事の選任機関、ここは意思決定をする部分でありますが、それ以外の部分等が法人の重要事項については諮問機関という位置付けが与えられておるようでございます。
 なお、この点資料については書いてございませんが、特別法上の財団法人と位置付けられるもの、学校法人ですとか更生保護法人、社会福祉法人、これらは社員を必要要件としない財団タイプと考えられますが、これについての評議員の位置付けも基本的にはまず、必置にするのは学校法人。社会福祉と更生保護は置くかどうかは任意。中身についても寄附行為で委ねているタイプ。
 ただ、1点申し上げたかったのは、寄附行為によって議決機関と高めることができるというような規制になっておるようでございます。原則は諮問機関ですが、寄附行為によって議決機関に高めることができるという規律が置かれておるようでございます。恐らく民法上の法人は、指導監督のとおりにしてもよいし、上乗せであれば多分余り怒られないのだろうと思いますから、議決機関と高める、それが上なのかどうかも議論があるかと思いますが、あり得るかと思いました。失礼しました。
 「※4」については若干細かい点でございますが、評議員の選任に関する規律の在り方も問題になろうかと思います。3つの観点がございまして、評議員を理事が決めるというのが@。これは現行の指導監督基準と同じでございます。Aは、それでは果たして実効性があるのかという観点から、理事のみが決めるのではなく、評議員会も後任を選ぶ権限を持たせてはどうかという考え方であります。Bは、そこは寄附行為者に任せると。寄附行為者が評議員の選び方も決めるという考え方が大きくあろうかと思いました。
 以上が、評議員会でございまして、(2)が評議員会という別の機関を設けてガバナンスをどうかというアプローチではなく、執行機関としての理事あるいは民法でも任意の機関として置かれている監事の制度を拡充することよって、ガバナンスを高めるという考え方もあろうかという点でございます。
 「※1」が理事でございまして、理事の人数を3人以上とする。合議制理事会を構成するというようなことを検討してはどうかということでございます。社団については自由な規律ということで、理事は1人を原則と考えておるという御議論が進んでおると思いますが、少し変えてはどうかということでございます。
 「※2」は、監事を任意ではなく法定の必置機関として理事の監督機関を制度化するというようなことは検討できないかという点でございます。
 以上でございます。

○ いかがでしょうか。ここも評議員というものをどう位置付けるかというのがなかなか難しい問題で、現行法は現行法で評議員というのが民法の中に規定がないために位置付けの難しさというのがありますが、仮に新たに立法するにしても、社員がいないタイプの財団法人で評議員というのは一体何なのかというのを位置付けるのは、そう簡単ではないのではないかという気がします。御議論いただきたいと思いますが、いかがでしょうか。
 さっき言い出したことの続きですが、社団法人だと社員という立場、これは社団法人の構成員という位置付けがされるわけですが、そういう社員あるいは社員総会で、言わば執行あるいは代表機関である理事を監督するというのは、それなりに明確な図式なのだと思いますけれども、財団法人の場合には、一体理事と評議員との関係はどういう関係なのかというのが、社団法人の場合と結果的には最後は同じように考えていいのかもしれませんけれども、そこで言う評議員というのは一体何なのかというのは、なかなか説明が簡単ではないという気がしているんですが。

○ 今のお話は、ガバナンスということが誰のためあるいは何のためかということだろうと思うんです。評議員というのが設立者意思を担保するためのものと考えるのか、もう一つ、債権者との関係で財団の運営を適正化するためのものと考えるのか、多分両面あるのだろうと思います。先ほど社員総会との対比をおっしゃいましたけれども、それは恐らく前者との関係かなと思いました。

○ 評議員という制度を必置の制度として設けるかどうかということですか、それとも任意に設けるのだったら、こういう制度として規定するということですか。

● それは、いずれでも。事務局の方でこうということはございません。

○ 現実論として理事を選ぶ機関として評議員会がないということは考えられないのではないですか。現行民法ですと、最初の寄附行為に定められた理事が死に絶えるか退任されたら、誰も管理する者がいなくなってしまう。

● 寄附行為の定め方いかんによっては、恐らくそうなると思います。ただ、「役員ノ任免ニ関スル規定」が寄附行為の記載事項となってございますので、選任手続についても寄附行為で定めるというのが民法の立場だと思います。もちろん寄附行為の定め方に対する指導監督という問題もあろうかと思われますが、法律には書かなくても、適切に指導監督するだろうという発想があったかどうかは分かりません。

○ いいかどうかは別として、もし評議員がいないときに理事の選任手続が特別に定めてあれば勿論それによるでしょうけれども、それがないときに理事が自分たちで補充するという考え方はあり得るんですか。これは評議員について同じような問題が生じて、評議員は一体誰が選ぶのか。評議員を選ぶ別な母体というのはないので、理事が選ぶのかというと、それも堂々巡りの変な話になるし、評議員は評議員で自分たちで補充するという考え方があり得る。そうすると、評議員がないときに理事だけでも同じことがあり得る。

○ 今、先生がおっしゃったように、理事と評議員の関係がいつもよく分からないというか不自然な印象を与えるのは、何となく共食いといいますか、食ってしまうではなくて逆につくり出すのだから「共づくり」と言ってもいいんですが、ぐるぐる回っているような印象を受けるんですよね。そのことと先生から御指摘のあった、2つおっしゃったうちの一方の設立者意思の拘束の担保ということを考えますと、少なくともお挙げになった選択肢のうち、理事の過半数と評議員の過半数でお互いに選び合う格好しかあり得ないという形は、ちょっといかがなものかと考えます。ある程度寄附行為の中に、それもいい加減に決められてしまうと、ちょっとガフガフになってしまうんですけれども、決められる余地というものを認めないと、設立者意思による縛りとして動いていかないであろうという気もいたします。

○ おっしゃるとおりだと思うんですが、では、どういう仕組みをつくったらいいのかというと、なかなか。

○ これは、現在の公益法人を前提にして考えるのではなくて、新たに非営利ないし公益を含めてですけれども、財団法人タイプというものをつくって、その機関としてどういうものを設けるかということから出発できるので、評議員を理事が選ばなくてはいけないという選択肢は採らなくても済むと思うんです。現在は恐らく理事会が必置機関で、評議員会というのは必ずしも必置ではないので、また、民法上も根拠がないので理事が評議員を選ぶという形になっているのだと思います。しかし、新しい財団法人のもとでは、言わばガバナンスの権限を理事と評議員という形で分けるという発想が必要です。分けてガバナンスがうまく監督できるような形で、それぞれの理事ないし評議員というものが選ばれるような仕組みが望ましい。そういうふうにゼロから出発して考えると、1つのやり方としては、評議員は評議員の中で補充していく。評議員会は理事を選んで、理事は執行ないし代表というレベルで行動する。評議員会は意思決定、理事の監督という位置付けになる、そんな在り方というのが1つあり得るわけですね。

