○:委員
●:事務局

第2回 公益法人制度改革に関する有識者会議

−議事録−


平成15年12月16日(火)9:30〜12:05
場所:内閣府5階特別会議室

○ それでは、皆様おはようございます。御苦労様でございます。
 定刻になりましたので、ただいまから第2回「公益法人制度改革に関する有識者会議」を開会させていただきます。
 それから、後ほど金子大臣も御出席をいただくことになっております。
 前回、オリエンテーションを兼ねて、15年6月27日の閣議決定を踏まえて、私たちの有識者会議をどのように進めていくかということについて、皆様と若干の意見の交換をしたわけですが、第1回は本当にオリエンテーションでありまして、この2回から本格的な会議になるというわけでございます。
 今日は、議事をいろいろ予定してございますが、先立ちまして、前回欠席されました○○委員を御紹介したいと存じます。

○ ○○でございます。私は東大で民法を専攻しておりますが、民法の中でも、こういう法人の問題ですとか、それから不法行為、契約、そんなものを中心にしております。
 前回、前から決まっておりました所用のために欠席いたしましたが、ただ、ちょっと言い訳がましいことですけれども、この会議と全然関係ないことをしてきたわけではございませんで、イギリスで公益信託の活動など調査してまいりました。この会議にも少し反映できればと思っております。

○ ありがとうございます。それから、○○先生には既に第1回のワーキンググループを開いていただきまして、そこで非常にたくさんの論点が出て、皆様のところにもお配りしてあると思いますが、大変たくさんの論点が提出されまして、これからそれをどのように整理をしていくのかということについて、また能見先生にお願いをすることになるかと存じます。
 それから、前回、これも御欠席でありました。○○委員を御紹介いたします。

○ 前回は大変失礼しました。東京大学の○○と申します。よろしくお願いします。
 私自身の経歴を紹介させていただきたいんですが、実は最初に勤めたところ株式会社で、その後、財団法人に約十七年籍をおきまして、その後、余り長い間ではなかったんですけれども、国際協力銀行、特殊法人に籍を置き、今年の10月から東京大学の方で教鞭を執るということで着任いたしました。
 そういう意味で、いろんなセクターで仕事をさせていただいた経験から、余りアカデミックな内容ではないかもしれませんけれども、何らかの意見を述べさせていただけたらと思います。よろしくお願いいたします。

○ よろしくお願いします。それから、本日予定しております議事、あるいは配付資料については、事務局から御説明をいたします。

● お手元の資料でございますが、議事次第、それから配付資料一覧に続きまして、資料を御紹介申し上げます。
 資料1としまして、当面の主な検討課題。
 資料2と資料3につきましては、本日、有識者として御説明をいただきます小松学長、中田先生の御説明資料、その後、質疑応答ということでございます。
 それから資料4でございますが、改革の意義に係る主な検討の視点ということで、座長、座長代理と御相談の上、事務局なりに御参考までに整理したものでございまして、この事務局からの説明ののち、討議、御議論いただければと思います。
 それから、次回の日程等ございます。
 それから、本日、机の上に参考資料として2点お配りさせていただいております。
 1つは、小松学長御執筆のもので、月刊誌『公益法人』に5回にわたりまして掲載された論文でございます。
 それから『活力と魅力溢れる日本をめざして』という冊子がもう一つ机の上にございます。白書の下にピンクの冊子がございます。こちらにつきましては、日本経団連の方で、今年1月にまとめられたものでございます。小松学長、田中清委員から配付方についてお話があり、本日、参考配付をさせていただいています。
 以上でございます。

○ これでよろしゅうございますか。
 前回もちょっと申し上げたんでございますけれども、この会議では、できるだけ活発にかつ円滑にいろいろな議論を交換すべきだというふうに考えておりますので、どうぞ1主題3分間程度の御発言をお願いしたいと、その代わり何回御発言していただいても結構だということをお願いしたいことと、なるべく皆さんに、狭い部屋ではありますけれども、はっきりするように、なるべく大きなお声で御発言をいただきたいということをお願いしたいと存じております。
 もう一つは、皆さんそれぞれのお立場を背負っておられるわけですが、ここではどこか社会的公正ということが一つ念頭に置かなければならないというふうに思っておりますので、どこかお立場を反映すると同時に、その社会的公正ということについてもお考えをいただけるとありがたいと存じております。
 それで、主な検討項目について御説明をいただきたいと思います。実際に、先ほど申し上げたように、今日から本格的な議論が始まると、こういうことでございますので、小松学長にもおいでいただいて、そもそも公益とは何かということについて、まずスタートするわけでありますが、その前にいろいろ、これから我々が取り上げていくべきことについてのたたき台を用意してございますので、それについて事務局から御説明いたします。

● それでは、資料1について説明させていただきます。「新たな非営利法人制度における公益性に係る当面の主な検討項目(議論のたたき台)」とございます。
 具体的には、3月末までを目途に議論の整理を行うというスケジュールを第1回会議の場で御了解されましたが、それまでの間の有識者会議での主な検討項目として、たたき台を示させていただいたものでございます。
 まず最初に、公益法人制度改革の意義とか理念といったものでございますが、民間非営利活動の促進という面と、公益法人制度の諸問題への対処という2点を挙げてございまして、これにつきまして、本日も早速御議論いただくこととしております。
 その後の課題といたしまして、新たな非営利法人制度における公益性ということで、(1)としまして、非営利法人制度における公益性の位置づけでございますが、まず、公益性とか、公益性を有する非営利法人の定義、あるいは概念といったもの。
 それから、法人制度上公益性を判断する意義。公益性をだれが判断し、それはどういう意味合いを有するのかといった事柄について。
 (2)としまして、公益性を取扱う仕組みの在り方としまして、仕組みについての基本的考え方、哲学的なこと方も含めての御議論、判断主体の在り方、判断基準の在り方、それから適正運営の確保としまして、ガバナンス、情報公開などを含めまして、適切な運営の確保といった課題が挙げられようかと思います。
 主な検討課題、検討項目としましては、このようなことが考えられるであろうということで御紹介申し上げます。

○ 今、たたき台の御説明がございましたが、それに対して、御意見ございますでしょうか。まだ、ここではちょっと漠然としたもので、これに対して、なかなか御意見が、今あるというよりも、後からだんだん出てくるのではないかと思うんですが、いかがでございましょうか、よろしいですか。
 それでは、大体こういった改革の意義でありますとか、公益性の位置づけでありますとか、あるいは公益性を取り扱う仕組みでありますとか、そういう各論ごとの細かい検討事項につきましては、私と座長代理と事務局の三者で相談をいたしまして、議論に資するためのたたき台としてお示しをしたいと存じております。
 このうち、改革の意義については、本日資料として配付しておりますので、後ほど、これに基づかなくても、これに基づいても御議論をいろいろいただきたいというふうに考えております。
 これから先、またいろいろ皆様の御意見があろうと思いますが、まず、スタートする前に何か御意見がございましたら、お伺いしたいと存じます。いかがでございましょうか。 それでは、後ほど○○先生からも、今日、プレゼンテーションをしたいというお話もございましたので、時間の節約のために、今日は小松隆二先生においでいただいておりますので、まず、小松先生のプレゼンテーションから会議を進めさせていただきたいと存じております。
 小松先生は既に御着席でいらっしゃいますが、本日の主な議題として、ただいまお示しした検討項目のうち、最初の公益法人制度改革の意義について御意見をいただきたいというわけでございます。
 公益法人制度の抜本的改革については、6月に基本方針が閣議決定されまして、取り組みの第2段階にあるわけですけれども、この改革の重要性について、必ずしも世間一般の方々に浸透しているとは言い難い、利害関係者は今、大変皆さん敏感に受け止めておられますけれども、世間一般の方々には全く知られていないというか、余り認識されていないというふうに考えております。
 このため、改革の意義とか理念について、有識者の方々からのヒアリング、あるいは皆さんの御議論をいただいた上で、それを世の中に情報発信して、広く国民一般の御理解をいただくということが重要であると。そうしませんと、ここの議論だけが浮き上がってしまうおそれがあるというふうに考えております。
 本日、本件に関する識者の代表といたしまして、小松東北公益文科大学学長から「公益の歴史的展開と現代−公益法人改革との関連で−」というタイトルで御説明をいただきます。
 それから、中田先生から公益法人制度の問題の概観につきましてお話をいただくという予定になっております。
 それでは、御説明を踏まえて議論を深めてまいりたいと考えております。そこで小松先生を御紹介し、また、小松先生から御説明をいただきたいと存じます。
 20分と言っておりますけれども、なかなか20分では難しいかもしれませんけれども、どうぞよろしくお願いいたします。

◎小松東北公益文科大学学長 おはようございます。小松でございます。
 私は、公益法人に関しては専門家ではないので、専門家を前に公益法人に関わる話をするのは大変僣越なのですが、私に与えられた課題は、主に、歴史、そこから現代あるいは今後について何か言うということです。20分ぐらいですから、素人的な話が多いかと思います。特に、ヒアリングという大変重要なものに耐え得るかどうかわかりませんが、お許しいただきたいと思います。
 時間がありませんので、おおざっぱにレジュメをまとめてあります。

(金子行政改革担当大臣 入室)

