1.日時:平成16年7月23日(金)10:00〜12:30
2.場所:虎ノ門第10森ビル3階会議室
3.有識者会議出席者
(座 長) 福原義春((株)資生堂名誉会長) (座長代理) 能見善久(東京大学教授)
石川睦夫((財)住友財団専務理事・事務局長)
岩原紳作(東京大学教授)
宇賀克也(東京大学教授)
勝又英子((財)日本国際交流センター常務理事・事務局長)
加藤秀樹(構想日本代表)
金子宏(東京大学名誉教授)
河野光雄(内外情報研究会会長・経済評論家)
東ヶ崎邦夫((社)日本アイソトープ協会理事・総務部長)
中田裕康(一橋大学教授)
(関幸子(株)まちづくり三鷹事業部プロジェクトグループマネジャー、田中清(社)日本経済団体連合会常務理事、田中弥生東京大学助教授は所用により欠席。)(50音順) (政府側) 松田事務局長、西室長、長屋参事官、岡本企画官、野口調査官 4.議事次第
○ 全体的討議(2)
5.議事概要
○ 全体的討議(2)
前回に引き続き、資料1「全体的討議用メモ」に沿って討議が行われた。また、事務局から、資料2「個別事項討議用メモ」について説明が行われ、これも踏まえて討議が行われた。主な意見は次のとおり。【 I 非営利法人(仮称)制度について】
- 親会議で議論されずに、非営利法人ワーキング・グループにおいて検討が進められている問題について聞きたい。非営利法人ワーキング・グループの試案では、財団で評議員会は必置とされ、基本的な意思決定を行うこととされているが、現行の評議員会はあくまで諮問機関であり、理事会の上にあるものではないと理解している。法人運営の議決権は理事会にあり、評議員会は理事会への牽制機能として理事の選任権や解任権を有すると認識している。
- これから非営利法人ワーキング・グループの試案も出てくるので、その段階で親会議として注文があれば注文をし、それを反映してもらうというのが全体の流れ。評議員会は現実問題として機能していないと思うが、今後は機能することを目指すのも一つの方向ではあると思う。
- これまでも非営利法人ワーキング・グループは親会議での意見を反映させてきたつもりであり、今後もそのつもりである。評議員会については、設立者の意思を補完するものと位置づけ、組織の大きな方向性について関与することを考えている。運営の細かい内容に関する意思決定を評議員会が行うということは考えていない。
- 非営利法人ワーキング・グループでは、主務官庁制ではなくなったことを前提に、どうすれば財団が自律的に動いていくかという視点から検討を行った。現状がこうだから、という検討ではない。
- 資料の表現ぶりが非営利法人ワーキング・グループでの検討状況を必ずしも充分に表現していないのかもしれない。言わんとすることは、寄附行為の変更あるいは理事の選任や解任、合併や解散といった大きな方向性を評議員会が扱うこととしてはどうかというものである。試案が現状と異なるのは、評議員の選任を評議員会が行うこととしており、こうした点を親会議でも議論してもらいたい。
- 非営利法人ワーキング・グループでの議論の状況は理解できたが、この点は法人のガバナンスの根幹に関わること。評議員会はあくまで諮問機関として位置づけ、組織運営について決定するのは理事会であるべき。なお、評議員の選任・解任を評議員会に委ねるというのは理事に対する監督を働かせるという方向と矛盾するのではないか。
【 II 考え方Aに基づく公益性を取扱う仕組みのあり方】
<2.公益性の判断要件のあり方>
(1)目的について
- 制度は一度出来上がると判断は現場に近い人の手に委ねられることとなり、必ずしも中身を見ることなく形式的に判断されることにもなる。これから出てくるであろう非営利法人には規模の小さなものが多いと予想されるが、そうしたところは身の周りの困っている人を助けようというレベルから始まると思う。資料には「効果が…多数に及ぶことを積極的に意図して」とあるが、これは厳密にしないほうがよいと思う。効果がオープンであれば十分だと思う。
- 共益についてはどのように考えていくべきか。
- 客観的に判断できるという観点から見て、Aの方がよいのではないか。
- Aの考え方では、いつの間にか共益的な活動が中心になってしまうこともあると思う。@の方が無難ではないか。
- 受益の及ぶ範囲については、公益的な寄与がどうなのかによる。特定範囲の者を受益者とする事業を媒介にして広く社会に利益が及ぶ場合であっても、必ずしもよいとは限らない。