○ 今の先生の案は、評議員は評議員会が選んで、理事は。

○ 評議員が評議員会で選ぶと。

○ そうすると、評議員会だけは自らを選んでいける機関だけれども、理事はそうではないということですか。

○ そうですね。それでいいのかどうか分かりませんが、ゼロから出発してつくるのであれば、そういうガバナンスの在り方というものがあるのではないかということです。

○ 評議員がいなくなった場合はどうなるんですか。

○ それは、何か手当を設けるのでしょうけれども、考え方としては。

○ 理事の申立てによって裁判所に請求するというようなつくりになるのではないでしょうか。

○ 理事自身が選ぶのではないということでしょうね。

○ しかも、今の案では、評議員会は自ら評議員を選べるわけですから、欠員が出たら評議員会で選べば。

○ 本来は。評議員会というのは1人や2人ではなくて、ある程度人数がいて、全員が欠けるということは普通は考えないという母体ですね。

○ 小規模の財団ですと、余りたくさんの評議員というのは期待できないですよね。やはり3人という感じですか。

○ 最低。

○ 先生のお考えですと、理事の選任はオプションではなくて評議会で行うことを法定するというものですね。寄附行為の中に理事任命の方法を定めるのが現行法ですので、その延長線で考えると、例えば何とか株式会社の社長が選ぶと書けば、その会社がある限りは理事の交代は一応確保されると。

○ 第三者が選ぶわけですね。

○ そうですね、第三者が選ぶということです。あるいは理事会で選ぶというようなものが許されるかどうか、適切性があるかどうか問題は残りますが、そういうものもあり得るとするか、それとも新しい財団法人制度のもとにおいては、委員の発想の一部を受け継ぐことになりますが、設立者の意思を体現するものとして、まず理事を選任する機関として評議員会を必置、やはり選任は必ず評議員会が行うというようなことになりますか。

○ 初代評議員というのは、やはり寄附行為か何かで。

○ そうすると、初代の理事はどちらが選んでもいいということになりますでしょうか。寄附行為で選んでもいいし、評議会で選んでもいいと。

○ 小さい財団というものもあり得るので、どこまで法定すべきかというのは1つの問題だと思いますけれども、まず一番望ましい姿は何なのか。それから出発して、どういうものまで許容できるのだろうかと考えていけばいいのではないかと思いますけれども。

○ 望ましいのはどうかと考えると、先生がおっしゃった理事を誰が選ぶかという問題、社団法人には社員総会があるけれどもというところから答えを探ると、やはり評議員会というような別の機関で、そして、ぐるぐる回らないタイプのものというのがまず思い浮かぶのではないかと思います。それで、理事選任のために必要な機関として評議員会を設置するのであれば、次の話を先取りするかもしれませんが、寄附行為の変更とか大きな問題、設立者がどう考えるか聞きたいような問題といいましょうか、それは設立者では勿論なく評議員会に聞いて、そこの決定があればできるというような形にすることによって、財団法人が持つ流動性あるいは柔軟性を減殺してしまうという問題に対して一定程度の対処ができ、しかし、大きな事情の変更がなければ、安定して継続性を持った形で運営できるというようなものができるのではないかと思います。そのように考えていくと、コストがどれくらい掛かるかですかね。

○ 今おっしゃったのは、寄附行為に異なることを書けば、それは自由に認められるということなんですか。

○ ちょっとそこはどちらがいいかよく分かりません。

○ さっき事務局がおっしゃったように、理事も最初の寄附行為で定めているが、寄附行為で定められた理事を評議員会が例えば解任できるかとか、そういう問題も出てきますね。若しくは、理事の選任権は評議員会固有の権限だということであれば、解任の権限もあるのが自然だと思うんですけれども。それを寄附行為で変更できるように決めるかどうか。

○ 2回目からの理事の選任機関という性格付けの可能性もあるのではないかと思います。ただ、任期の問題をどうするかが関連してきます。

○ それも寄附行為で自由に定めるのかどうかですね。

○ どこまで寄附行為による自由度を認めるかというときに、余り望ましくはないけれども、財団法人の場合には設立者の意思の体現も執行もすべて理事なんですということで、理事が少し多めにいて、その中でまた代表理事を選ぶということがあっても、これは望ましくはないが、だめだとはいえないかもしれない。社団法人だと、やはり社員という地位に基づく社員総会という別な機関があるけれども、理事の中で理事会があって代表理事をチェックするんだという形がとれるのであれば、それも許されていいのかなという気もしないではないです。だけれども、それは実際上、今まで余りそういう形が機能していないと言われているので、そこに躊躇がありますけれども。

○ 恐らく理事が理事を選ぶというところが問題で、実質的な問題なのか外形的な公正さが担保されていないということなのかどちらか分かりませんが、それがあるのではないでしょうか。

○ どこが問題になるのかな。つまり評議員会というものを設けると、それが大丈夫で。

○ それは、権力分立の考え方ではないでしょうか。たとえ現行でとられているようにぐるぐる回るものであっても、理事が評議員を選び、評議員が理事を選ぶというのであっても、理事の中でやっているよりは良いことではないでしょうか。

○ つまり自分は代表理事になれないと。

○ 最後にあるのは、役割分担をすることによって、より適切な判断が確保されるという考え方なのではないでしょうか。

○ 大きい問題としては、例の自益のための非営利財団法人を認めるかどうかとう根本の考え方ともかかわってくると思います。そういう自分の財産の自由な処分権の一部として、それを広く認めるという趣旨で非営利財団法人を認めるのでしたら、寄附行為自由の原則を非常に広く認めてしまえばいいということになると思うんですけれども、他方、やはり社会的にある程度しっかりしたものであることが期待されるんだということになると、ある程度強行法的に定めるという考えになると思います。今までは主務官庁が実質的にチェックしていたから現在のような寄附行為も自由な形でよかったかもしれないけれども、そうではなくて、準則主義になって主務官庁のチェックが働かないんだったら、ガバナンスもそれなりにしっかりしたものにしてもらわないと認められないということになると、寄附行為自由の原則ですべていっていいのかというのが出てきてしまうと思います。そうすると、委員のおっしゃったようないろいろな工夫を、ある程度強行法的なものも含めて仕組まないといけないということになるのではないかと思います。

○ そこでまた、さっきの社団との関係とか同じ議論が出てくるんですけれども。

○ 目的については、余り厳格に考えずに自由に広げるけれども、ガバナンスの仕組みを重く強制することによって、見合わないものは入ってこないだろうというような考え方になりますでしょうか。