○ 今、小松先生のプレゼンテーションを始めさせていただいています。

◎小松学長 公益という言葉は、いろいろ使われます。公益法人とか、公益事業とか、公益活動、あるいは質屋から葬儀屋まで使われるわけですが、質屋とか葬儀屋さんは別にしまして、公益という言葉は幸い大方大体共通した認識になるのではないかというふうに考えております。法令には定義がないということですが、大方の理解がそう違わないという大変ありがたいテーマでもあります。
 ただ、こういう改革のときは、やはり改めて公益とは何か、現代における公益の意味するところは何なのかということを避けては通れません。それを実際に外に明示するかどうかは別ですけれども、そこはきちんとやらざるを得ないのではないかということであります。
 ところが、現在の公益法人あるいは公益の名の付く組織的活動を見ますと、例えば公益法人にとって、公益とか公益性は何なのかということが大変わかりにくくなっていると思います。はっきり言うと、公益を忘れたかなりいいかげんな公益法人もあります。
 特に、今、財政状況が大変厳しい。しかも日本の場合は、かなりのものが弱小、小さい公益法人ですので、運用益がさっぱりあがらない。日本のやり方というのは一体基金が大事なのか、目的、機能が大事なのか大変あいまいです。何となく基金こそ大事だと言わんばかりの対応を取っている。そうすると運用益の関係でまともな活動もできない。極端な場合は、外部につながる機関誌も廃止したというようなところも結構増えている。公益と言うけれども、縁故的な内輪の活動しかやっていないというような状況も目立っている。公益法人なのに公益がどこかへいってしまっているというような印象を受けるわけであります。
 それは、私が属しております大学も同じです。大学にとって公益とは何なのか、最も疑問視をしていいような状況にあると思います。
 それから、主務官庁の対応ですが、公益法人全般に認可のときは厳しい。しかし、一旦認可されると、はっきり言うとかなり形式的な審査になる。毎年聴聞されるのは、理事、評議員の中身、例えば特定の団体に偏っていないかだとか、数はそろっているか、とかです。また、必ず見られるのは営利活動ですね。営利活動の比重が高くないかどうか。それでいて、公益活動の方はほとんどノーチェックです。縁故的なものであれ、主務官庁に合わせたようなかなり簡単な活動だけでもOKでほとんどノーチェックです。どの団体から見ても、最初の許認可は難しいけれども、後は公益法人として公益を忘れても実際には審査を通ってしまうというような現実です。
 むしろ、旧大蔵省とか、税務署の方が意外に毎年公益性を部分的にはチェックするというようなことをやっています。公益とは一体何なのか、を議論しながら、課税基準を決めてくる。今、これだけしっかりした先生方が公益法人改革に乗り出している。しかし、一体公益法人の現場はどうなのか。民法の下の公益法人だけではなくて、特別法の公益法人を含めて、一体こういう状況をどう受け止めているのか。上からの改革に終わらせないで、それを超えるだけの対応を示し得るのかどうかというようなことも疑問として残らざるを得ない。いずれにしろ、公益を見直す大変いい好機であるといってよい。
 幸い中国やヨーロッパでも、公益あるいはその理念がかなり受け入れられています。これも一つ中国の本ですが、『権利政治から公益政治へ』、こういう本も中国等でも出ている。そういうことで、見直すには大変いい機会ではないかと考えております。
 レジュメの1に入らせていただきますが、御存じのように、公益の用語は大変古い歴史を持っております。平安時代から相当使われてきているわけですけれども、今、ここで取り上げるような近代的な意味では当然明治以降、明治初年から、多分幕末から相当頻繁に公益という言葉は使われています。資本主義がまず誕生し、そして発展していく。発展するにつれていろいろな問題が出てくる。単純に見ても倒産もあれば、失業もあり、貧困者も出ます。そういう市場原理が生み出す問題に対して、対応する在り方はいろいろありますが、そういったものを抑制、緩和したり調和を図る一端を担って公益活動が出てきます。そういう側面も持っております。
 主として、戦前、戦後の公益活動のうち、3つの活動、つまり、民間の公益活動、民法に基づく公益法人、そして公益事業、これを狭い意味での公益活動と考えていますが、それに沿って少し流れを紹介させていただきたいと思います。
 まず、一番戦前に輝いたといいますか、目立ったのは民間の公益活動だろうと思います。資本主義の流れ、市場原理からはみ出したり、あるいは市場原理に乗れない人や状況がいろいろ出てくる。
 それに対して、まず最初は理念的に福沢諭吉とか、城泉太郎とか、そういった啓蒙的な思想家、先駆者というのは大体公益に一度は言及しておりますが、彼らは大体上から見る慈善的な、困窮とか極貧に対する対応を公益と見ています。次第にそういった理念を超えて、実際に私財を投じて公益活動する人たち、グループがどんどん出てきます。
 とりわけ、教育勅語、そして修身で公益が取り上げられる。この修身で取り上げられたことが、全国更に中国、朝鮮、台湾に公益を広く広めました。その証拠に全国に数え切れないくらいの公益の石碑が日本に残っております。
 中国、朝鮮にもあったのですが、大部分がつぶされている。台湾には相当残っている。これは私どもの大学の中国人の先生が調べたものです。日本ではつぶされていませんから、庄内と山形だけでも相当あります。
 私どもの若手の先生が公益の碑を最初に発見しまして、それが地元の新聞の一面に大きく出ました。公益の碑よみがえると。朽ちかけていた碑を調べてみたら、公益の文字が2か所に入っていました。
 修身で取り上げた公益というのは、地域や社会に対する私財を投じての貢献です。明治20年代から昭和の開戦まで、アメリカのフランクリンとか含めて、公益とはこういうものだということを、聖戦遂行とか、忠君愛国とかとは全然関係なく、大変さわやかな形で、ずっと取り上げ続ける。その修身で1章を公益にあてるわけです。
 明治20年代は、まだ余り具体的なものではありませんが、公益の章はちゃんとあります。大正、昭和へと進むと、公益の教育は定着しますが、主に取り上げられるのは、農業国でしたから、堰、用水路づくりなどです。米づくりは水がかなめです。全国的に、400 年ぐらい前の戦国期から江戸時代にかけて優れた用水路がいっぱいつくられて、それが今も生きている。
 山形県なんかでも、主要な堰、用水路は400 年前につくられている。それが今も生きている。更に足りないところを江戸時代、明治、大正とつくりつづける。そういった私財を投じて水のないところに水を引くものとか、あるいは砂防林、日本海は風が強い、土地、米、生活が風にやられる。海岸一帯、山形、秋田、新潟の北は、全国的に見ても長い砂防林がある。それは本間光丘はじめ、本間様と言われるような大地主が私財を投じてずっとつくってきた。広大な500 メーターを超える幅が延々と続くものです。
 この砂防林づくりは、修身の教科書では、主として秋田の栗田定之丞という人の砂防林づくりがどの時代にも出てくる。
 私の小学校の恩師、八十ちょっとですが、修身で砂防林の話を習ったよという話を覚えておられて、教えてもらったことがあります。
 今ですと、堰、用水路、砂防林をつくる、トンネルをつくる、護岸工事をするといった社会資本を統括する、公共財を用意する仕事は、国や自治体の責任にかわります。
 ただ戦前は、国も自治体も頑張っていましたが、まだ財政力がないので、例えば小学校ですら、50周年、70周年というときも、地元の地主、経営者が資金を投じて応援するような状況でした。明治、大正というと、明らかに経済活動はベンチャーの時代、今、残っている大手もみんな明治、大正のころはまさにベンチャーでした。
 当時は、財閥のようにでき上がったものも、地方の地主も経営者も、今のように経済的に成功すればいいということではなくて、経済的に成功すると同時に修養ということ、徳を積むということも半ば課せられていました。
 戦前には立身出世の本はたくさんあります。そこには必ず修養ということが出てくる。戦前は単に金もうけをするだけではなく、立身出世するには、同時に徳を積むということが当たり前だった。
 山形県の有数の資産家、東北1位、2位を争った本間家と風間家があります。このどちらも家訓が積善、善を積むとか、隠徳とかで戦前から公益法人を持っていました。リーダー的な経営者は徳を積む、そして公益に貢献するのは当たり前の時代であったということです。
 こういったものが、戦後もある程度引き継がれますが、大方は国、自治体が引き継いで、一番戦前目立った公益活動が陰に隠れてしまう。と同時に、公益も何か背後にのぞくような状況になってくる。その後も生き続けたのは、公益法人であり、公益事業ということになります。
 この2つについていろいろな解釈があると思いますが、1つの側面としてみると、公益法人というのは、どちらかというと、市場原理に乗れない、市場活動に入れないで市場から追い出されるような人たちに対する対応、あるいは市場になじまない文化や芸術といったものに対する貢献であるとか、主に市場を超えるものに対する対応・活動になります。
 公益事業は、市場原理の内部から要請される活動です。いずれも主として資本主義経済が本格化する日清戦争以降表に出てきます。ちょうど日清戦争を機に、労働運動とか、公害反対運動も表に出てくるわけですが、そういったものに並んで公益法人も登場、さらに公益事業も本格化していきます。
 一方で、この資本主義経済の活動で成功した人は、その成果・恵沢をもって基金をつくって公益法人をつくる。そして市場に入れなかったり追い出されたような人に対する、まず上からの慈善型、やがて対等の貢献型の活動が広がってくる。
 そして、資本主義の発展とともに、人材も、それぞれの専門領域で集まる必要が出てきて社団法人も本格化してくるというような状況になります。
 他方で、公益事業というのは、経済活動の内から出てくる矛盾・問題に応えるものです。市場原理だけで進みますと、当然うまくいかない産業が出てくる。すべての国民、市民が関わるような電力とか、ガスとか、交通機関とか、これを市場原理に任せたらとんでもない場合も出てくる。貧しい人が使えなかったり、あるいは差別を受ける人も出かねない。そこで規制とか保護を加えて、公益事業という形で、基本的には市場原理に乗るんだけれども、そこに公益性を付与することによって、社会的な調和を図るという役割を負って出てきて、今日につながるのが公益事業です。
 もう時間が大分経ってしまいましたので、レジュメ2の方に急いで移りますと、そういった流れをもって展開した公益諸活動のお陰で、今は考えられないことですけれども、公益という用語は大変広まり、日常化する。
 戦前の著作、例えば社会貢献した人を顕彰するような本には、今と違って社会貢献が肩書きに加わる。日赤の役員であるとか、済生会の役員であるとか、併せて何々小学校に幾ら寄付、何々公共工事に幾ら寄付というようなものが出ます。
 東京の財閥は、中央にだけ活躍したのではなく、山形の公益法人にもずらっと寄付者として並んでいるというような状況です。そういった活動が日本の社会的な安定を、ある意味では保った面もあったと思います。
 ただ、やはり大きな流れで見ると、戦前、戦後と公益活動というのは、主流の経済活動や行政の活動に対する補充や補完、代替の役割を負ってきたと思います。
 これから、勿論そういう補充、補完、代替も意味があるのですが、更にこれを創造的な、先導的な役割も負うように変えられないのか。市民から、国民から遠い距離にあるだけではなくて、戦前の公益活動のような側面も含めて、もう少し社会的な役割を高めること、同時に改革の担い手としても考えられていいのではないかということであります。
 最後にまとめに代えるような意味で、レジュメの3の「公益法人の今後」ということでまとめに代えさせていただきたいと思っております。
 日本の公益法人、特に財団法人は、規模が一般的に小さい。大きなところは問題ないわけですが、圧倒的に多い小さな部分は、収入・運用状況によっては、ほとんどまともな公益活動ができないわけで、さっき言ったような縁故的な内輪な活動にとどまる例が増えている。
 もう一つの問題として、一体、基金や基本金の位置、役割はどうなんだということです。日本はそれに法人格を与えて守ることを主務官庁からも半ば強制される。
 例えば、地方自治体の場合は、5年ぐらい前まで運用は銀行預金以外認めませんでした。ようやく5〜6年前から国債を認めるようになりました。
 国債というのは案外危険なんですね、金利がどんどん変われば、価格も変わるのに、国債は買ってもいい、でも運用はいかんという姿勢です。銀行に預けることも実は運用なんですけれども、それ以外だめだという。中央行政機関の場合は、割合公益法人を信頼して、多少緩やかに株式の運用にも目をつむるようなところがある。
 欧米ですと、基金があったら、大事な基金だけに大きくするのが経営者の責任、公益法人であれ、大学であれ同じです。
 日本は、基金は守らなければだめ。100 億あったらそれを守ることが大切。ハーバードなんかはみるみるうちに8,000 億から1兆を超え、さらには10兆を超えるという基金を持つ。寄付集めもやります。それを運用によって大きくするのが経営者の責任です。目的や活動がしっかりして、そのために必要なお金を集める。日本は収入に合わせた活動でいいということになり、大学なら大学にはどういう教育研究費が要るから、そのために必要なお金を集めるのではなくて、収入に合わせた教育研究で我慢する。公益法人も現在の金利でやったら、ほとんど活動ができない。10億以下の基金ですと、運用益は十分にできないのに、それでいいんだというような空気がある。
 こういう基金の在り方や小さい組織状況を一体これからどういうふうに打開するのかという問題があります。
 それから、3番目として現場に目を向けると、公益法人のかなりが、市民、国民にではなくて、主務官庁に主として目を向けている。大きな団体はそうではないのですが、小さなところは毎年毎年の主務官庁に対する対応が気になる。だから、あわてて年度末に公益活動らしいことをやるとか、それで格好を付けるところが意外に多いという状況です。
 挙げ句は、さっき申し上げましたように、もう機関誌もやめた、事務員も全部解雇だというようなところも出てきたりという状況です。
 そんなことから、NPOとかNGOに比べて、市民からかなり距離がある。社団も財団も、その性格から市民と距離があってもいいわけですけれども、ただ、今後そういう面と同時に、もう少し市民・住民につながるような活動、あるいは位置も考えていいんじゃないかということです。
 あと、十分なチェック機能がないということも問題です。形式的には理事会に加えて評議員、監事もいますが、評議員会、あるいは監事というのは、ほとんど有効なチェック機能を持っていないのが現実だろうと思います。
 例えば、理事とか評議員には、特定の団体に片寄るのはだめだと言いながら、OBなら構わないんですね。
 例えば、早稲田大学、慶応大学が財団をつくると、表向きは、慶応、早稲田の関係者2人でも、よく裏を見ると、名誉教授だったり、元教授でどこかへ移った人が入っていたりする。実質的にほとんど理事会は、チェックされていないと思います。
 特に、評議員会は諮問機関ですから、実質的に議を経ないので、形だけというのがどうしてもある。そのためにも、情報開示とか、第三者評価、これが今後必要です。減免税とか、補助金とか、最も受けやすい立場にありますので、情報開示、第三者評価は不可欠であるということです。
 それから、社団法人なんかもいい活動をやっているところが多いですけれども、どうしても構成員の利害を代表するような活動が目立ちます。社団法人も社団自体を超える活動、性格をもっと持つ必要があるのではないかと考えております。
 以上のように、日本だけではなく、幸い外国でも公益の動きが見られます。公益という言葉ではありませんが、同じ理念で、フランスとか、ベルギーとか、スウェーデンでも動きが始まっている。公益の在り方ということを、是非世界的な視野で先生方の下で改革を進めていただくとありがたいのではないかと思っております。

○ ありがとうございました。公益についての広い視野からの歴史的な展望をお話しいただきまして、大変ありがとうございました。
 どうぞ、皆さんこの機会に御質問があれば、小松先生に伺っておきたいと思いますが、いかがでしょうか。御意見、御質問ございませんでしょうか。

○ 端的に教えていただきたいんですが、先生がお考えになっている、過去の歴史のことはよくわかりましたけれども、今の公益法人が抱えている問題、例えば役所に目を向けさせる、幾つかおっしゃいましたけれども、それから情報公開が不十分だとか、いろいろあるんですが、中でも、2つ、3つに絞ってもらえば、何が問題なんですか。
 例えば、ここに経団連の代表もいるけれども、要するに民間の業界団体が集まって、公益という仕事もやっているんですよ、勿論業界の仕事もやっている、当たり前のことですね。
 もう一つ、官庁が自分の仕事を外に渡す、自分の手下に使っているという組織もあるわけです。世の中に非常に明解なものが2つあるんです。それぞれにみんな特色もあるし、すべて官庁の延長線上で仕事をやっている組織が全部だめだという議論も余りにも漠然とし過ぎているし、民間だから結構というのも一面に出たと思いますけれども、先生からごらんになって、どこが一体一番問題なんですか。また、どこを直す、欠点があれば直すことなんですけれども、併せて、先々もうちょっと自由に活動してもらいたいというのが先生の御趣旨だと思うので、そのためには一体何をやったらいいのか、この2つだけ教えてもらいたい。