- 学会や業界団体の定款は、共益的な目的が先に書いてあって、それによって学問の向上を図るといった書き振りが多い。仮に会員相互の親睦を図ることが公益性を有する法人の本来目的にならないとなれば、このような団体は公益性が認められないとなってしまうが、スピルオーバーの考え方を使うなどにより、もう少し柔軟にできないか。
- 例えば、学会は、単純に受益の効果がスピルオーバーするのではなく、会員相互の親睦と学問の向上の両方を目的としているのではないか。
- 学会とは、学問の発展を目的としており、メンバー相互の共通の利益の促進は副次的ではないか。
- 理念としては、法人の本来的目的である公益目的を実現するために必要な範囲で共益的な事業を行うことができるとするのが、根本理念としては妥当。ただし、必要な範囲の共益事業というものがあまりに大きくなると問題。事業の量的な側面に着目して捉えるとの考え方は、根本理念がきちんと守られているかを実務上チェックするための基準として意味を持ち得る。また、公正競争規約を作るなど自主規制的な活動を行う団体は多いが、このような団体を広く公益性を有する法人として扱うかどうかは難しい。自主規制が主目的であれば公益性があると考えられ、主たる目的をどちらと捉えるのかによる。
- 主たる目的として公正競争規約を作るためにお金を出し合うことは少なく、業界関係者が集まったときに、公正競争規約や業界の倫理的な枠組みを議論する委員会などを作ることが多い。
- 法人の目的が一つである必要はあるのか。例えば、信託では目的は複数認められるので、信託と同じように目的が複数あってもよいのではないか。業界団体の中には、共益目的と公益目的の両方があるが、両方は必ずしも因果関係でない。公益目的と共益目的に因果関係はなくとも、公益目的がそれなりに重みを持っていれば、公益的な団体と性格付けてもよいのではないか。
- 共益目的と公益目的との因果関係を重視するという考えを一切捨ててしまうのは問題。従たる目的ならばどのような目的でもよいというわけではない。また、共益目的と公益目的との因果関係を重視するという考えと、共益目的は従たる目的の範囲内で認められるという考えは対立するものではない。さらに、前者は裁量的で、後者が客観的であるとも言えず、両方の考えを取り込んで、前者の場合でも基準を客観化していくことが必要。
- 共益目的と公益目的との因果関係は必ずしも必要ないのではないか。本来は共益的な団体であるが、従たる目的として公益目的を掲げる団体がどんどん増加している。どのくらい共益事業を行っていれば公益的な法人としてよいのか、という技術的な問題は残る。
- 目的に重きを置くのではなく実態を把握する仕組みを考えるべき。例えば行政はすべて公益というが、農道などの農業への補助は限られた人へ税が使われている。これも一種のスピルオーバーで公益ともいえるが、公益でなく私益ということもある。公益、共益、私益は簡単に切れない。
- 目的は定款の書き方にもよる。例えば、公益事業はいくら、といった数値テストは不可能ではない。共益の扱いについては、複雑であるという認識をもって秋以降解決を図りたい。
(2)事業について
(事業列挙の適否について)
- 法律と判断主体を組み合わせてA案とB案の長所をとればよい。
- 「その他公益目的」などとして、目的は例示することは可能。しかし、事業は例えば「青少年の育成」を目的とするとスポーツクラブ事業や凧揚げ事業などありとあらゆるものが考えられるため、事業を列挙することは考えられない。
- これは判断主体の審査基準の問題でもある。
- 審査機関の構成・仕組みによって、どの程度、事業列挙するかが影響を受ける。
- 事業でなく活動分野をいくつか列挙して、バスケットクローズを加えたものを法律に規定してはどうか。
- 今のNPO法については、NPOからは狭すぎるため活動しにくいとの意見がある。
- バスケットクローズのみで何も書かないと裁量が大きくなる。公益法人協会が21事業挙げていたと思うが、いくつか書いた方が事業をはじめようとする人から見れば分かりやすい。
- どこまで法律で書き、どこから法律以下で書くのか、という話がある。
- こうした分野が認められるという内容が皆の目に止まるよう書くことが必要。
- 今回の改革は公益性を官が決めることをやめるものであり、皆の目に止まるよう定款や寄附行為に書けば足りる。
- 官の裁量で公益性判断を行うと困るので、法律で書くということ。
- 判断主体の構成が民である場合、考え方が違ってもいいのではないか。
- 確かに、ある程度は判断主体のつくり方の問題である。
- 判断の基準は法律で規定したほうが国民に対し分かりやすい。