○ 自由な財産処分の一部だとなると、それこそ家産を守るために何々家の長男が指名するというようなものだってあり得るわけで、ある程度そういう社会的にしっかりしたものを期待するということであれば、そこまでいけるか問題になりますね。

● 法人格の意味から考えて、社会的意味のある法人格が必要なのか、社会的に意味があるというのは誰がどう判断するのか。法人格が与えられるとどういう効果があるかというと、私法上の権利義務の帰属主体が自然人以外につくられる、その組織運営に関する規律を定めるというのが最小限の目的で、どういう組織運営の規律がされておるかということがあらかじめ対外的に分かっておれば、取引する人なり関係する人々は登記によって公示はされるわけですから、判断のきっかけがある。それはちょっと行き過ぎなんでしょうか。つまり、そうだとすれば、財団の例で言えば設立者意思になるべく忠実なものを寄附行為で自由につくってもいいのではないか。そういうものだということが外形的に明らかになっておれば、それなりに気をつけていただければいい、それはちょっと行き過ぎなんですか。

○ 事務局がおっしゃるように割り切れるかという問題ではないでしょうか。そういう登記などを見て取引する人ばかりではないし、不法行為等を起こす可能性もある。あるいは脱税の目的に使われるとかいろいろあり得る。それを単に登記の公示で取引する相手が注意すればいいというだけで割り切れるかが問題で、もし割り切れないとすると、やはり社会的に見て相当な活動をすることが期待されるような仕組みはせめてつくっておかなければということになるのではないでしょうか。

● それが法人法制の役割の1つであるかどうかだと思うのですが。

○ 私なりに事務局の今の問いに答えるならば、最初の方で委員がおっしゃった評議員制度を設ける2つの趣旨というものの第2の趣旨も取り込むことによって、準則主義のもとで法人格を創設し、社員がいませんから責任は法人格のみが負うわけですので、それが取引の社会において適切に行動されるために理事だけでなく評議員会という二重の構造を設けることによって、適切な担保がよりよく図られるだろうということになるのではないでしょうか。

● 分かりました。失礼しました。

○ 今は1つのタイプだけで法定の方がいいかな、強制の方がいいのではないかなと思いますが、さらに言うならば、ここでも2つ社団法人と同じようにつくってというようなことはあるのだろうと思います。ですから、評議員会設置タイプと評議員会のないものとで、自由に私人が本当に簡単に財団法人をつくりたいというときには、別に評議員会がなくたっていいだろうというようなことはあるかなと思いますが、今の私の意見はそれをつくるまでもないだろうと思います。

○ 今いろいろな御議論が出たんですけれども、次回以降の作業の大体の指針としては、簡単に寄附行為自由原則強調主義と法定準則強調主義というふうに仮に2つあるとすると、その2つつくるまでもないというお話だったんですが、1つつくるとすると、どっちが軸足になっていくことになるんですか。今までの御議論の大体の平均値として。

○ それは、非営利非公益の財団法人をどの程度自由につくることにするかと密接に関係しているのではないでしょうか。今の段階で何らかの縛りを掛けるのか、それとも完全に自由にしてしまうのか、そこが決まれば今の委員の御質問についても大体方向が出てくるのではないかと思いますけれども。

○ そのように思いますけれどもその上で、今日の段階で全部が決まるということではないと思いますが。

○ さっきの縛りというのも実際上なかなか法律で縛りを掛けるのは難しいので、事実上いろいろなものが入ってくる。あとは、税の方で対応してもらうというふうに考えると。

○ ですから、その絞りは目的で絞るか、基本財産で絞るか、ガバナンスで絞るか、いろいろな絞り方があると思うんですけれども、そもそも絞るべきかどうかというところなんですね。多分、何らかの方法で絞るべきだというのが今日の流れかなと思っているんですが、委員はそうでもないんですか。

○ いえいえ、何らかの方向に縛るべきだと思うんですが、問題は今おっしゃった3つを全部ガチっと縛るやり方と、どこか重点的に縛ったあとは比較的ソフトにするやり方との組み合わせのどっちでいくかということだと思います。

○ 3つ全部縛るというのは基本的な理念と余り合致しないような気がするし。比較的、基本財産の辺りを縛った方がいいだろうという意見が強いのかな。私はさっき言ったように、目的遂行のために必要な財産というぐらいの縛りであれば問題ないと思うけれども。

○ ガバナンスと基本財産を絞って、目的は余りうるさいことを言わないみたいな組み合わせはあり得ると思います。

● 準則主義を前提と仮にいたしますと、縛る規定を置けるかどうかという意味では、多分3つともどれでも縛る規定は置けるのだろうと思います。準則主義の中でどれがチェックできるか、あるいは実際の活動は誰も見ませんから、その意味ではどれもチェックできないのかもしれないんですけれども。

○ だけれども、仮に寄附行為を公証人が認証する仕組みをつくるということになると、その段階で事実上チェックされることは結構あると思うんですよ。

● 設立段階では勿論そうだと思います。ただ、活動していく段階では、私はむしろ目的よりも財産とかガバナンスの方に関する規律をしっかりするほうが意味を持つと思います。つまり、関係者がポジションにつくことによってガバナンスが高まるのではないでしょうか。もちろん、やる気のない人がポジションについてしまえば、意味はないのですが、それはどのような制度を設計しても一般論として避けられない話であり、仕方がないと思います。また、基本財産の方は、少なくとも設立登記の段階では、その証明を出させることによって担保することができると思います。もちろん、その後がどうなってしまうかはまた難しいんですが、維持義務の実際のつくり方を機関がどう見るか、関係者がどう見るか、債権者も含め、そういうところで多少とも機能させていくことは考えられるのではないかという感じがいたします。目的もそういうふうに言えば同じになるのかもしれませんけれども、目的を限定することについては、それを担う人々がそれをちゃんと守っていけばいいのかもしれませんが、何かちょっと間に違いがあるような気がするのですけれども。

○ どうなんでしょうか、目的と財産というのは密接不可分に結びついているということはないですか。この財産を使ってこういう目的のために活動するとか、目的を掲げておいても、その裏付けとなる財産が財団組織の場合には必要なのではないかという感じがするので、あえて言うと目的と財産を掲げるというやり方は考えられるのではないか。
 それから、組織について規定することは私も重要だと思いますし、評議員会も置いた方がベターだと思います。閉鎖的法人というか、家族会社のような感じで、実質的には適当に処理されてしまうということが多いのかなという感じはするんです。その辺はさっきおっしゃったように、非営利の法人だからある程度フレキシブルにということもあるかもしれませんが、他方ではそういうものが存在すると、いろいろな取引のときに取立てが困難、回収が困難になってしまうということもあるでしょうから、誰がやっているのかということをはっきりさせて、場合によっては理事個人に保証人になってもらうとか、いろいろなことが必要になってくるので、ガバナンスというものも結構必要かなと思ったりしました。