◎小松学長 そういう公益性法人の問題点をじっくり体系的に考えたことがないのですが、1つすぐぴんとくるのは、公益性の確認ですね、絶えざる確認ということです。
 公益というのは、いろんな見方、尺度がありますから、まず出発点は自分を超えるということ、それが不特定多数に結び付いてきます。
 そういう自分を超えるという基本的な出発点から、いろんな公平性とか、包括性とか、民主性とかある中で、やはり自分を超えるというのは基本です。これは自分のため、自分たちのためを超える視点で、これを失っている公益法人が、特に小さい法人では大変多いのではないかと思います。やはり自分を超えるという目的、機能を明確にしておいて、それができなかったら、公益法人としては背後に除くべきだということです。公益性ということをいかにしっかり身に付けるか、忘れないでいるか、これが鍵で、これがさまよっているのが現在ではないかというふうに考えます。 大きいところ、あるいは伝統のある古いところは、いい活動をやっていると思うのですけれども、圧倒的多数の公益法人が公益をどこかに忘れているような状況ではないかと思います。自分を超えるのではなくて、自分たちの組織を守るのが精一杯という状況ではないかと思いますけれども。

○ ありがとうございます。よろしゅうございますか。

○ 大体抽象的なことはわかったんですけれども、もうちょっと具体的に1つだけ。
 さっきの質問にもあったんだけれども、官庁主導型の公益法人という存在と、民間が自主的に業界だろうが、個人だろうが、いろんな活動をやっていますね、どちらに一番問題があるんですか。

◎小松学長 ちょっと問題がずれますけれども、例えば何もかも民営化するということは、必ずしもいいと思っておりません。ですから、公益法人も民から育ったから、官から育ったからどっちがいい悪いということではなくて、やはり公益法人としての目的、そして機能をしっかり果たしているかどうかが大事であって、官からできた公益法人は官の方ばかり見て、まさに自分や身内を超えられずに、省庁益だけでやるのは困る。しかし、官出身だけれども、しっかりした活動をやっているのなら、問題はない。
 そういう意味で、自分を超えるということは、公益の出発点で、善行にしろ自分を超えたところから始まる。不特定多数といっても自分を超えた程度のものから、もっと多くを相手にするのもある。まず、自分を超えるのが一歩です。大きな団体でも自分を超えていないような団体は、民間出であれ、これはよくないと考えております。
 民営化も、その前に公益性をしっかり身に付けるのが先で、公益性なしに民営化したら同じことの繰り返しではないかというふうに考えております。

○ 今のディスカッションに関連して1点コメント。それから、後は質問を2点させていただきたいと思います。
 官主導型、それから民間イニシアチブ型というのは、これは私が以前所属していた笹川平和財団で調査をしたところによれば、これは統計数理研究所の林さんに分析していただきましたけれども、行政補完型と当時呼んでいましたが、全体の28%という分析が出ております。
 そのほかは、非常に小粒のもので民間イニシアチブ型で、先生は先ほど小規模とおっしゃっていましたけれども、確かに基金の規模が3,000 万以下というものが36.9%を占めています。やはりこういうデータを基に議論をできるだけした方がいいんじゃないかというのが、私の考えです。また同時に官主導だからよくないとか、民間イニシアチブ型だからいいというように、議論を運ぶのは短絡的でないかと、ちょっと危険なものを感じます。
 実際に調べてみますと、自治体所掌の公益法人に多いのですが、行政では直接できない仕事を担っているというものもありました。
 そういう意味で、必要とされる仕事があったために設立されたものも存在しています。行政補完型だから良くないという決めつけ方は適切ではないと思います。
 ただし、なぜ官主導型がいけないのかというところは、やはり見ていく必要があって、それはある業界業務を独占をしたり、人事権が奪われるというのであれば、それは組織を運営する上で健全ではないと思います。官か民かというような単純な議論の運び方は回避すべきです。
 小松先生に質問ですけれども、小松先生の御説明の中からぼんやりと公益に関するディフィニションが出されているような気がするのですが、「自分を超えた」ということをおっしゃっていると思うんですが、どうなんでしょうか。
 例えば、いわゆる障害を持っている方たちのセルフ・ヘルプ・グループ、これは身内のためです。それから、ごく一部の方しか関心を持たないような伝統芸能の保存というように、一見したところ、不特定多数を対象とはしていないけれども、やはり社会に必要であるような、こういった仕事に関して、今の定義の仕方でありますと漏れてしまうのではないかと懸念いたしました。
 もう一つの質問、これは別のものですが、公益的な活動が戦後市民から見えないというものになったというふうに説明されましたが、その原因はどこにあるのかということです。

◎小松学長 最初の公益法人には弱小組織が多いという説明に対して、数字で裏付けいただき有難うございます。
 それから、文化的な活動、東北は祭礼、踊りとか、歌舞伎とか、能とか大変盛んなところです。これらを保存する活動は、地域の共有の財産になっていると言えます。担っている人は、ごく一部の人かもしれないけれども、社会性や公益性ありと判断してよいと思っております。
 現に、東北でも、神楽だとか、能とか歌舞伎も、大体後援会ができていて、それにいろいろ人が加わって支援し、地域で支えている面があります。
 それから、もう一つ障害者関係でしたか、これも障害者と共生するとか、障害者が普通の生活をできること自体社会的な益であり、仮にごく狭い活動であってもそういう社会的・公益的役割をそれ自体が持つのではないかと思っております。
 自分の家族の家づくり、自分たちの会社の何とかづくりではなくて、まちづくりも自分を超えて地域づくりにいく、企業も自分の会社を超えるところに公益が始まりますが、特に日本は障害者や高齢者の保護が後れてきた面もありますので、そういった活動自体が社会性を持っているのではないかと思います。
 それから、公益法人でも、特に民法に基づく財団法人、社団法人は、市民に直接というより、NPOなどを支援する。今のNPOとかNGOというのは、国民・市民とつながる活動ですね。救援とか救助とか、あるいはいろんなサービスを直接市民に提供する。
 財団の場合は、どちらかと言うと、その上にあって、NPO・NGOなどを助成したりする活動、あるいは研究者とかの場合は、直接補助になりますが、研究者自身が必ずしも一般市民ではないので、そういう意味で直接補助・援助とか助成をやる団体もありますけれども、必ずしも大方はそうではない。市民はむしろ財団のお金が実は提供されているんだけれども、その仲介に入っているNGOとかNPOの活動を通して受け止めることになるので、財団の活動が見えにくい、社団法人はもっと専門家の集団になりますから、その周辺では知られているけれども、国民と距離がある。
 そういう意味で、財団でも、特に力のないところはNGOとかNPOと結び付いた活動もこれから考えていいんじゃないかと考えているんです。

○ 質問ではなくて、コメントをさせていただきたいと思っております。
 大変小松先生のお話参考になりました。実は、私も今、明治、大正の実業人が公益活動にどうして入っていったかということを調べ始めておりまして、そういう意味で先生のおっしゃられた修身といったようなものの影響というのは、大変大きいと思っております。
 今、100 人ぐらいの方の経歴を調べておりますが、そこから出てくるのには、幾つか道があって、1つは士族の子弟が15〜16ぐらいのときからアメリカ、ヨーロッパに留学をするというのが非常に多い。
 そこまで留学させることができないような人たちは、地域の元の蘭学塾が英語学校に随分変わっていって、そこで英語あるいは教会の牧師から宗教だけではなくて、外の知識というものを得る、そういうようなことによって、ほかの国では一体どういう社会体制になっているかということを学んでいる人が多い。
 もう一つは、やはり『論語』によって、いわゆる上に立つ者の責務とは一体何なのかという、そういう精神を受け継いだ方々が中央に出て財を成すと。そうするとそこで公益活動をするという流れがあります。ちょうど明治の国づくりの途上にあったからだと思うんですけれども、国をつくるというのは、政府、企業だけではなくて、もう一つ大きな社会というものかあるのだと。そしてそういうものを国として、あるいは経済人一個人として育てていかないと、きちんとした社会というものができ上がらないんだという思いが渋沢栄一を中心として、多くの財界人の中にあったんだと思います。
 私どもがただいまやっておりますプロジェクトの1つは、それが戦後にどうつながっていったかということで、まだ実証できるような段階までいっておりません。ただ、戦後の復興に当たって、終戦直後に政府が経済安定本部をつくり、また、復興に参加するようにと経済界に声をかけるわけなんですけれども、それが明治、大正のように、個々人としての実業人ではなく、経済界としてまとまって一体化して、国と一緒になって、国づくりに資するようにという話になっていったと思います。
 そこで、55年辺りに経団連が、いわゆる政治資金収集マシーンになり始めて、その結果、全体的な政治と一体になって活動するようなことになるわけなんですけれども、そこの段階ぐらいから、個々人の公益という観念よりも、政府と企業が一体となって、国を担っていくというふうに変わっていってしまい、それで公益における民間というものが後ろに引っ込んでしまったんではないかなという感じがしております。

◎小松学長 おっしゃること大変よく理解できます。中国というのは、故宮博物館、あるいはお役所でも、大体「公」という文字の入った掛軸や看板があります。公という言葉がはるか昔からお役人は当然ですけれども、国民の支えになってきた。中国は昔からそういう面を持っている。今、公益大学の若い中国人の先生がそういうことを研究しておりますけれども、本当に学ぶべきところがある。
 日本は、思いやりはみんな持っているんですが、それが中国の公とか、戦前の公益とか、何かよりどころになるものがなくてばらばら。一人ひとりは恐らくどの国も負けないぐらい思いやりとかあると思うんです。昔は『論語』をよりどころにした学者も多い。渋沢家に入った東大の穂積陳重先生、息子さんの重遠先生なんか、まさに公益をわきまえた教育者だと思いますね。
 今なら、古い大学ほど休講だらけ。そういう状況の中で穂積先生は『論語』を学んで、「朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり」を座右の銘に、休講はしないというような原則を守ったほどしっかりとしたバックボーンとして、公をわきまえておられた。
 よく見ると、大方もそれに近いものは持っているが、ただふらついているような感じで軸がない。中国はどこへ行っても公が目立つ。実際にそれが守られているかどうかはわからないんですけれども。

○ どうもありがとうございます。大臣はここで御退席になりますので、一言。

◎金子大臣 御苦労様でございます。今、お話を伺っていて、大変私自身も勉強させていただきました。私も時間ができる限り一緒になって勉強させていただきたいと思っています。どうぞ、よろしくお願いいたします。

○ どうもありがとうございます。小松先生から大変有益なお話を伺って、いろいろディスカッションさせていただきまして、まだまだ足りないような気がするわけですが、また改めて私たちの伺いたいことをお伺いさせていただきたいと存じます。

(金子行政改革担当大臣 退室)

◎小松学長 一言だけ、時間を取ってよろしいですか。

○ はい。

◎小松学長 現在の公益というのは、まちづくりとか、政治なんかに典型的に見られる。まちづくりということでは、日本では本物のまちづくりはなかったとも言える。
 家づくり、自分の持家づくりはやるけれども、隣りの庭が汚かろうと、道路が汚かろうと自分の家をつくるのが精一杯だった。
 けれども、自分を超えて、地域、町全体をどうするかということを考えないと、まちづくりは本物にならないし、いい暮らしもない。まさに公益というのは、自分を超えて、自分も協力して連帯をする。それが自分にも返ってくるのが現代の公益です。
 いわゆる慈恵型の公益もまだ生きている。それに続く貢献型もまだ必要です。あわせて、自分も参加して、ボランティア、協力、連帯するが、それが自分にも返ってくるという連帯型も必要になっている。そういう視点がこれまではなかった。今、東北を中心にし、かなりまちづくりが始まっている。
 それに戦後の日本は典型的な権利政治。戦後、百八十度転換して民主化した。要求はどんどんする。小さな町でも隣りに博物館ができたら、うちにもつくれ、隣りはオーケストラもできた。うちもつくれと、要求はする。それができたら何をするかというと、楽しむだけで何も協力はしない。
 欧米ですと、その後、要求だけでなくボランティアで協力もする。小さな町では、学校、オーケストラ、美術館など、みんながそれをボランティアで支えている。イギリスのナショナルトラストも典型的にボランティアで成り立っている。市民は要求するだけではなくて、自分は何ができるかという対応をする。
 これから大事なのは、そういう連帯型の政治です。要求は大いにすべきです。権利も主張すべきです。同時に自分は何ができるのか、自分が参加して何ができるのか、こういうことを考えるのが、これからの公益政治だという考えです。

○ ありがとうございました。今、御紹介いただいた御本については、また事務局の方で整理させていただいて、お配りしたいと存じますので、よろしくお願いいたします。
 今日は、小松先生ありがとうございました。