- 事業列挙については、判断主体のあり方と併せて検討したい。
(公益的事業の割合について)
- 4ページの5行目の「基準を超える」は誤解を招くので修正すべき。
- 「判断主体が、特に合理的理由が認められると判断する場合に限り、」という表現については、判断主体の裁量を大きくしてしまうので、基準をブラックボックス化せず明確にするべき。
- 企業会計基準の採用とあるが、例えば人件費を事業費に入れたり、管理費に入れたりとばらばらであり数値が異なる。新しい会計基準が明確になってから、基準は作ればいいのではないか。
- 管理費の割合は組織の大小によって変わるものであることから、組織の大きさも勘案すべき。
- 会計基準はまだ固まっていないことから、ここでは大きな考え方として公益的事業に1/2以上支出することとしてはどうか。
- 判断主体が新しい会計基準に合うように基準をつくればよいのではないか。
(収益的事業に伴う利益の公益的事業への使用について)
- 利益の使用とあるが、これはキャッシュフローということか。実際のキャッシュフローのやりとりは例えば銀行の口座を分けないとコントロールできないのではないか。
- 特増の審査は、個別事業での収支で判断しており、非常に複雑な作業である。収益事業の指定や寄附控除の仕組みについては複雑になるおそれ。
- キャッシュフローの段階まで求めているのではなく、最終的な決算ベースの話ではないか。活動期間中のお金の流れまではここでは言っていないのではないか。
- 損益の結果だけでは、利益がどこに行ったのかをトレースすることはできない。
- 高額な役員報酬など公益事業にそぐわない形での利益の使用がないかをチェックすべきではないか。
- キャッシュフローベースまで踏み込むのは困難ではないか。
(公益的事業の営利競合等について)
- 非営利の活動はこれからマーケット・フォースの中で動いていくものが増える。従って、営利企業と競合しているからといって、公益とは認めないとはいえない状況にある。何をもって営利あるいは非営利、公益とみるか、その基準を打ち出すべき。
- 営利競合についての原則論をきちんと書いておいて、あとはこの原則に従い判断主体が判断するのだろう。
- 民間営利活動を阻害している場合は、公益的事業としては不適当だと考えられるが、本当に阻害しているかどうかは慎重に判断すべき。
- 営利競合については、市場を乱すことがよくないという視点と、その法人が本来非営利で公益性のある法人であることに反するという視点の両方から検討すべき。また、要件と結果の両方から考えるべき。要件の面では、事業の公益性の度合いはどうか、あるいは同じ市場の中で営利企業がどれだけ存在するかといったことが指標になろう。結果の面では、内部留保や役員報酬等に表れているかもしれない。一般論だけで書くのではなく、もう少し具体的に考えていく必要がある。
- 資料では、公益的な事業の列挙の問題と、営利競合の問題との関係をどのように整理しているか分からない。列挙された事業に該当しているが、同じ事業に営利企業もかなり参入し競合を生じているような場合は、公益的事業にあたらないということを書いているのか。
(← 公益的事業について、活動分野だけを列挙する場合、営利競合の要件・規律は不可欠と考えられる。また、細かいレベルまで事業体系のような形で規定すると、営利競合の規律を規定しないでも、ある程度担保できるかもしれない。バランスの問題ではないか。)- 公益的事業の列挙で細かいところまで書き切らない場合に、営利競合をどのように扱うか。営利競合の生じた事業は、列挙した公益的事業から外していくことになるのではないか。
- 公益的事業の領域を列挙する場合、営利企業と競合するという理由で公益的事業の領域から落とすものはないだろう。営利との競合は個別の事業のレベルで判断すべき問題であり、事業領域の列挙には影響しない。
- そのように考えると、事業の領域を抽象的にしか規定せず、従って事業の性格からは公益性を有する法人に該当しないことはほとんどないということにならないか。
- 事業の性格から公益性を有する法人になれるかどうかを判断することは本当は適当ではないと思う。事業の目的から判断するのではなく、例えば、鉄道事業は、事業のレベルでは営利企業が行ったほうがよいということなのかもしれないが、多数の人のために公共の交通手段を提供するというように、抽象度を高めると、それは領域の問題としては、それ自体は公益であって、そこに営利企業が参入することは構わない、だけど公益は公益ということだろう。