○ これは委員がおっしゃったように、どこまで財団法人が取り込むかによるけれども、仮に家産的なものが入ったときに、評議員会まで設けるという必要は余りないような気もしますね。

○ おっしゃるとおりで、結局、家産的なものを認めるかどうかという、そこの判断だと思うんです。それを認めるのであれば、おっしゃったとおり長男に云々ということでもよろしいでしょうしね。

○ 評議員のことが一切法律に出てこないというのもまた、ちょっと寂しいですね。必置ではないけれども可能な機関として選択的に複数の評議員から成る評議員会を設けることができるとしておくのがよいのではないか。もし2階に社団的な公益法人と財団的な公益法人の両方を認めるという場合には、その準備段階にもなるわけですね。そうすると、やはり中には最初からきちんとしておいて、いつでも公益法人に移行できるように準備しておこうというものもある。いろいろな段階があると思うので、そこはある程度フレキシブルにしておくのはいいと思いますが、しかし、目的や財産をきちんと考えるということと、ガバナンスをしっかりするということは必要なのではないかという感じがいたします。

○ 全部フレキシブルにするか、2タイプみたいなものを設けるか。
 今の先生のお話でさっきから気になっていた点がもう一つあるので、忘れないうちに申し上げておきますが、財団法人のタイプの設立の際の税金の問題なんですけれども、社団法人の場合には言わば出資みたいにして、税金が実際上掛からないということができると思うんですが、財団法人だと今までは公益法人だから税金が掛からないけれども、非営利の中間法人で財産を拠出するということになると、これは税金がかかるのでしょうか。

○ その点も重要な論点だと思うんです。つまり、例えば株式会社の場合ですと現物出資をすると譲渡所得税が掛かりますね。それと同じことが起こるかどうか。そして、これは非営利財団の場合は持分というのはないわけです。その辺は3月で一応の検討が済むと、4月から税金の問題について税調、主税局とすり合わせをするという場合のことも考えて、税金はどうすべきかということの論点をその都度テークノートしておく必要があると思うんです。今おっしゃったことも非常に重要な問題なので、事務局でテークノートしておいていただくことが必要だと思います。

○ 私が特に気になったのは、勿論今、先生がおっしゃった税金の問題なんですけれども、同時に、財団法人の場合には社団法人と違って出資という形で、まだ何らかの形で持分的なものを持っているから税金が掛からないということができないとすると、事実上、非営利の財団法人といっても、ほとんどは公益のための財団法人というものが主であって、実際上、非営利の財団法人というのはつくる場合が非常に少ない。税の観点からすると、かえってデメリットが大きいためにつくられないのではないかということを思ったんです。ただ、最後の残余財産の分配のところでは、寄附行為でもって残余財産の処分については非営利であれば取り戻せるとすると、やはり税金が掛からない形ができるのかもしれないとも思ったんですが。

○ 取り戻せるということになると税金が掛かる、いろいろな活動をして収益があれば。

○ そっちの収益についてはそうですね。

○ それから、出資の段階でどうかというのは、2つの考え方があり得ると思いますけれどもね。

○ それは、設立の段階で気になっていた点があったものですから。

○ 今、出資について2つの考え方があるとおっしゃいまして、そのうち掛かるという方ですが、先ほど現物出資の場合についておっしゃいましたけれども、金銭出資の場合もやはり掛かる可能性があるということでしょうか。

○ いいえ、金銭出資の場合はそうではないと私は思います。

○ 先生がおっしゃったのは譲渡所得ですよね。

○ そうです。現物というか美術品なら美術品とか何かを基本財産として移転した場合には大変な金額の譲渡所得が生じます。

○ 評価益が実現したと考えるからですね。

○ そうです。

○ 譲渡所得の問題と別にもう一つ、受けた側の法人に受けたことを利益として認識して課税になるかどうかという問題があると思います。

○ 現在の制度を申しますと、ちょっと細かくなりますが、所得税法の第59条というのがありまして、法人に対して無償又は著しく低い対価というのは50%未満だったと思いますが、それで譲渡した場合には、時価による譲渡があったものとみなすという規定があるんです。ですから、放っておくとこの場合はそれに当たるということになりますね。

○ それは、譲渡所得の規則ですね。

○ 所得税法の第59条です。これは考え方としては、譲渡所得というのは持っている財産の価値の増加益ですから、移転の段階で課税しないと永久に課税対象から漏れてしまうということで、シャウプ勧告で取り入れられた制度です。それがまだ部分的に残っているわけです。シャウプ勧告のときは贈与でも相続でも、とにかく生存中のあるいは贈与までの間の増加益は全部譲渡所得として課税するということになっていたわけが、それをだんだん狭めてきて、法人に対する場合と限定承認の場合に限っては残っているわけです。

○ 委員がお聞きになったもう一つの寄附を受ける財団側の利益の認識はないわけですか。

○ それもあり得ると思います。つまり、基金を構成するかどうかの問題があります。判例では、これは下級審の判例ですから、どこまで先例としての価値があるか分かりませんが、出す段階で課税されていれば、法人の方では益金に算入しないというような考え方を述べたものもあります。

○ 言わば贈与みたいなものですよね。

○ そうですね。

○ そういう利益の認識があるかどうかは、まだはっきりしないわけですか。

○ 現在事実上、法人が。

○ 普通の法人ですと益金。

○ それは公益法人だからでしょうか。受ける側で益金と認識しないという立場をとると、受ける側が公益法人になる。今、中間法人に対して寄附をすると、基金ではなくて中間法人の側の利益として認識されますよね。

● 恐らくそうではないかと思います。

○ したがって、公益でないと中間法人に似せて考えるのがまず第一に考えるべき推論かなと思いますので、10億円の財産を譲与所得問題が生じませんから金銭がいいかもしれません、それを財団法人を設立して寄附行為によって寄附すると、それに法人税が掛かるということでしょうか。

● 実例がございませんので何とも言いかねるのですが、その可能性が高いのではないかという気がいたします。

○ 法人の設立については、利益にならないという形で一律に税金が掛からないようにしてくれれば。だけれども、そうはいかない。

○ 公益法人の場合なら掛からないですね。設立寄附の場合もそうだと思うんですが、この財団の場合はちょっと性質が違いますので。

○ 会社の場合には株式があるから、そこで利益が生じていない。しかし、株式に当たる持分もないし、しかし、受ける方に公益性もないとすると、新しい何か考え方を立てないとそこで非課税にすることは難しい。