◎小松学長 どうも失礼いたします。

○ 一言いいですか、恐らくほかで余り議論することがないかもしれませんので、小松先生が最後までお残りになるんだったらもう少し後でお聞きしようと思ったんですけれども、もうすぐお帰りになるということなので、今発言してよろしいでしょうか、今の先生のお考え方について。

◎小松学長 はい。

○ 今、修身の教科書を拝見しまして、公益ですとか、更には市民という概念が出てきたり、当時としては非常に先見的な意見が出ていて非常に感心しました。
 問題は、先ほどどなたかもおっしゃいましたけれども、その当時の公益という考え方と、現在、我々が今の社会で公益というのを考えるときに、どういうふうにつながっていくのかということをちょっと考えておく必要があるだろうというふうな気がしました。
 恐らく、当時の公益というのは、いろんなのがありますけれども、例えば渋沢栄一とか、いろいろ当時の財を成した人たちが、公益活動として、いろいろ財を拠出すると。これは、勿論それ自体非常に結構なことなんですけれども、これは現在の法律制度の関係でいいますと、どちらかというと、財団法人的な、余裕のある人たちはお金を出して社会のために使いなさいというタイプだと思うんです。
 もう一つ、現在の社会で恐らく重要なのは、こうしたものだけでなく、先生が最後におまとめになりました、みんなが自ら活動をするというタイプで、これが言わば社団的というんでしょうか、ボランティア団体というんでしょうか、NPOとか、そういう形の公益なんだろうと思うんです。
 そういう意味では、従来からのと現在のとはちょっと重点が違う。そこを少しわきまえて法律制度なんかをつくるときには、検討した方がいいんじゃないかという感想を持ちましたので、ちょっとそれについてご意見があればお願いします。

◎小松学長 ありがとうございます。全くそのとおりで、戦前、特に明治、大正ころはニーズのある方は全く受け手ですね。例えば、安田善次郎とか、大倉喜八郎とか、当時は必ずしも評判はよくなかった。評判がよくないのは、財の割合には寄付が足りないんではないかという意味でした。安田善次郎も大倉喜八郎も大変な社会貢献しています。全国津々浦々、亡くなってから、東大講堂も安田家は寄付しております。我々から見たら、こんなに安田家も大倉家もやっているじゃないか、大学もつくったり。ところが当時は世間からまだ足りないという催促があったほど、財界人・経営者・資産家には社会貢献が当たり前でした。
 現在は極貧状態がなくなっている。すべての人が何らかの形で参加できる段階ではないかなと考えております。

○ ありがとうございます。それでは、どうもありがとうございました。引き続きまして、中田先生から今日のレクチャーをお願いしたいと存じますが、よろしくお願いします。

(小松東北公益文科大学学長 退室)

○中田教授 ただいまの小松先生のお話は、最も本質的な問題について、理念の歴史をたどるという非常に奥深いものだったわけですので、その後ちょっとやりにくいんですけれども、私の方は制度について検討してみようと思います。と申しましても、ここにいらっしゃる皆様方、もう本当に専門家ばかりでいらっしゃいますので、改めて申し上げることはないんですけれども、本格的な議論を我々がする前に、復習と論点整理ということでお話をさせていただきます。
 資料3でして、時間が20分〜25分の間ぐらいになるかもしれません。最初に制度の歴史を振り返りまして、それから問題の分析をします。
 まず、公益法人制度の歴史ですけれども、現在の民法典は1896年にできたわけで、公益法人制度はここでつくられました。それ以前に、1890年に旧民法というのがあったんですけれども、ここでは公益に関する事業をする法人の設立に対しては否定的な態度が示されておりました。私益に関することは、私人に委ねてもいいけれども、公益に関することは、国家が行うべきだと、私人がするのは弊害があるというふうに考えられていたからです。
 現行民法はこれを改めまして、公益法人制度を導入したわけです。そこでは相対立する2つの面が見られます。一方で私人の公益的行為を積極的に評価するという面、他方で私人の公益的行為を規制するという面です。現行民法はもともとこの2つの面が含まれておりまして、その調和を図ろうとしたわけです。
 ところが、その後の100 年間でその調和はうまく機能しなかったわけです。このため2つの方向からの問題が指摘されています。
 一方で、現存する公益法人の問題点といたしまして、優遇税制の下で実質的には私益、または共益を図っている公益法人があるとか、公益法人は官の聖域であるといった批判があります。
 他方で、公益法人制度の問題点が指摘されています。主務官庁の設立許可が厳しく、民間の公益的活動が制約されているとか、非営利・非公益の団体の法人化が困難だという指摘です。
 こういった事態を招いた原因は、幾つか考えられます。まず、制度の硬直化があります。公益法人が増加するにつれて、100 年の間に断続的に社会を騒がせる不祥事が発生する。その都度規制が強化されていって、それが積み重なっていくということがあります。
 この規制は、税の優遇措置と結び付くために一層厳しくなります。しかし、反面、規制にもかかわらず、不当な利益を得ていると批判される法人も現れるわけです。
 次に我が国の行政システムの問題点が、主務官庁制を通じて公益法人に流れ込んできたということがあると思います。また、社会の変化や意識の変化によって、国民の側に多様なニーズが出ているのに、現行制度がそれに応えられなくなっているということもあると思います。そこで幾つかの改革が行われました。公益法人については、1996年に「公益法人の設立許可及び指導監督基準」の閣議決定があり、98年には、「公益法人の営利法人等への転換に関する指針」の申し合わせがあったということです。更にこの98年には、特別法としてのNPO法が成立しておりまして、その後多くのNPO法人が誕生しています。今年の10月末現在で認証されたNPO法人の累計は、1万3,777 件に上るということです。
 また、2001年6月には、中間法人法が成立しまして、その後1年で余り多くはありませんけれども、291 法人が設立されたということです。
 こういった対応で、かなりの問題は解決されたわけですけれども、なお公益法人制度自体の根本問題は残っている。それが現在の状況だと認識しております。
 そこで、IIIですけれども、私がこの問題について勉強していますと、どうもいろんな議論がかみ合っていないのではないかと感じることがありました。そこで、問題の全体としての構造を考える必要があるということで試みてみたわけです。
 公益法人を3つの層に分けてみようと思います。
 第1は、非営利の団体であるという層。
 第2は、非営利の法人であるという層。
 第3は、公益性のある非営利法人であるという層です。
 この3つの層のそれぞれにおいて、国家、団体ないし法人、構成員、この三者がどういった関係にあるのかということを検討する。そんな枠で考えております。
 問題点を明確にするために、本日は社団法人だけを取り上げます。また、構成員は主として個人ですので、個人を中心に考えることにいたします。
 ここで非営利という言葉が出てくるんですが、2ページ目ですけれども、この非営利というのは団体や法人が収益的活動をしないことという意味ではなくて、団体や法人が得た利益を構成員に分配しないことという意味で使います。
 公益の概念については、後ほど申し上げます。
 非営利と公益との関係について、私の造語ですけれども、一軸論と二軸論があるように思います。レジュメの図なんですが、一軸論というのは、営利と公益を両端とする1つの軸で考えるものです。この発想ですと、公益と非営利が重なってくるわけです。
 これに対しまして、公益と非公益、営利と非営利という二軸論がある。恐らくこちらの方がより一般的かと思いますので、以下ではこの二軸を前提として進めてまいります。
 まず、非営利団体の層ですけれども、ここではかいつまんで申しますと、国家、団体、個人の関係については、まず国家と団体の関係について、国家による団体の選別と国家による団体の利用という2つの関係があると思います。
 次に団体と個人との関係については、団体による個人の自由の保護と、団体による個人の自由の抑圧という、やはり2つの関係があると思います。この4つの関係が、団体の層の問題として存在するわけでして、それぞれの関係について活発な議論がありますけれども、ここではその内容に立ち入りませんで、より基礎的な問題を指摘したいと思います。
 それは、以上の4つの関係を通じて、国家、団体、個人について考える際に2つの見方があるということです。
 第1の見方は、まず最初に団体を観念するというもの。
 第2の見方は、団体以前の個人をまず観念するというものです。
 現実には、目の前にある団体の取り扱いが問題になりますから、団体を出発点として考えるということになりがちですけれども、問題の本質はやはり個人の自由にあるのではないかと思っております。
 公益法人の基礎には、こういった基本的な問題を含む団体というレベルの問題があると考えております。
 2番目に、公益法人には、法人であるという層があります。団体が法人格を取得することの法的な意義については、1970年前後に活発な議論がありました。現在では、法人格の取得には、権利義務の帰属点となるということ、それから、法人財産の分離独立性、構成員の有限責任という3つの意義があるということは、ほぼ共通の理解になっていると思います。その具体的な内容は、レジュメに書いたとおりでありますけれども、勿論法人でない団体でもこのうちの一部が認められるものがある、あるいは、法人であっても、構成員の有限責任が認められないものがある、ということも認められているわけです。
 こういった法人格取得の財産法上の意義、あるいは法人格というものの機能の意義の分析がだんだん進んできますと、法人格というのは例外的に与えられる特権ではなくて、当事者が効率的にその財産関係をコントロールできる法技術として広く認めてよいという発想が広まっていきます。法人の設立を容易にすることによって生じる問題については、これは別途対応すればよいと考えるわけです。2001年の中間法人法の制定の背景には、こういった認識の広まりがあったと思います。
 そこで、現在の状況を考えてみますと、2つの異なる次元の問題があります。
 第1は、現在広まっている法人観について、その道具主義的な発想、あるいは一種の機能論についての懐疑が改めて提起されているということです。これは根本的な問題提起でありまして、法人における人の集まりという実態をもっと重視すべきだというものであります。
 第2は、新たな非営利法人制度を、どのように構築するかという問題です。これは更に2つに分かれます。
 その1は、営利法人との関係をどうするかです。少なくとも制度設計をする際には、営利法人法制との相互作用を考えておく必要があると思います。
 その2は、非営利法人という概念に、どこまで積極的な意味を認めるべきかです。公益性の認定と切り離された非営利法人法制を考える際に、2つの問題が現われます。
 1つは、多様性の問題です。公益性があるとは限らない中間法人も含めた非営利法人を観念しますと、そこには多様な法人が含まれることになります。その中には、生活世界とか、市民社会といった言葉で理念を語り得る法人も多いでしょうけれども、職能団体や事業者団体、更には仕組みファイナンスといった法人格の利用の仕方、多様な利用形態の法人が存在し得るということになります。その結果、非営利法人という概念は、法技術的には明確ではあるけれども、ひとまとめにする積極的な理念がはっきりしないというものになってきます。
 もう一つは、その限定性の問題です。非営利法人には、民法上の公益法人と中間法人法上の中間法人という一般的なもののほか、NPO法人、宗教法人、社会福祉法人、学校法人等々、個々の根拠法に基づくものが存在します。新たな非営利法人法制を構築する際に、こういった諸法人を別扱いにするという場合には、残された非営利法人とは何かがやはり問題になってくるわけです。
 ここで2つの解決が考えられるわけでして、第1は非営利法人法制を純然たる財産管理のための法技術にすぎないと割り切る方法です。これについては、法人についての機能主義的理解に偏していて、団体の存在という実態を見失うという批判が考えられます。
 第2の方法は、非営利法人法制の主な利用主体を想定して、その主な目的は私人の公益的活動の支援などにあるということです。これに対しましては、先ほど申しました多様性や限定性を見過ごすという批判が予想されます。どっちに進んでも、批判があるわけですけれども、ひょっとしたらこの2つの方法は両立できるのかもしれません。つまり財産管理の法技術ではあるけれども、主な目的は私人の公益的活動の支援にあるというふうに考えることもできなくないかもしれないと思っております。
 いずれにしても、この問題は非営利法人のうちのある範囲のものを他と区別して取り扱うのか、どうやって区別するのかということと密接に関係するわけでして、公益法人については公益性のある非営利法人として他と区別する。このことをどう考えるかということになります。これが公益法人の第3層の問題でありまして、レジュメの4に進みます。
 現在、公益法人の設立には、主務官庁の許可が必要でありまして、この設立許可には、法人格付与・公益性認定・租税の優遇という3つの効果が一括して伴います。判例は、主務官庁の判断に広範な裁量を認めています。この制度については、一方で民間の公益的活動に過大な制約を課するという批判があります。
 他方で行政代行的で、コストの高い公益法人が多くあるという批判や、あるいは、現実には公益性を失った公益法人が租税の優遇の下で多額の内部留保をしているという批判があります。
 こういった問題は、当然、公益とは何かという問題を提起するわけでして、これがこの制度のアルファでありオメガであるということは、言うまでもありません。ただ、具体的な制度設計に当たっては、概念を抽象的に論じているだけではなかなか解決には至らないとも感じます。 むしろ公益性の認定が、具体的にどういった効果をもたらすのかを検討して、その効果との関係で公益性概念の在り方を考えるという方法もあるのではないかと思います。
 その際、公益性の認定をだれがするのかという問題がありますが、まずは国家が公益性を認定する場合について考えてみたいと思います。そうすることによって、問題点がはっきりすると思うからです。
 私人の設立する法人について、国家が公益性を認定することには、3つの機能があると考えました。それが、レジュメ4の(2)の(a)(b)(c)です。これを順に見ていきたいと思います。
 まず、(a)の公共的な事務の分担ということですが、公共的な事務、つまり公共的な事務や事業を国家と分担できる法主体を用意するという機能なんですけれども、これはどういうことかと申しますと、公共的な事務であっても、国自ら直接に実施する必要のないものについては、国以外の法主体に委ねられることがあります。そういった国の周囲の法人、政府周辺法人としては幾つかの種類のものがあります。行政法学者によりますと、特殊法人、独立行政法人、認可法人、指定法人、国の委託を受けた民商法上の法人があるということです。この辺りは、後でまた宇賀先生からお教えいただきたいと思いますけれども、公益法人というのはこのうち指定法人ないし国の委託を受けた法人となることができます。
 これらについては、行政法学ではどの範囲のものを公的なものとして取り扱うべきかという議論があるようです。範囲の確定基準としては、かつては公法人という概念が用いられたけれども、その後行政主体という概念が用いられ、しかしそれについても批判があるというようです。
 公的なものか否かの区別の実際上の効果は、まず国とその法人との関係の面で表われます。監督官庁による指揮監督権、国に対する法人の訴権、それから国と法人との間の行政手続法制といったことです。
 次に、それは法人の内部組織原理の面でも現われます。更に最近では、情報公開制度との関係が注目されています。
 このように行政法学の主たる関心は、国とその周囲の法人との切り分けに向けられているようであります。
 これに対して、公益法人を巡る現在の議論では、公益法人が行政庁から委託された事務を行うことについて、公務員の天下りといったことも含めて批判的に検討されることが多いわけです。
 こういうふうに行政法からの見方と、公益法人を巡る議論とには、関心の持ち方にやや違いがあるように思います。そのため、両者にはすれ違いがあるのかもしれませんが、ここでは両方の視点が必要ではないかと思います。
 というのはこういうことです。現在、行政委託型公益法人の見直しが必要だということは広く了解されていると思います。しかし、これを全廃すれば問題がすべて片付くというわけではありません。公共的な事務であっても、国が自ら主体となって直接に実施する必要のないものは、いずれにせよ存在するはずだからです。だとすると、そのうちのどういった事務を、どういった主体が担うのが、社会全体として最適かという、マクロ的な観点からの検討が不可欠だと思います。その際に、先ほどの両方の視点が必要だと考えるからです。
 ここで課題は3段階あります。
 第1は、ある特定の行政目的を効率的に実現するための法律関係の選択の問題です。行政庁の行う事務は、継続性を持つことが多いと思いますが、一般に継続的な事業を行うに当たって、どういった法律関係によることが最も効率的かという問題があります。
 すなわち、市場において見出される他の法主体との間の契約によるのか。自らの内部組織に行わせるのか。市場と組織との中間に位置する中間組織によるのかです。これは私人の事業についてしばしば論じられますが、行政庁の事務についても検討されるべき課題だと思います。
 第2に、選択された法律関係が何であるにせよ、その対象が公共的な事務であるために、特別な規律を受けるということです。すなわち、私的な法主体が指定法人、または委託を受けた法人として公共的な事務を行う場合であっても、国自身、あるいは国の法人組織が行うとすれば、受けるであろう拘束、民主主義原理、基本権、あるいは権力分立原理といった拘束が及ぶのでないか。それが緩和されるとすればどの程度なのかという問題があるわけです。
 また、国と私的な法主体との間で、契約という手法が用いられる場合には、行政目的の実現のためにその契約は特殊な規律を受けるのではないかという問題もあります。
 第3に、公共的な事務の担い手として、専ら公益法人を指定し、または公益法人に委託することによって、社会全体の効率性が損なわれることにならないかが検討課題になります。従来、公益法人は行政庁にとっては外部の組織ではあるものの、信頼できる存在として特殊な位置を占めてきました。指定あるいは委託契約に基づく個別的な法律関係とは別に、行政庁による設立許可、その監督権限、更には人的なレベルでのつながりという、基本システムによって行政庁の信頼が保障されてきたと思います。
 ところが、現在この基本システムについて多くの批判がなされて、現にその改革がなされつつあるわけです。
 このように(a)の機能については、公共的な事務の実施主体をどのように配置するのが、社会全体として最適になるのか、つまり国とその他の組織との間で、公共財の提供機能をどう分担するのがよいのかが課題になっているわけです。公益法人の意義は、1つにはこういった観点から新たに検討されるべきことになろうと思います。
 次に(b)です。国家による私法人の公益性認定の第2の機能は、私人の公益的活動の支援です。国家が私人の設立する法人について、公益性を認定することは、その法人の社会的信用を高める効果があります。認定が公益的活動を継続するための組織が整っている法人に限ってなされるとしますと、信用は制度的にも担保されているということになります。
 それが公益法人といった名称の専用使用と結び付く場合には、実際上更に大きな意味を持つことになります。
 従来、国家による公益性認定は、積極的に評価されてきました。このことは、例えば次のように説明することが考えられます。すなわち、公益的活動を支援するために寄付をしようと考える人は、その法人が信頼できるかどうかついて、情報を収集する必要がありますが、それにはコストがかかります。
 また、ある法人に寄付した人は、その寄付が本当に公益に寄与したのかについて情報を得にくい状態にあります。法人の側でも、自らが信頼に足りる存在であるということをきちんと証明することは、かなり困難なことであります。そこで国家が一定の法人について公益性を認定し、その法人を監督することにすれば、寄付者の情報不足は補われて、その法人に寄付をしやすくなるというわけです。
 寄付者のコストの軽減は、社会全体における寄付の総額の増額ももたらすということで、私人の公益的活動が個々の法人でも社会全体としても推進されるということになります。翻って考えますと、租税の面を含めて、何らかの形で国家が一部の法人を特別に取り扱うとしますと、好むと好まざるを問わず、そこに信用付与の効果が事実上発生します。そうすると、むしろ公益性認定を正面から制度化して、その適正化を図る方がいい、現行制度はそれに沿うものであるという説明が一方で考えられます。
 しかし、これに対しまして、最近では国家による公益性認定に対する疑問が提起されています。これは、公益性という不明確な内容について国家が認定すること自体に対する疑問、公益性認定に伴う国家の監督に対する反発、国家によるお墨付きを尊重するメンタリティーに対する批判、小さな政府を指向する政策論等々に由来するようです。
 この評価の対立は、もしかしたら問題全体の基礎にある、国家と団体との関係の評価にまで行き着くのかもしれません。大きな問題で、いろんな考え方があると思いますけれども、いずれにしても具体的な制度設計については、もう少しきめ細かい検討が必要です。その際、租税の問題が重要な意味を持ってきます。そこで(c)に進みます。
 国家による公益性認定が実際上最も大きな意味を持つのが、租税の優遇措置と結び付くということです。これについて、現在さまざまな批判があるわけですが、ここでは一般的な課題といたしましては、租税優遇をなぜするのかということを租税法の門外漢から見た感想ということで申し上げます。
 公益性が認定された法人について、租税優遇措置を講じるとしますと、その根拠の説明として2つ考えられます。
 第1は、経済学的説明であります。つまり、社会にとって必要だけれども、市場経済に委ねておいては実現できず、かつ国家自身が行うことは適当ではないという事務を私人が行う場合に、その私人の活動に対して国が補助金を与えるという説明です。これは公共的な事務が効率的に実施されることを目的とするものです。
 第2は、言葉は適当ではないかもしれませんけれども、価値的説明です。私人の公益活動そのものに意味があると考えるという説明でして、私人の善意の受け皿となる公益的な法人の活動を支援するということは、私人の公益的活動を促進することになる。それは善意の活動をすることによる個人の幸福という面でも、社会の在り方という面でも望ましいという発想であります。寄付文化の育成というのは、この説明のコロラリーかと思います。
 第1の経済学的説明は、先ほど申し上げました中の(a)の公共的な事務の分担という機能に、第2の公益的な活動自体の尊重という説明は、(b)の私人の公益的活動の支援という機能に、それぞれ親和的だと思います。
 租税優遇根拠として、恐らく前者の方が受け入れやすいのだろうと思いますけれども、後者も考慮する余地がないのかどうかという問題提起が可能ではないかというふうに思っております。
 最後に、新たな非営利法人制度を考える際の問題点で、そこに幾つか列挙しておりますけれども、ここでは6月27日の閣議決定が前提になるということですので、まずその設立段階では公益性の有無に関わらず、準則主義による非営利法人が設立されるということになりまして、そうするとそこに書いてある(3)のBCDを考えるということになります。
 ここでは2つの課題がありまして、1つは国家と民間がこのBCDにどういうふうに関与するかです。これは国家か民間かという二者択一ではなくて、多様な関与の仕方、国がその組み合わせの長短を分析して決定すべきことだろうと思っております。
 第2は、租税優遇の基準となる公益性認定と、その他の面での公益性認定との関係をどう考え制度化するかですが、本日は問題の指摘にとどめたいと思います。
 いずれにしましても、このBCDの問題は、理念と技術の組み合わせによる精緻な検討が必要になるものでありまして、今後の検討課題かと思っています。
 ということで、非常に雑駁な内容ですけれども、論点整理ということでお話しいたしました。今日また皆様の御意見をいただきながら、今後更に御一緒に考えていきたいと思っております。
 どうもありがとうございました。

○ ありがとうございました。今、雑駁というお話がございましたが、とてもそんなことはないので、全体の構造に関してこれほど完璧な議論は初めて拝見して、びっくりしたわけですが、さていろいろ各論になってきますと、皆様の御関心がそれぞれ違った点であろうかと思います。御質問ございましたら、どうぞ中田先生にお願いをしたいと思います。

○ 質問ではないですが、私はこちらの前期の懇談会の方にも出席させていただきながら、頭の中で非常に混乱をしていた部分があります。これは、公益法人の改革というものを、今回非営利と言い換えたときに、その間をつなぐ部分が非常に私の中で混乱をしていたんですが、今回、中田先生の方から二軸論を出していただきまして、営利と非営利、公益と非公益の軸が2つあるということで、今回区別をしていただいたのは非常によかったと思っております。
 今回の私どもの有識者会議というものについては、基本方針に従って、その内容について検討することになるんですけれども、今回の非営利法人と言われている範囲の部分については、ある意味では民法34条の公益法人と言い切っている部分から、非営利法人という形で今回閣議決定をされている部分で言い換えた中にあって、NPO法人、中間法人についても、一定の議論をさせていただけるという認識に立った上でよろしいのかどうか。この会議の前提としてその範囲、非営利法人と言われている範囲を今回どのようにお考えになっていらっしゃるのかというのは、一度事務局からお伺いをしたいというふうに思っております。

○ 事務局に対しての御質問です。この前の第1回の議論では、今いろいろ公益関係の法人として中間法人、NPO、それから今度の非営利法人等についての整合性を取らなければいけないというところまでは議論があったわけです。

○ そうですね。閣議決定の基本方針にも書いてありますね。

○ それを一歩踏み込んだ御質問なので、事務局の方で見解だけお話をお願いします。

● 私ども、基本方針に基づいて議論していただくというのが大前提なんですけれども、非営利の概念については、基本的には営利ではないという意味で、概念的にはいろんなものが含まれるんだと思うんです。ただし、今、我々が検討しようとしているのは、そういう非営利法人という営利ではないという意味合いでの非営利法人を議論するにしても、その中でそもそもの私どものねらいは、いわゆる公益法人をどのように、新たな非営利法人制度との関連で整理していくかということと思っておるんです。ですから、非営利の中身としてNPO法人とか、それから中間法人とか、そういうのも概念として入ってくる整理の仕方というのは当然あると思っているんです。それを我々も排除しているわけではないと。
 ただし、そういった非営利法人の下で新たな公益法人制度を考えるというときに、それとNPO法人とか、中間法人との関係をどういうふうに整理していくかは、これからの御議論次第ということで考えておりまして、議論としてそもそもNPO法人とか中間法人を排除するということは考えておりません。当然後で整理しなければいけないというふうに思っているんですけれども、まず議論として今の公益法人制度をどう変えていくのかという議論を進めていく中で、NPO法人とか中間法人とか他の法人との関係も考えていかなければいけないという整理の仕方なんです。
 抽象的かもしれませんけれども、ですから非営利法人を今のところ我々はここまでの非営利法人という非営利の範囲を決めているわけではありません。
 今後、当然NPOとか中間法人も含めた概念の整理をしていただく必要はあるだろうと思っております。

○ 私が確認をしたかったのは、財団、社団以外の部分につきましても、一定程度この会議の中で、NPO、中間法人を含めた形の広い範囲で御議論いただいてもよろしいというように聞こえましたので、そういう意味では広い分野を議論させていただけるということを確認させていただいたように思いますので、それで是非。