○ それは特に、やはり非営利の財団法人で問題になるわけですね。

○ さようですね。

○ 社団法人も先ほどと同じように課税されてしまうんですね。

○ しかし、社団法人の方はエクイティ的なものではなくて、別途の性格を持ったもので構成することによって中間法人はそれを回避しているし、ここで考えていることも回避できるだろうということではないかと思いますが。

○ ですから、財団の関係で正面から税を取らないとか判断すると、社団法人は余り苦労はしないのかなと。

○ 財団法人を別途として構成するのは無理ですよね。その基金に当たるものは無理ですね。

○ ですから、正面から受け止めて財団をつくるときにはそれを課税しないとか、ちょっと実現は難しいとは思いますけれども。

● 補足説明できるほどではないんですが、いずれにしても政府税調で御議論いただかなければいけないと思いますけれども、法人税法上、益金については、いわゆる資本等取引は除くという考え方がとられています。今、御承知のとおり公益的な財団しかございませんが、非営利の財団がない中で公益法人については財団の場合、まず収益事業かそうでないかに分かれていて、本来的な非収益事業についてはもとより掛からない。法人の設立時は、それ以外の事業も規定を置いて掛からないようにしているので、事実上拠出には掛からないという構図に確かなっていたと思います。今度は、公益的でない財団についてどう考えるかというと、先ほど申し上げた資本等取引に、最初に拠出した、いわゆる根っこの財産が当たる、当たらないといった議論が恐らくあるかと思います。そこは、きちんと税調の方でも御議論いただいた方がよろしいかとは思います。

○ それによって財団法人が実際上使えるか、使えないかというのは、非営利の財団法人ですけれども。

● その際には、そういう非営利の財団が一体どういうものなんだというところに立ち戻って御議論いただくのだと思います。

○ これは今ここで議論すべきことではないけれども、時々2階建ての話が出てきますが、いきなり最初から公益財団法人になれればいいんですが、一旦は非営利の財団法人になって、それからしばらく実績を積んで、それから、公益法人になるなどというときにも、最初の段階で税のためにまず引っ掛かってしまう。そうなると、この制度は使えなくなってしまいますよね。結構重要な問題かもしれません。
 ガバナンスについて一通り御議論いただきましたけれども、寄附行為の変更も御説明いただきましょうか。

● それでは、3の寄附行為の変更についてでございます。
 「※1」は、現行の公益財団法人の規律についての一般的な理解でございます。民法上、寄附行為の変更に関する規律はなく、寄附行為に変更可能とする規定がある場合には、寄附行為の変更ができるという運用がされておると思います。民法典だけを眺めると多分、寄附行為は変更不可と見えなくもないんですが、実際上なかなかそういうわけにもいかないというところがあるのだろうと思います。
 それを受けて「※2」でございますが、もしそういう認識が正しいとすると、新たな財団法人については、やはり一切変更不可というのは難しいのではないか、変更ができるという方策を考えるべきではなかろうかと。ただ、変更可能とする場合には、そもそも要件ですとか、あるいは限界があるのか、ないのかということについて検討すべき事柄があるかと思いました。例えばですが、法人の目的など一定の事項については何がしかの制限、ただ、この制限の中身にもいろいろある。そもそもの要件からして問題があるかと思いますが、その要件に更に加重する部分などがあり得るかという問題意識でございます。
 (2)は寄附行為の変更の手続でございますが、手続の在り方については、今、御議論いただきました非営利財団法人のガバナンスの在り方、評議員会なるものの位置付け、権限をどう考えるのか等々にも影響し得ると思うものですから、具体的には書いてございません。問題意識の指摘だけでございます。
 以上でございます。

○ これは別かもしれないけれども、会計のところも分けないで続けてください。

● 承知しました。では、4「計算等に関する論点」について御説明申し上げたいと思います。2つございます。これは前回、先生から御指摘いただきまして、十分反映しておるかどうか分からないですが、事務局なりに掲げさせていただきました。
 1つ目が、財団法人にあっても会計帳簿をつくるべきというような規範を置くべきかどうか。会計帳簿を置けば当然、計算書類をどうするかという問題も出てこようかと思います。
 そして、更にここでは「承認の在り方」と書いてございますが、社団形態であれば理事者がつくった計算書類等を社員総会が承認するという形で会計の手続が置かれておると思うんですが、それについて財団法人では機関構成の違いを含めて御議論があるのではないかと思いました。
 そして、(2)につきましては、計算書類の開示の在り方についてどう考えるかであります。社団にも同じ問題がございますが、財団では更に、社員がいなくなりますので専ら債権者ということになるのかもしれませんが、在り方について何か特別の考慮が必要となるのかどうかということが問題となろうかと思います。
 以上でございます。

○ それでは、まとめて残りの時間で御議論いただければと思いますが、いかがでしょうか。
 それから、この論点は、さっき委員が言われた財団法人の存続期間みたいなものを考えたらどうかというものも論点として寄附行為への変更に非常に関係するので、この辺に位置付けておいたらどうでしょうか。

● 承知しました。

○ これは、どんな議論をしたのでしたか。前に星野先生の研究会のときにも議論したことがあるけれども、寄附行為について変更できるという旨の規定がないと、財団法人の場合には全然方法がないということでしたか。

● はい。寄附行為に変更規定がないと方法がないと言わざるを得ないのではないかと思います。ただ、なぜかよく分からないんですが、いくつかの公益財団法人の寄附行為の変更に関する条項ができた年月日などからすると、それは設立後に設けられたではないかという気がしないでもない例はあるのではないかと思いますが。

○ 寄附行為を変更できないという規定がなければ、寄附行為の変更をしてしまって、変更の手続の規定を入れるということですか。

● きちんと調査したわけではございませんが、明治民法でございますので、もしかしたらという疑いを持つようなケースもあるようです。しかも、当該寄附行為の改正附則がきちんと書いていなければ闇の中なのでございますが。

○ 確かに。とにかく財団法人の場合には、一方で設立者の意思というのが最大限尊重されるという原則があって、これが社団法人とは違うので、そう簡単に寄附行為の変更というのは認めることができない。しかし、非常に例外的なルールとして、事情変更の原則みたいなルールの適用として寄附行為の変更に関する規定を法律の中に設けて、寄附行為自体には変更の手続がなくても、例外的には寄附行為が変更できるという余地を認めておくということはあり得ることですよね。