● それで結構だと思います。要するに、広い視野で見ないと、この問題は解決策が難しいという意味で、広い視野からいろいろ議論していただくと、範囲を特に限定せずにですね。

○ そうですか。なぜ私がこういう話を差し上げるかというと、前回も含めてですが、やはり特別法の福祉法人、宗教法人、学校法人については、今回は除くという前提をおっしゃっていただいたことがあります。今回の公益法人改革というのは、さまざまなところでかなりNPOも含めて、市民の中にも注目されています。私も委員になってからいろいろな方からメールをいただく中にあって、なぜそこを排除しなければいけないかという議論については、一定程度取り扱いの範囲をこの会議は前提にしているということを言っていただかないと、いろいろな誤解をこの会議が受けるように思っております。つまりなぜそれを今回は除くのかという部分については、あらかじめ明確にさせていただいた方がいいと思っておりました。先ほど申し上げた福祉法人とか宗教法人以外のNPO、中間法人についても、広く議論させていただけるということが判明したので、私としてはそれで結構です。

○ 今のお話に関連して、先生にお尋ねしようと思ったんです。私は、宗教法人だとか、学校法人、福祉法人、まあ福祉辺りはいいんだけれども、実際は宗教法人ぐらいいかがわしいものはないと思っているから、税の実態からすれば、これは除外してしまったのは政治勢力の話です。それが最大の不愉快の原点なんです。
 2番目に、この去年の3月何日かに、突然NPOを除外して、別に考えろという話になりまして、これは政治的な圧力ですよ。
 もう一つ最近になって、中間法人も除外しろということになったと聞きます。
 そこで、そういうことを前置きにして先生にお尋ねしたいのは、先生の御議論は、特別立法に基づく宗教法人、学校法人、福祉法人とは別に、それからNPOの話も別に、現在我々が一応問題を限定されているマンデートですね。公益法人問題について限定されても同じなのか。

○中田教授 この原稿の基になっているのは、もともと私法学会という学会での報告でして、そこではとにかく全体の議論を考えてみようということです。その問題と現実に法制度を考えるというのは、やや次元が違うのではないかと。学会で議論するときは、閣議決定云々ということとは別に、一般的な議論を深めていくということになると思いますけれども、ここは閣議決定を受けた会議だというふうに理解していますので、そういう整理になるかなと思います。

● 今のに関連しますが、先ほど宗教法人とか社会福祉法人とか言われましたけれども、基本的に我々の方は今の民法に基づく公益法人の改革という視点で取り組んでおりますので、とりあえず特別法に基づく今のお話の公益法人というのは、視野にはございません。

○ そもそもそうなっていることはわかっています。だけど、しようがないけれども、不愉快だと言っているんです。だけど、そのことをここで言ってあなたを困らせるという気は全くないんです。そんなことは政治の話です。

○ その前に先ほどの話に戻りますけれども、今の事務局の話と全く同じなんですが、新しい非営利の公益法人の制度といいますか、構造を構築していこうというのが、我々の与えられたミッションでありまして、その間にNPOの問題なり、中間法人の問題なりというのは、当然入ってくるかもしれませんね。それを議論するのは、私は一向に構わないんじゃないかと思っているんですが、いかがなんでしょうか。

● 全くそのとおりでございます。

○ ただし、だからといってNPOをどうするということは、この会議の使命ではないというふうに考えております。

○ 将来ここである方向が決まれば、数年経ってNPOも入れるかとなったときに、こっちもしっかりしているから入ったらどうだということは可能だと。

○ あるいは、この議論をやっている間に、NPOとの関係が新しく発見されてきて、これはどうしようということが起きてくるかもしれません、それはそのときの問題であるというふうに思っているんですが。

○ 今の論点整理は、最初からの流れで明確なんですけれども、私個人の気持ちとしては、せっかくの公益法人、これからある意味で民法100 年の中で言っている財団と社団の流れから、今日、小松先生も中田先生の方からもお話が出たように、公益という考え方が市民を軸にだんだん特殊化の個人から、まさにシビル・ミニマムじゃないんですけれども、だれでも自分の意思を持って活動できるという段階に入った中での、このせっかくの会議の中で、公益から非営利団体と言い換えながら、概念を広げながら、今回のNPO法人をある意味で取り込まないでここの議論をするというのは、非常に私としてはもったいない議論だと思っています。
 例の前回の税調のところで、いろんな意味でNPOの巻き返しがあって、今回は対象から抜けてしまったという現実はあるんですけれども、それはある意味ではNPO法人も含めてなんですが、やはりこちらの議論がうまく伝わらなかった、きっちりと。最初に原則課税というところだけで議論が突出してしまいまして、実質上のここでの議論というものについて、やはりもったいなかったというふうには思っておりますので、事務局には大変失礼だとは思いますけれども、やはりNPO法人をもう一度ここの場で、一定程度の方向を出せるということも含めて、広くNPOも入れさせていただくということは是非させていただきたいと思います。議論にはのせるというのはよくわかっています。

○ ですから、この会議の使命として、NPOをどうしようと、あるいはNPOを全部ひっくるめて議論しようという使命ではありませんけれども、NPOとの関係については十分議論をしていただいて結構だと思います。
 そうなってくると、また例えば2年後なり3年後になって、NPOの問題をどうしようということが起きてくるかもしれませんね。この限られた時間でNPOの問題まで、NPOはまだ施行されて、しかも一万何千か設立されて、しかしフォローアップがなされてないんです。そのフォローアップがなされてないような状況で、ここでこの中にNPOも全部入れて考えようというのは、ちょっと早いんじゃないかという気がします。
 例えば、東京都なんかに聞いてきますと、認証はするんだけれども、あとのフォローアップが全然なされてない。したがって、設立しても、全然動いてないところも当然あるわけです。ですから、それらが動くようになって、社会的にどういう価値が出てきたかというところで、この議論と正面から取り組むということは、今の時点ではちょっと尚早ではないかという気がします。これは私の個人的な意見なんですが。

○ このNPOの問題というのは、恐らく政治的な背景があるので、どこがどういうふうに担当するか難しいと思いますけれども、ここでの課題は私の理解では、少なくとも一番広い範囲では非営利の法人がありますけれども、その中で公益的な活動をする法人というものを、やはり2階に乗せるような形でもって設けるべきかどうか、そういう意味で公益法人というものの意義というのを考えるかどうかというのが、一応中心的な課題ですけれども、ただ今日の中田さんの図を純粋に見ますと、その中には当然NPO的な団体というのも視野に入ってくるわけですね。ですから、ここで公益法人といいますか、公益的な法人制度の議論をいろいろ詰めていきますと、そこで例えばガバナンスというのはどうあるべきかとか、あるいは人数ですとか、あるいは公益性の在り方について、どんなふうにあるべきかというのを議論していくと、おのずとNPOの問題も議論として入ってくると思うんです。あと政治的な議論、あるいは法律をつくるときにどうなるかというのは、それはここでは恐らくなかなかタッチできないと思います。

○ 今おっしゃったことと同じなんですけれども、この会議におけるミッションというのは限定されていると思うんです。ただ、だからといってその範囲でしかものを考えないとすると、非常に狭いことになるわけです。
 ですから、広く考えた上で、しかしミッションはミッションとしてそれを前提に考えていくということかなと思います。

○ ところで、中田先生のレクチャーに対して、余り完璧過ぎて御質問がないように思うんですけれども、いかがでしょうか。
 ○○さん、どうぞ。

○ 法律に関しては全く素人ですので、非常にアマチュアな質問をさせていただいて恐縮です。先生の論点で、私が一番開明的だと思いましたのは、公共的な事務の分担と、私人の公的活動の支援、この議論のせめぎ合いだというところです。同時に行政補完型の組織の内訳というのを調べてみますと、体育館とか音楽とか、地方自治体所管の中で地元に必要な施設を運営するというサービスを提供しているものがあり、市民が必要とするサービスや施設であるが、行政では直接着手できないので公益法人が担っているというものです。
 そうしますと、私人あるいは市民による公的活動の醸成と行政業務を補完するというこの2つの議論をいつも同じお皿の上に載せるのが難しいのではないかという気もします。だとすれば、法律的なテクニックによって、この2つの組織を切り分けるということは、可能なのでしょうか。

○中田教授 これは区別するための基準としては、多分抽象的過ぎるだろうと思います。むしろものの見方についてお示しして御議論いただこうと思ったわけです。
 つまり幾つかの法人を、この(a)か(b)かというふうに類型化するのではなくて、ある法人が公益性があると認定されることによって、どういう機能を担うということを考えられているのか、多分その2つの視点がクロスしてあり得るんじゃないかと思っています。ただ、おのずとどっちが強いというのはあると思います。

○ 同じく3ページの租税の優遇措置との関係の中の、経済学的説明というところで、公共的な事務の分担に関する補助金の付与というのを、経済学的な見地からということでお挙げいただいておりますが、そのほかに経済学的な見地という観点からいいますと、税収に回らない部分が寄付税制という形の中で民間に回ることの経済的な意義というものがなかなか実証は難しいにしても、これから考えられなければいけないと思いますが、いかがでしょうか。

○中田教授 補助金というのは、何というか、割と広い意味でたとえのように言っているわけでして、いろんな形で公益性があると認定された法人が、税の優遇を受ける、それはなぜかということを考えたときに、補助金という言葉を使ってるわけでして、具体的な使い方としての補助金とはちょっと違う意味のつもりでございます。

○ ですから、当然税金として国にお払いすべきものを払わないで済むということが補助であるというふうに考えてもよろしいわけですね。

○ わかりました。

○ 中田さんとはそんなに意見が対立しているわけではないので、質問する必要もないのかもしれませんけれども、中田さんが問題提起した2ページ目の一番最後のところなんですが、「非営利法人という概念の積極的意味は何か」というところがございます。私も常々この制度改革の問題で考えているんですけれども、実は本当に団体、法人というのは多様でして、一方の極には純粋な意味での、だれでも共通してこれは公益だと考える、そういう公益的な活動もあれば、他方では同業者団体とか、同窓会とか、先ほど小松先生のお話にもありましたけれども、もうちょっと身内の狭い利益を追求する団体があったりします。そういう意味でだれの利益を追求するかというというときに、一方の極には公益、他方の極には共通の利益という意味で共益と呼んでおりますが、諸外国でもパブリック・ベネフィットというのと、ミューチュアル・ベネフィットというので2つに分けて考えるということがありまして、そういう意味で両極があり、さらにその中間にもたくさんありますが、非常に多様なものがあるわけです。
 更にもう一つ複雑にしているのは、この中田さんの報告にもありましたが、法人制度というのはいろんな目的で使われていて、例えば皆様御承知だと思いますけれども、資産流動化ということで、特定の資産を企業などが担保にするためにSpCという特別な法人に財産を移して、それで資金を調達するという制度がありまして、そこではだれの利益というよりは、まあ資金調達のための非常に技術的な制度として法人を使ったりしております。
 しかし、今の技術的に資金調達のために使う資産流動化の器としての法人というものも、これも別に営利法人ではなくて、広い意味で非営利法人の中に入ってくるんです。そうしますと、非営利法人という大きな器の中に、今言った公益的なものから共通の利益のもの、それから非常に技術的なもの、いろんなものが入ってきて、それを全体としてどういうふうに見たらいいか、これは後で委員の方からも問題提起があるということでございますけれども、どういうふうに全体を1つの理念でとらえたらいいのか、あるいは1つでとらえる必要ないのかもしれませんけれども、そういう問題があります。
 今の問題と同時に、ここでの課題に更に引き付けて考えますと、今まで多様なものを全体として非営利法人という制度の中でとらえるときに、更に一方の極にあった公益的な法人というものを、特にまた切り出す積極的な意味があるのかどうか。私はこの点については、やはり積極的な意味があると考えているんですが、具体的な証明はまた後にしますけれども、実は諸外国でもそういう流れが結構ある。
 例えば、イギリスでも、今までは公益活動をするための器としては、普通の会社法のカンパニーというのを使っていたんですが、どうもそれはいろんな面で適当じゃないというふうにイギリスの政府は考えておりまして、今度の改革では日本で言う公益法人に近いような制度を新たに付け加えようというふうに考えているようでございます。
 そういう意味で、公益法人的な法人制度というのが上乗せする形で制度を作ることには十分意味があるんではないかということです。
 ちょっと話が長くなりましたけれども、さっきの中田さんの積極的に全体をとらえることができるかどうかという点と、上乗せする意義があるかどうかということについてお伺いしたいと思います。

○中田教授 御指摘のとおり、2段階です。上乗せについて公益というものを認定する意義があるかどうか、それからその前提として多様なものを含んでいる非営利法人法制というものをどう考えるか、という2段階があると思うんです。
 仕組みファイナンス、あるいは資産流動化のために使われるような非営利法人も含めて、非営利法人法制というものを全体としてどう考えるのかということですが、私さっき2つの方向があるというふうに申しました上で、ひょっとしたらそれは対立するのではなくて、法技術なんだけれども、主として私人の公益的活動、あるいは共益も含めてよろしいかもしれませんけれども、そのために使われるものだ、だからそこでは市民社会とか、あるいは生活社会とかという言葉でくくられるものが、その主たるものであるというとらえ方もできるかなというふうに、今、考え始めているところです。