● 新しい制度のもとでは、どうつくるかという事になるのだと思いますが、寄附行為に変更規定があって初めて変更できるという現行の解釈と同じようにするのか、それとも、寄附行為のうちこの部分はしかるべき機関によって変更できるというような規定を置いて対処するのか、財団タイプと言われる私立学校法などについても寄附行為の変更手続が置かれておるようでございます。ただ、現行民法の解釈に倣って、恐らく寄附行為にまず変更できる規定を置くということが普通ではないかとは思っています。ただ、これも主務官庁の認可が私立学校法等はございますので、そこの寄附行為例によっているのではないかと思います。ギリギリ言ったときにどうなるのかは。

○ いずれにせよ、寄附行為の中に寄附行為変更に関する条項が入っていれば、これはもう問題はない。仮に、それが非常に緩い要件で理事の半数とか、必ずしも特別多数を要求しない変更手続であっても、これは設立者の意思がそういうものであるというのだから、それは構わないということで割り切っていいのでしょうね。ですから問題は、残されたのは寄附行為の変更手続、1つは手続が書いていない場合、それから、書いてあってももっと例外的に変更ができる場合があるかどうかですかね、突き詰めれば。

○ ここは立法論ですから、法律でどう決めるかですよね。法律で必ず寄附行為の変更について定めなければいけないとだけ書いておくのか、それともそれにプラスして寄附行為いかんにかかわらず、こういう場合には変更は可能だという規定まで設けるのか、そこだと思うんです。少なくとも、寄附行為の変更規定を置くということは決めてもよさそうな感じもするんですけれども。

● 寄附行為の必要的記載事項にするというのはイメージしてございますね。

○ そうですね。

● その規律の中身はともかく、それに関する条項を寄附行為に置いてくださいと。

○ 非常に堅い寄附行為の変更に関する条項を寄附行為の中に定めた場合には、それに対して裁判所は介入できないという考え方ですか。

○ それは私が申し上げた第2点でして、寄附行為の定めいかんにかかわらず、法律によって寄附行為の変更手続を設けることにするかどうかというものです。それが今の御質問に対する答えになると思います。

○ その第2点の方で寄附行為の規定内容にかかわらず、寄附行為の変更可能な場合あり得べしとした場合にも、第1点に戻って寄附行為の変更に関して寄附行為に定めることを義務付けると必要的記載事項にすることの意味はありますか。

○ 確かに、その場合はむしろ任意にするということもあり得ますね。

○ 重要なんだから書いておきなさいと、しかし、不適切な書き方をしたら介入するという二段構えで、かなりはっきりした意図が表明されていると思いますが、どちらか一方で。第2の方を採るならば、第1の方は要らないように私は思います。

○ そうかもしれませんね。ただ、第1のようにした方が、本来は自由に決めるんだということを出せるかなと思ったのと、それから、実際上およそ変更不可能な寄附行為ということはなかなか考えにくいのではないかという気もするのでそう申しました。例えば、理事の全員一致が必要だとか、そういうことだと思いますけれども、それはいけないかどうか議論があるかと思いますが、ただ、おっしゃるとおり、第2の方を主にすると第1の方は任意でもいいとは思います。

○ 第1に仮に書かせたとしましても項目がございますね。今では事務所の名称とか理事の任命とか、それを寄附行為に書いていないとどうするかというのはやはり残りますよね。理事の任命について書いていなかった場合に、そして、その後で実際に必要性が出てきた場合にどうするかというと、やはり裁判所の判断に委ねるかとか、そういう議論が出てきます。そうすると、第1のことは余り必要ないような気がしますけれども。書きたければ書けばいいでしょうし、書いていないときにどうするかというのが一番の問題ですね。

○ 手続と実体的な要件、いずれも第2の方をとった場合に書くのか、手続だけ書くのか、次の問題になりますね。

○ 誰に判断させるかですね。

○ それは手続で、そうですね。

○ そこが難しいところですね。

○ アングロサクソン的な考え方だと裁判所の判断を求めるということになるんですかね。誰がイニシアチブをとって求めるのか。誰もやらないと困ってしまうということもありますね。

○ 利害関係者ですか。

○ 今は理事の任命を寄附行為で定めなかった場合には、利害関係人と検察官だったと思います。

● これは寄附行為の補充となろうかと思います。

○ 似たような制度で信託の方は、第23条で現在の制度だと裁判所が許可するという形になっている。

○ 非訟事件の手続は余り増やしたくないというような要請はあるんですか。それとも必要なところは新規に設けることあり得べしということですか。

○ それはどういう立場で。

○ 非訟事件手続法の所管官庁として。

○ 非訟事件が非常に増えて困るかというと、そういうことはそんなにないです。ただ、そんなに例は今までありませんね。株式会社の職務代行者とかその事件も内紛が起きれば非常にたくさん出てきていますけれども、ただ、それは社会の解決のためには必要なのでしょうから。ただ、仮理事とか職務代行者は、法律によって所管を変えているはずなんです。宗教法人ですとたしか文部科学省とか、医療法人でしたら厚生労働省とかそういう権限をどこに与えるかというものも考えるべきことだと思います。ただ、非営利一般法となると。

○ 恐らくそういうふうにして裁判所が許可しても、勿論そんなにたくさん出てくるとは思いませんけれども、裁判所の許可で変更できるというのは裁判所の方さえ嫌だと言わなければあり得る制度だと思いますが、もう一つあり得るとすれば、もっと簡単にできるかどうかですかね。

○ それは勿論、寄附行為の中に定めればOKで、しかし、寄附行為の中に定めていない。

○ あるいは、そのとき理事の全員とか評議員の全員だとか。

○ なるほど。

○ 今のは寄附行為を定めていても主務官庁の許可は要るんですよね。それを外してしまって代替措置が要らないかどうかということは考えなくてはいけないでしょうね。

○ 勿論、現在は公益法人だから。結局、財団法人の場合で言うと、設立者の意思に反しないかどうかと判断するのかな。設立者の意思と明らかに違うことをやるというのは、恐らく評議員だとか理事の権限の範囲外なので、裁判所か何かが関与しないと理屈では説明できないと思うんですよ。だけれども、そこまでいかない変更というのがあって、目的には大体沿っているかもしれないけれども、寄附行為に書いてあることで都合が悪いことがあって、それを変えたいという場合には、設立者の意思には一応沿う形で変更すると。そうだとすると、裁判所まで行く必要はないのではないか。信託でも信託の管理方法の変更というのがあって、信託目的の変更だということになると、これは現在でもできないんですけれども、管理方法の変更であるにもかかわらず裁判所まで行くんですが、そのレベルのものであれば裁判所まで行かないでも評議員の全員一致でも変更できておかしくないのではないかという気がしますけれども。

○ それは寄附行為に定めがなくとも、法に基づいてできるということでよろしいですか。

○ そうです。

○ 寄附行為の定めがあれば当然できると。寄附行為の定めがあれば、裁判所の関与なくできることは当然認めていいだろうということになりますか。

○ 例えば、目的の変更だとか何かも含めて。

○ そうすると限度があるということになりますか。

○ どうなんですかね。財団法人であるとやはり限度があるのではないかという気がする。

○ 構造が二層になるのかもしません。寄附行為で何を定められるか、寄附行為の変更について寄附行為の中であらかじめどこまで定められるかということと、それから、寄附行為で定めていない変更の方法あるいは変更の場合について、法でどういう手続とどういう実体要件を設けるかという。

○ そうですね。それから、今のはある意味で手続と関連した問題ですけれども、どっちの場合であればどこまで変更できるかという問題が財団法人の場合にはあると。社団法人はそこは自由に変えられる。

○ そうですね。

● 今、先生がおっしゃった寄附行為に定めていない場合というのは、寄附行為に定めてあるけれども、それが重過ぎるとか不適切なものも含む意味ですか。

○ さようです。

● それから、法で一般的に変更できる要件みたいもの。

○ 社団法人との相違点を考えてみたんですが、目的の変更なんですけれども、解散事由との関係で、社団法人ですとその目的を変更することによって生き延びるということができるのでしょうけれども、財団法人の場合に目的たる事業の成功の不能になったときは、むしろ解散という方が強く働くのかなと思います。

○ そのことからして目的の変更というのはむしろできないと。そこまで強く言わないですか。

○ できないことになるか、あるいは非常に重くするか。

○ その辺がちょっと難しいところですね。アメリカなどのいわゆるシプレー原則と言われている公益法人、公益信託についての原則だと思いますけれども、あのシプレー原則というものも、これは公益だからかもしれませんが、目的自体を全く違うものに変えていいというわけではなくて、本来の目的に類似するとか、そういうものに変更できると。何でも自由というわけではないと思うんです。ただ、これはあくまで公益活動についてのルールなので、中間的なあるいは非営利が目的の財団法人については、そこまで強い縛りはなくてもいい、目的を完全に変更してしまっても構わないということが言えるかどうか。あくまで設立者の意思との緊張関係だけの問題ですよね。

○ そして、設立者の意思がどうぞ自由に変えてくださいと。

○ それだったら構わないですね。

○ 構わないでしょうか、そこももう一つ考えて財団法人という手法を世の中で使えるようにするために、そこまで自由にしなくていいではないかというのはあり得るかとも思います。

○ 解散との関係で言うと、理事対帰属権利者との対立なんでしょうね。

○ 本来は帰属すべき財産なのに、無理やり存続させられて自分のところに来ないという対立ですね。財団法人における帰属権利者というのをどう考えるかですね。一体どういう権利者として考えるか。これは別に出資者である必要は必ずしもないし、要するにある目的で財団法人を設立して、一定の年限が経ったら財産は別な誰かに行きますという形にしておけば、一種の贈与ですけれどもね。一定期間経った後。難しいですね。

○ ある一定期間経ったときに自分に戻ってくるというものでも構わないですか。

○ 勿論構わないです。それは、さっきの委員との関係がある。要するに自益的なものは。だけれども、それは自益ではないんでしょう。つまり法人自体が自益であるのがいけないというので、戻ってくるというのは別に構わないのでしょうね。

○ 100出したのが120返ってくると、20のところは税の問題も起きるだけですか。

○ そうではないですかね。

○ 私法上は構わないということですね。

○ 非営利ということに反しないかという問題があるかもしれませんけれども。

○ 初めから寄附行為に書くと非営利に反することになるが、解散のときに返すならば、社団法人について議論されたものと同じように、それは許されるということになりますか。

○ いいような気がするけれども。

○ 例えば、20年経ったら解散するとか、そういうこともあり得るわけですか。税の問題としては、移転するときに掛かって、また戻ってくるときにも掛かるとか、いろいろな可能性がありますのでテークノートしておいていただく必要があります。それから、固定資産税のことも実を言うと考えておかなければならない問題です。土地と建物、それから、償却資産も入りますが、結構重い負担になることもあり得ますので。

○ 固定資産税の場合は、財団法人の法人格があれば、いずれにせよその法人自体が納税義務を負うわけですね。

○ そうですね。

○ それでまた、そこだけで処理されるといいますか、実際上関係するような人がいても、その人には原則としては課税されない。

○ つまり、非課税規定が地方税法の中にあって、学校法人が教育の用に供する土地・建物は固定資産税を課さないとか、いろいろな非課税規定があるんですけれども、この場合はちょっとなかなか理屈が立てにくいのではないかと。非営利法人の場合に。

○ もう時間がほとんどありませんが、計算の方も、もし何か御意見がありましたら。

○ 計算が、社団タイプと違うところは社員がいませんので、承認、それから、誰に開示するのかが違ってくると思うんです。さっきの評議員会の権限をどれだけ大きいものにするかということともかかわるのでしょうけれども、理事会限りではまずいということになると評議員会が承認するのか、大体理事会は執行機関ですから自分たちで財務諸表をつくるわけですね。それが自分で自分を承認するということになるとおかしくなってしまうので、そうするとやはり第三者に見てもらうという意味で、評議員会が承認権限があるというふうにするのだと思うんです。

○ 少なくとも評議員会のあるタイプであれば問題ないですね。

○ 若しくは、ないときはどうするか。自分で決めて自分で承認するというのもおかしいですし。
 それから、開示の相手方が社団タイプですと社員と債権者が少なくとも来るのでしょうが、ここですと債権者だけなのか。ただ、さっきの目的や活動が限定されるかということとかかわってきますけれども、現在の公益財団法人のように、社会的に意義のあることを仮に期待して、それについて主務官庁のチェックがないとすると、むしろ社会一般の監視の目にさらすという意味で、開示を単に債権者だけでなくて誰でも見ることができるというようにすべきか。その場合、開示の手段として、当該財団に見に来た人に見せるというやり方にするのか、それとも商業登記のように登記所にファイルしておいて、見たい人はそこで見られるという体制にするのか。そうでないと実際上見せないということが起きますので、実効的にやろうと思えばそこまでしなければならないということが出てくると思います。
 さっきの目的の規定も実際にはチェックできないという話があって、定款認証のときだけではないかという話がありましたけれども、仮に営業報告書というか事業報告書をつくらせ、そこで具体的にどういう活動をしましたということを書かせて、それを誰でも見られるようにファイルすることにより、まさに社会一般、誰でもそれを見て、ここの活動はおかしいではないかと文句を言えるようにするという仕組みをつくるということは十分考えられると思うんです。従来の主務官庁によるチェックに代えて。ファイルして開示することによって社会の目にさらすということはできると思います。