○ ありがとうございました。議論は尽きないんですけれども、先ほど申しましたとおり、今日は中田先生、ありがとうございました。委員から、是非皆様にお話しをしたいということがございますので、どうぞ。

○ それでは、今の中田さんの御発言と関係もございますので、ちょっと発言させていただきたいと思います。
 中田さんもおっしゃいましたし、ワーキンググループでも問題になったのですが、非営利法人というと営利を目的としていないという消極的な要素だけを共通とするいろんな法人を含むことになって、もっと積極的な統一原理といいますか、統一的な基準、あるいは理念、非営利法人の理念というものを頭に置いて考えないと、議論が混迷するのではないかと考えまして、私自身が委員の一人としてこの問題を考える場合に、頭の整理をしておく必要があるのではないかとも考えまして、こういうふうに考えておけば、当たらずとも遠からずであろうと考えたところを、ちょっと披露させていただきます。非営利法人という問題を考える場合には、何が非営利法人の理念なのかということについては、非常に抽象的でありまして、お二方の意見を聞いた後では、全く陳腐だと私自身も思うのですが、非営利法人のイメージとしては、「非営利の法人の自由な設立を認めることにより、社会を活性化させ、文化と科学の発展を図り、併せて福祉の増進を図る」というように考えておけば恐らく当たらずとも遠からずであろうと思います。
 ただ、先ほど○○さんから、最近は中間法人も除くという意見があると聞いたように思ったのですが、私はそれは全く聞いておりませんで、非営利法人というのは、中間法人と公益法人の両方を含む観念ですから、その両方を統一的に理解する。非営利法人というのはその2つを含みますから、統一的な理念をつくるとしたら、今のように整理して考えておけば、恐らく適切に議論できるのではないかと思って、ちょっと私個人の見解として披露させていただきたいと思います。

○ ありがとうございます。議論の中で、今、委員のおっしゃったような状況が出てくると必ず思いますので、ありがとうございました。
 それでは、ここでただいまの小松先生と中田先生の御説明があって、若干の応答があった後、この公益法人制度改革の意義について、既に議論いただいているわけですが、それに対して事務局から資料を若干つくっておりますので、その御説明を申し上げたいと思っております。
 それから、改革の意義につきましては、1月にお願いしております、第3回会議に民法学者の大村先生と、社会学者の佐藤先生からのお話を伺う予定でおります。
 それでは、事務局どうぞ。

● それでは、説明をさせていただきます。
 お手元の資料4でございます。「改革の意義に係る主な検討の視点」ということで、これはあくまでも委員の先生方の御議論を深めていただくきっかけとして、事務局の方でこうした点についてお話しいただいてもよろしいんではないかというものについて、気付きの点をまとめたものでございます。あくまでも参考ということで、お聞きください。
 全体の構成は4枚ございますが、最初の1、2枚が「民間非営利活動の促進」、3、4枚目が「公益法人制度の諸問題への対処」ということで、2つに分かれております。
 左側に「主な視点」、右側に「留意点」として、これまで閣議決定、あるいはそれに至る過程で行革事務局の方でとりまとめた文章がございます。そこで指摘されている点。
 あるいは、こうした改革の意義に関連して書かれた書物、例えば別途皆様に提出をさせていただいた参考資料がございますけれども、そういったものの中で指摘されている点などを簡単にまとめさせていただいたものでございます。これで十分というわけではございませんが、御参考までということであります。
 最初に「1.民間非営利活動の促進」でございますけれども、まず現状評価ということで、こういった活動をどうとらえるかと。この点については、右側でございますけれども、例えば個人の価値観が多様化し、社会のニーズが多岐にわたっていると。一方で、地域のコミュニティーの役割が低下していると。そういった中で、自発的に活動していこうという傾向がみられるのではないかという点。これが現状評価です。
 それから、では民間の非営利活動といっても、実際中身は何なんだいうことで、1つは公益的活動、あるいは共益的な活動、先ほど申し上げましたように多様な活動がある。これをどう考えていくか。
 一方で、非営利活動の実施が見えにくい。先ほど小松先生の話にもございましたけれども、一般の人々によく認知されてないのではないかと。
 次に、歴史的・社会的視点から、こういった活動がどうとらえれるのかという点もあろうかと思います。この点は、既に小松先生の方も御説明がございましたけれども、その右側の留意点はそうしたお話、あるいは関連の文献等も見まして、簡単にまとめたものでございます。
 いわゆる福祉国家化、こういったことで戦後政府の役割が拡大してきたけれども、例えば厳しい財政状況の下で、官民の役割分担を見直すといった観点から、社会を部門でとらえますと、政府部門、民間部門、その中でも営利を目的として部門もございます。そうした3つの部門が、適切な協力関係の中で役割を果たしていくべきではないかと。特にその際には、民間の非営利部門がその役割を高めてもいいんじゃないかという御指摘がございます。こうした見方をどう考えるかと。
 それから、次の点は、民法の星野先生がおっしゃっていることでございますが、いわゆる「公益国家独占主義」、何が公益であるかについては、国家が判断すると。そういう考え方を今後も取るのかどうか。
 それから、その次の○がこういった民間非営利活動の促進ということを言う場合には、恐らく今後の日本の経済社会のありようの中で、こうした活動を何らの形で位置づける必要があるのではないかと思われます。
 その参考ということで、右側の1点目、それから1枚おめくりいただいて、2点目、3点目までは、既に閣議決定で指摘させていただいている点でございます。
 1つ目は、こうした民間の非営利活動、こういったものを積極的に位置づけることによって、今後の我が国の社会が活力に満ちた社会になるんじゃないかと。
 2つ目は、こうした活動が、個人の多様なライフスタイルに応じた自己実現の機会を与えるんじゃないかという点。
 3つ目は、先ほどと重複いたしますけれども、行政部門や民間営利部門で提供することが困難なサービス、あるいは社会的ニーズに機動的かつ柔軟に対応することができるのではないかと。
 その次の点は、以前行革事務局の報告等で指摘させていただいた点でございますが、いわゆる民でできることは民でといったスローガンもございますけれども、そういった観点からこうした民間非営利活動の促進というものが小さな政府の実現にも資するんじゃないかといった点です。
 その後ろは、民間非営利活動について、その中身は公益法人的なもの、あるいはそうでないものも含まれると思いますけれども、それによって考え方も違うと存じますが、いわゆる人々の団体の活動である以上、一般の信頼関係の中で活動せざるを得ず、その延長で考えれば、そういった活動についてきちんと説明できるといった意味で、透明性が高い方がいいんじゃないか。
 あるいは、社会的に活動する以上、倫理的であることが求められるといった指摘について、どう考えるか。
 特に、非営利法人制度をつくるといった場合に、そうした非営利法人の法人像をどうとらえるかといった点から御議論をいただければと思います。
 その下の一般的な非営利法人制度創設との関係というところでございますが、この点は今日のこの場の御議論を踏まえまして、また改めて非営利法人ワーキンググループの方でも引き続いて御議論賜ればと思っておりますけれども、先ほど来御議論になっておりますような、こういった制度をつくる積極的な意義や理念は何なのか。
 それから、まさに中田先生から御指摘がありました点でございますけれども、多様なとらえ方ができる法人でございますけれども、どう考えるか。
 それから、3つ目は、これはいわゆる非営利というところで見ますと、公益性の有無に関わらず、準則で法人格が与えられるということになりますし、また営利法人も含めて考えますと、こういった一般的な非営利法人制度ができますと、広く団体が法人格を取って活動することが容易になると。こういったことをどう評価するかということ。
 また一方で、こうした非営利ということだけでもって、準則主義で法人格を取得できるようにすると、何らかの社会的な悪影響が生じないか。そういった視点がございます。
 最後の○は、こうしたいわゆる民間の非営利活動の促進といった場合に、公益法人的なものを他と区別して取り扱うことが適当かどうか。先ほど委員から御指摘がありました。
 この点は、今後年明けから3月にかけてずっと御議論いただく点だと思います。
 それから、1枚おめくりいただきまして「公益法人制度の諸問題への対処」ということで、最初の現行制度の評価と問題、それから次の見直しの視点というところにつきましては、右側にあります留意点は、これまで閣議決定等で指摘されている点を簡単にまとめさせていただいたものであります。特に目新しい点はございません。
 その下の○は、一般的な非営利法人制度創設との関係ということでございますが、少し戻りますが、見直しの視点として、右側にございますように、その方向は法人設立を簡便にすること。法人の自律性を高めること。情報開示による透明性を高めること。公益性を判断する場合には、その客観性を確保すること。法人格の取得と公益性の判断を分離すること。この1と5を取りますと、帰結として新たな一般的な非営利法人制度をつくるということになります。その点を確認したということでございます。
 その下の○は、新たな非営利法人における公益性との関係という点でございます。既に現行制度の下で、公益法人という一定の公益性を認められた法人が存在しますと。これをどのように取り扱うのかと。その際に、先ほど申し上げたような、民間非営利活動の促進、あるいは一方で行政の関与の最小化という要請がございますので、そういった視点をどう調和するのか。
 その下の点につきましては、現行は主務官庁制ということで、各主務官庁が所管の行政分野に応じて公益性を判断するという状況がございます。こういった仕組みから離れるということになると、どういった考え方を下に公益性を取り扱うのか、この辺もまた年明けから3月にかけて御議論いただくという意味で、今日は示させていただきました。
 1枚おめくりいただいて最後の点でございますけれども、現行の公益法人制度の下では、民法では具体的な記述はございませんけれども、いわゆる公益法人の指導監督基準というものがございまして、このものについては現行の制度の下での話でありますので、必ずしも新たな制度でどうなのかは、別のものとも考えられますけれども、いずれにしましても現行制度の下で何らかの公益性を判断する際の元となる考え方が含まれていると考えられます。
 こうしたものを、どのように評価するのか、足りないという見方、あるいは厳しいという見方、いろいろあろうかと存じます。
 以上でございますが、いずれにしましても冒頭申し上げましたように、あくまでも参考にすぎませんので、幅広い御議論をいただければと思います。
 説明は以上でございます。

○ ただいまの事務局の提起された検討の視点というのは、もう既に第1回から、皆さん部分部分について論議をしていただいたところなんですが、おさらいという意味で全メニューをここに提出してあるつもりでございます。
 ただ、ここでもし足りないもの、あるいはここをもう少しこういうふうに考えた方がいいのではないかというような御疑問があると思われますので、どうぞ残りの時間で、ただいまの事務局の提起した問題について、活発な御意見をいただければと思います。

○ お手元に『活力と魅力溢れる日本をめざして』という経団連のビジョンを配らせていただいておりますが、改革してどういう経済社会にするのか、どういう目的のために改革するのかということについて、経済界として、今年の1月にまとめたものでございまして、民主導自律型の経済社会をつくる、個人の力を活かす社会を実現する、公を担うという価値観が理解され、評価されるようにする、そういう社会にしていかなければいけないということをうたっており、そういう観点でこの懇談会の議論に関係のある部分だけ、若干紹介させていただきますと、今までは官がつくって、官がコントロールする公の領域が中心でしたが、これからは行政に依存しない自立した個人が専門的な知識を蓄積させて、NPO、NGOを組織しながら公を担う意欲を示すようになっていかなければいけないということでございます。
 また福祉とか教育等の分野では官よりもやはりNPO、NGOといった組織の方がニーズをつかめるということで、どんどん促進していかなければいけないということでございまして、経団連自体は、公を担う民の動きをリードするというか、やや気負ったような表現でございますが、民のために自ら社会を変えていくという意識を高めていくとしております。社会貢献や環境などの分野で今までも協力してきておりますが、これからも民間セクターのリーダーとして、コーディネーター役をつとめていきたいということでございます。
 これがビジョンでございますが、やはり公益ということで考えますと、政府はこれから公益のうちのナショナル・ミニマムというか、最低限のところをやっていき、それ以外を担うのは民間の方が多様性があると。このビジョンでも、多様性が生むダイナミズムと創造ということをキャッチフレーズにしておりますが、例えば先ほども議論がございましたが、介護だとか、福祉だとかについては、不特定少数というか、そういう形のものも公益の中にこれから入ってくるでしょうし、民がやる方がいろいろな選択肢が個人にとっても大きいと考えられます。そういう意味で民間の非営利活動、公益活動を大いに推進していく、そういうような制度づくりをここでもやっていただきたいと思っておりますし、それがややもすれば今の公益法人にはいろんな問題があるので、それに規制をかけなければいけないという指摘につながっていると思います。この問題はこの問題で、やはりきちんとした規律を求めていくべきだろうと思いますし、行政依存型の公益法人はどうするかとか、そういう観点からも考えていかなければいけないと思います。それからガバナンスの強化ということは、これは一般的にやっていかなければいけないだろうと考えます。
 ガバナンスに関しては、例えば、いろんなチェックという意味では、理事会へのアドバイザー機能としての評議員会の活用でございますとか、更に公認会計士による監査、これもお金はかかるんですけれども、やはり義務づけるとか、そういう方向が考えられるんではないかと思っております。
 それから、やはりNPOも一緒に議論していった方がよいのではないでしょうか。現実問題として新しい公益法人制度、あるいは非営利法人制度ができた場合に、これではちょっとうまく活動できないなというところが、NPO法人に移行しますとか、そういうようなことになってくる可能性もありますので、そういう意味でも非営利法人制度を検討する場合には、少なくともNPO法人は議論の対象からは外せないんじゃないかというふうに思います。