○ ただ、公益活動ではないときに、一般的な人の批判にさらす必要性というのはあるのでしょうか。

○ だから、それは多分2階建ての上の方公益の話ですね。

○ 1階の方で社会の批判にさらすというときに、設立者の意思と反しているかどうかについてチェックを期待するかということが1つと、それから、さっきから出ている家産承継を抑えるのか認めるのか、そこで変わってくるのでしょうね。

○ そうだと思います。ですから、目的の縛りをどこまでチェックするか。

○ 私は社団法人の方は、非営利の社団法人の場合に公益と違って余り徹底した開示がなくてもいいのかなという気がするけれども、財団法人の場合には、最初のどこまで財団法人を認めるかにもよるけれども、余り濫用的なものは困るので、どういう財産を切り離して法人にしたかということを開示するというのは、おかしくはないかもしれない。例えば、家産のようなものについても開示すると、やはり財産はほかの人に知れますよという形で。一定の抑止力が働くと思います。

○ 階数を1階と2階で変えて、1階の方は当該法人に来た人には見せる。それに対して2階の方は、登記所の方にファイルしておいて誰でもそこで見られるようにするとか、いろいろな制度工夫はあり得ると思います。

○ 恐らく財団法人の方は、余りプライバシーの問題というのは理論としては出てこないのではないかと。要するに財産そのものだと考えれば。社団法人の方は個人にまつわる。

○ やはり財団法人から利益を受けている人たちがいるのだろうと思うんです。だからこそ存在していく。保護すべきかどうかはともかく、その人たちのプライバシーというのがあって、それを財団法人形式で有限責任の法人格を与えることとの見合いでどこまで譲らせるか。

○ ただ、会社についてはプライバシーは関係しないというのは従来憲法でもそう理解していたと思うんです。では、営利法人である会社と違って、非営利のこういう財産の集合体については、プライバシーもやはり対象になるんですかね。

○ 会社自体のプライバシーですよね。

○ ですから、会社の活動を開示するというわけですから、まさに会社のプライバシーを保護する必要があるかという問題になります。

○ 非営利社団については、今の話との関係ではどうなりますか。

○ 若しくはあり得るとしたら財産的価値を保護するという意味で、財産権の方からの情報の開示の制限、つまり営業秘密みたいなものはいいと。

○ しかし、非営利社団法人自体についてはない。それは財団法人についてもそのとおりだと思います。しかし、非営利社団法人については、社員のプライバシーの保護の観点からは。

○ 結果的に、法人自体の情報の開示もクローズするところがあるということですか。

○ はい。例えば社員名簿とか。

○ それはよく分かります。そうではなくて、例えば財団の活動の一部については開示しなくていいと、事業報告書を書かなくていいとか、そういうことまで意味するのかどうかということです。

○ どうなんでしょう。例えば、医療法人的な非営利財団ができた場合に、どこでどういう活動をして、何人のどういう病気をどうしたという記録はどうでしょうか。

○ それはむしろ、患者さんの方のプライバシーで、そっちはあり得るんです。

○ そうですね。

○ ただ、寄附行為をした人たちの利益を守るためのプライバシー保護として、事業活動の一部について開示しなくていいというふうになるかというと、それはならないのかなと。

○ 社員がいないがゆえに社団法人では考えなければならなかったことが財団法人では考えなくていいという、社員名簿についてはないわけですからそのとおりですが、社団法人について開示すべきものは財団法人についても開示すべきだし、社団法人について開示すべきでないものは財団法人についても開示すべきでない、そこの差はないのではないでしょうか。

● 先生が財団によって利益を受ける人と先ほどおっしゃった、その人が誰を念頭に置いていらっしゃるのか。もし、設立者だとするとどうかなと。多分そういうニュアンスではなかったのではないかと思いますが。

○ あるいは誰が利益を受けているかというようなことについて、財団であるがゆえに社団の場合よりも広く開示されることはないのかなと思います。

○ それはないかもしれない。

● 社団で問題にされている社員とかが、そもそも財団とパラレルなのかどうかですね。問題になっているのは多分、社員名簿と社員総会の議事録だったと思いますので。

○ そうですね、分かりました。

○ そこはやはりちょっと違うところがあって、財団法人の場合に、例えば評議員会の議事録とかそういうものまで。でも、そこは同じなのかな。

○ 例えば、社団法人については理事会の議事録は見せないとした場合に、財団法人は見せるということにはならないだろうということです。

○ そう簡単ではないですが、ただ、何が財団法人を構成しているかというのと財産の中身というのは恐らく見せていいのではないか。社員総会の方は、さっきの貸借対照表とかどんな書類を要求するのかによるけれども、営利法人だと貸借対照表ですかね。損益計算書は資産という意味では貸借対照表ですよね。それは、社団法人の場合にはどこまで見せるということになっていましたか。社員は勿論として、そのほか対外的に。

○ それはまだ。

● ただ、社員、債権者には少なくとも書類閲覧の方法で見せましょうと。

○ あと、附属明細書が問題ですよね。会社によってまちまち。

○ 私もまだどういう結論がいいか分からないけれども、財団法人の場合にはどういう資産から成っていますかということを、それこそ一般の人には見えてもおかしくないのかもしれない。それがまさに法人の中身なのだから。ただ、それも実際上そこまでやるとやり過ぎだというので、しないこともあり得ると思いますけれども。

○ 一般の人というのは、債権者になろうとする人以外も含むという意味ですか。

○ 誰でも。

○ 財団の活動で競業的、ライバルがいるような活動というのは、余り浮かばなくて、そういうものがあり得るとすると、そこら辺が問題かと思うんですが、余りないですかね。思いつきませんね。

○ ライバル企業は見ていいという趣旨ですか、利害関係があるから。それとも見るべきではない、隠すべきだという趣旨ですか。

○ そういう要請も出てくるかなと。

○ 隠すという要請はないだろうと。

○ だから、企業秘密的なものを求めるかどうかということだと思います。

○ その法人自体としてね。
 ちょっと時間が過ぎましたので、まだ大分議論が残っているようですが、このぐらいにしましょう。
 それでは、次回の日程を。

● 次回は3月16日の火曜日でございます。10時から2時間を予定してございます。有識者会議としましては3月末に向けて議論の整理を行うわけでございますが、このワーキング・グループとしては次回が一応締めくくりとさせていただければと思います。場所はこちらでございます。
 議事の内容につきましては、本日の御議論を整理させていただきまして、その関係の御議論と今までの議論のまとめを考えてございます。よろしくお願いいたします。

○ どうもありがとうございました。


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