○ ですから、それはNPO法人も中間法人も議論の中に含めて、それらの整合性を取っておかないと、これだけ一生懸命やっても何もならないということは先ほどから言われているとおりです。
 ありがとうございました。ただいまの委員のお話は、今の資料4の主な検討の視点というのに抜けているところをこれから補足しろということですか。

○ 入っているのかもしれませんけれども。

○ ほとんど入っていると思いますが、ガバナンスのことだけは入ってないかもしれませんね。

○ 御参考にしていただいたらと思います。

● その点も明記はございませんが、在り方も含めて御議論いただければと思います。

○ 何ていいますか、非営利法人という制度ができると、民法からは法令用語としては公益法人という言葉はなくなるかもしれないと、私は思っていますが、もしそうだとすると、この会議で検討する問題として、ある委員は公益法人の改革ということを強くおっしゃいますし、別の委員は、非営利法人制度をまず第一に研究して、それからその中で特定の公益性の強いものを切り分けて、それを例えば課税関係で優遇するとか、そういうことになりますと、それは税制の問題ということになると思うのです。公益性の強いものを非営利法人の中から切り分ける必要が税のほかにあるかどうかを委員の方でも、あるいは事務局でもいいのですが、教えていただければと思います。税を優遇するかどうかという問題があることはわかりますが、それ以外に何か問題があるかということを少し列挙していただくと、議論がしやすいということがあるものですから。

○ 1つ入口で切り分けておくか、あるいは出口で切り分けるかということにもなりますね。

○ そういうことです。そして、私たちがここで検討していることは、非営利法人制度を公益法人制度の代わりに考えるということですので、そうすると公益法人というのは、恐らく民法の法令用語からはなくなってしまうのではないかという感じもします。 そうすると、法人税法の中でだけ公益法人等という言葉が今と同じように使われるということになるのかもしれないわけです。そういうことで、税金以外の分野で何か公益法人という非営利法人の中で特別のものを公益法人としてえり分けて、何か特別な利益を与えるとか、特別に監督をするとか、そういうことがあると、民法の中で公益法人について共通の規定をしておくことが不可欠だということになると思います。

○ 一応、私は財団法人を代表してという形で出ておりますので、申し上げますと、今、公益法人という肩書き、あるいはNPO法人もそうだと思うんですが、そういうことになっているということについて一般社会からの信頼が得られると。寄付を集めているところですと、そういうことで信頼が厚くなるという部分で具体的なメリットというのがあります。
 それから中でやっていらっしゃる方もそういうことで誇りを持って働けるという意味合いがあろうかと思います。
 今、委員のお話ですと、公益法人というのはなくなってしまうというふうなお話でございましたが。

○ それは民法の法令用語としてです。

○ というようなお話でございましたけれども、私どもの財団法人、あるいは公益法人の方々の意見としては、公益法人制度というのは何としても残したいというのが大部分の方々の希望でありまして、これはこれからの議論の中で、またいろいろ私どもそういうことを主張する背景については御説明させていただきたいというふうに考えております。

○ そうすると、非営利法人を中間法人と公益法人の2つに分けて、民法上併存させようということですか。

○ 最後の形はどうなるかは、御専門の方々の議論になると思うんですが。

○ 今までの閣議のいろんな決定などもありますので、その点については後で事務局から補足していただいた方がいいと思いますけれども、私が理解している限りでは、一応、今までの公益法人という制度を全部一旦非営利法人制度という中でもって受け止めるということだと思います。その中で公益性が明確なもの、強いものについては更に先ほど二階建てと言いましたけれども、非営利法人制度の中から、これについては公益性の要件が満たされているので、税の優遇措置も含めて、また別途扱いをするということもあり得る。そういうやり方がいいかどうかというのを、恐らくこの場では検討するんだろうと思うんです。
 今、委員が言われましたように、税の優遇措置というのは一番大きな課題でしょうけれども、例えば税の優遇措置を受けるためには、恐らくいろんな要件を満たさなければいけなくて、ガバナンスがしっかりしているとか、あるいは最後は残余財産の分配の仕方とか、いろんなものを含めて、普通の一般の非営利法人とはちょっと違った仕組みが必要かもしれない。仕組みが違うといいましても、大きな意味では全部非営利法人の中に入っていて、その非営利法人が公益性の認定を受けるためには、一定の要件を充たすことを要求し、例えばその要件を税法のレベルではなくて、非営利法人法という中で規定するということもあり得るわけですね。
 そうしますと、単なる税法上の概念ではなくて、何法というんでしょうか、税法と対立させる意味での、法人私法のレベルでの概念として公益法人というものが残る可能性はあると思います。法律的な説明としては、恐らくそういうことになるんだと思いますけれども、もしかしたら私の説明も余り正確ではないので事務局から補足してください。

● 実は、まさに委員の問題提起されたのは、議論をこれからお願いしたいと思っているところでございまして、今日、お配りした資料1の、今日の議論は改革の意義なんですが、実は2番目以降に新たな非営利法人制度における公益性という資料1の特に(1)のところです。公益性の位置づけ、非営利法人の定義とか、それから法人制度上というのは、要するに税制以外に、公益性を判断する意味合いがどういうところにあるのか、そういったものをきちんと議論していただければ、と思っておるわけで、特に事務局として、今、案があるわけではありません。

○ わかりました。

○ 大権威から基本的な問題を提起されたので、これはなかなかお答えにくいところなんですが。

○ 非営利法人という概念を入れないで、今のものを部分的に直そうじゃないかという発想もあるわけですか。

● それは、閣議決定の意味合いからしますと、準則主義でつくるということまでは、一応閣議決定をしておるわけですね。その後、公益性、いわゆる今の社団、財団の取り扱い、これからどういうふうに変えていくのか、そこら辺の話については、まさに議論をお願いしたいということでございます。

● 若干事務的な補足を短時間でさせていただきます。
 閣議決定には、一般的な非営利法人制度を創設するという項がございまして、今回の閣議決定では、法人格の取得と、公益性を分離しましょうということにしてございますのは、一般的な非営利法人制度というものを、まず御検討いただくと。
 その中には、一般的な法制度でございますので、中間法人との関係、NPOとの関係も出てまいりますが、まずは公益法人制度改革でございますので、それにつきまして御議論いただくと。
 その後の整理として、どのような法制的な整理が行われるかというのが、第2段階の課題としてあるということでございます。
 その上で、閣議決定にありますように、この非営利法人の中の公益性をどのように位置づけていくかといった課題も、また2階建ての課題としてあるということでございます。
 ということで、特別法については、一般的な法人制度との関係で、特別な関係にございますので、今回の改革では直接対象としていないという関係でございます。

○ 多少は頭の整理がされました。

○ ですから、準則主義を取った以上、2階建てを取らざるを得ないということですね。

○ それはそうですよ。

○ 2階建てを民法、ないしは非営利法人法の中で規定するのか、それともそれ以外の各個別の法の領域で規定するのかということをここで検討するのか、それともその点はもう既定の事実になっているのか。

○ いえ、その辺はこれから議論していただくということです。

○ そうですか、わかりました。

○ 関連して質問ですが、準則主義による新しい法人制度の中で、また公益性の問題を議論するということなんですが、そうすると、NPOについては、議論の過程ではいろいろ比較考量して考えるが、その制度はその制度ということなんですが。

○ 今のところはね。

○ 中間法人についてはどういう扱いなんですか。比較考量してやるけれども、それは別のものだということですかね。

○ そうです。今のところは、この会議においてはです。ですから、この会議で例えば積み残しの問題として、先送りというか、言い方はおかしいんですけれども、次にこういうことを検討してくださいという宿題を残しておくことは、私は可能ではないかと思うんですが、いかがでしょうか。

● おっしゃるとおりです。

○ そうですね。

○ 今の点に関連して、それから今日の最後のペーパーについて1点。
 中間法人に関しては、これは私の個人的な意見になるかもしれませんけれども、一般的な非営利法人制度というのをつくると、これはどうしても中間法人と抵触するというんでしょうか、オーバーラップするんですね。
 ですから、そのときにどういう形で法律として調整するかというのは、次の課題ですけれども、○○委員が言われましたように、まず一般的な非営利法人を検討すれば当然入ってきてしまうということになると思います。
 それから、今日のペーパーの方なんですが、あるいはこの会議全体の議論の仕方とも少し関連しますけれども、やはり我々が議論するときに、非営利法人というときの全体の薄まった非営利法人のことを念頭に置いて議論するのか、それからもうちょっと公益的な団体、公益法人のことを議論をしているのか、ついついいろんなことを議論していて、どっちを議論しているのか錯綜することがあるんですが、そういう意味で、今日のペーパーをもう一回さっと見ていきますと、ちょっとこれが一体どっちを念頭に置いているのかというのが気になった点は、2ページの「○ 今後の社会・経済における民間・非営利活動の位置づけ」というところのポツの2ページにわたるところだけれども、一番最後の「倫理的」という言葉が出てくる部分なんですが、これも公益法人については、それなりにそんなに違和感がないかもしれませんけれども、さっき言いましたように、一般的に公益的中身を薄めた非営利法人ということになりますと、これはどういう意味なのかというのが少し気になるんです。私が社会を勉強したときには、倫理社会というのは一番つまらない科目だったもので、ちょっと違和感を感じるんですけれども、それはともかくとして、ここで言う民間の非営利活動については、信頼を得るために、その活動の透明性を高めるとある、これは当然のことですね。その後に、その活動が倫理的であるということが求められるというのが、これが例えば活動している担い手が、例えば寄付などを勝手に私物化したり、私財としてはいけないという、そういう趣旨であれば勿論当然のことなんですけれども、そうだとすると、ちょっと違った表現が適当でしょうし、あるいは民間の非営利活動が、その社会の期待に応えるというような意味であれば、それもまた明確なんですけれども、ちょっと倫理的というのは非常に多様な意味を持つので、気をつけた方がいいかもしれないと思います。

● 実は、この指摘自体は、レスター・サラモンという民間非営利活動を国際的に研究しているアメリカの学者さんがおっしゃったのをそのまま引用させていただきました。 倫理的という言葉自体は非常にあいまいなものですから、今、おっしゃった点はそのとおりだと思います。
 むしろ、どの程度、法制化することに、例えば反社会的行為をさせないようにすると規定するかとか、そういったことにもつながると思うんですが、まさに非営利法人といった法人のイメージ像ですか、それを議論していただくきっかけにという趣旨でございます。 済みません、投げかけに終わって恐縮なんですけれども。

○ 倫理よりも、むしろ社会的公正みたいな、あるいは透明性みたいなものの方が具体的ですね。

○ そうですね。ちょっと多様性があり過ぎてわかりにくいかもしれない。

○ ということで、本当にこれは議論が尽きないんですけれども、時間をもう過ぎてしまったわけです。この辺で第2回の有識者会議は閉会になるわけでございますが、事務局の方から次回以降の予定で、今日、言い足りないと思われた方、どうぞ、次回初めから用意しておいて、早目に御発言をいただきたいと存じております。
 では、よろしく。

● 資料5、次回の日程でございます。1月23日金曜日午前中でございますが、10時から開催させていただきたいと思います。12時(p)とございますが、今日の議事を踏まえまして、12時に終わるのか、更に若干延長させていただくのか、座長と御相談の上、改めて御連絡させていただきたいと存じます。
 場所につきましては、虎ノ門の第10森ビルとございますが、別途また地図で御案内させていただきたいと存じます。
 会議内容は、公益法人制度改革の意義について、第2回目の御議論ということで、東大の民法の大村教授、それから早稲田大学の名誉教授であられる佐藤先生をお招きして御意見を伺うことと、改革の意義についてのフリートーキング、さらに時間があれば新たな非営利法人制度における公益性の位置づけといった議題を予定しているところでございます。
 以上でございます。

○ ありがとうございます。ただいまの御説明を聞きますと、次回は12時で済まないという予感がいたしますので、あらかじめそのつもりで朝飯でもたくさん召し上がってきていただくとか、御用意をいただきたいと思っております。
 大変お忙しいところありがとうございました。これで第2回の会合を終わらせていただきます。


-
もどる