- ここで議論しているのはいろんな意味での国家的優遇措置を受けられるタイプの法人を選べるようにするということではないか。それゆえ優遇に値する法人でないと困るところがあるのではないか。事業は、例えば青少年の育成というように抽象的に記述するだけでなく、具体的にこういう事業であれば公益性を有する法人として優遇を受けられるということを選べるように、事業を具体的に列挙するのではないか。そう理解するから、例えばゴルフ場の運営など、かつては公益的事業であったが、時代の変化により現時点では公益性を認められない事業も出てくるのではないか。公益性を失った事業があれば、事業の列挙を見直すという構造になっているのではないか。
- ゴルフ場など具体的な事業を最初の段階で列挙する必要はないのではないか。
- 大規模でない市町村の予算書でも3,000項目ぐらいの項目が記載されているが、それを見ても中小企業の事業振興だとか、青少年育成事業だとか、抽象的に記述されている。事業を具体的に記述することは難しい。
- そうだとすると、むしろ営利企業が数多く参入してきていること自体が営利競合の客観的基準となるのではないか。営利企業の参入の多い分野の事業を行う法人が、公益性を有する法人として扱われることが妥当かどうかという観点から考えるべきではないか。
- 公益性を有する非営利法人である以上、公益的事業でない事業については何をしてもよいということにはならない。公益的事業以外でも事業を何らかの形で制限すべき。
- 収益的事業は公益的事業と無関係なものでもよいのか。専ら収益をあげるための活動でもよいのか。
(← 資料では、利益を公益的事業に使うのであれば許容されるという現行の指導監督基準の考え方を基本としている。)- 収益的な事業は課税されるのであろうが、課税されるからといって普通の民間企業が行っている事業分野にどんどん入っていってよいのか。収益的な事業にも何らかの限定が必要ではないか。
(← 公益的事業の規模は、総支出額の2分の1以上でなければならないとする場合、残りの2分の1は共益的事業か収益的事業ということになり、いずれも2分の1を超えることはできないという制約がある。)- 2つの問題があるのではないか。収益的なところに課税することにより本当に平等な競争条件が保てるのか、ということが1つ。もう1つは、政府から優遇を受ける公益的な法人が、違法ではないが社会的に好ましくないとみられる収益的活動を行う場合のレピュテーション・リスクをどうみるか、という問題がある。
(3)規律について
(役員構成について)
- 企業が作る助成財団があるが、現行制度では企業に直接関わっている人の役員就任を制限しているが、欧米の財団では、金を出す企業の役員、株主、従業員が構成員になってよいということになっており、これに有識者が加わっている。今後、企業の社会貢献を活発化するときに、企業としての意思を尊重するために構成員の中に企業の関係者を入れてよいのではないか。ただし、一定の制限は必要。
- 企業財団の場合、企業関係者だけで役員を占めてよいのか。何らかの制限をしないと、外部の有識者の入る余地がなくなってしまう。
- 現行の指導監督基準の3分の1という制限は妥当ではないか。
- 理事が3分の1以下、財団の評議員は実質的に支配しない程度ということで半分以下という現行の基準通りでよいのではないか。
(役員報酬等について)
- 報酬を開示すれば実質的にはかなり厳しい規制になるので、基準は定めなくてもよいのではないか。
- 不当な額というのは割合などで簡単に決められない。抽象的な規定で制限し、開示で補うというのが良いのではないか。
- 仮に理事の責任について、無報酬の理事にあまり責任を負わせるべきではないとするのであれば、理事ごとに報酬の有無、報酬額を開示したらよいのではないか。
- 実質的な利益分配を禁止するために、役員報酬を制限することは必要だろう。客観的基準を作ることは難しいが、税法の同族会社の否認の基準が参考になるのではないか。
- 抽象的に「不当に高額な」と一言書いておくべき。その上で、人数と総額あるいは規模との関係、常勤・非常勤の別、報酬の有無の別など具体的に何を開示したらよいか、開示の効果も考えた上で検討する必要がある。
- 「不当」というのは社会通念からして不当というのもあるのだろうし、法人の規模からして不当という考え方もあるのだろう。
- 法人税法では「不相当に高額」という言葉が使われている。不相当かどうかは規模や業務内容等から判断されており、これが参考になるのではないか。
(残余財産の帰属について)
- 残余財産を構成員に帰属させるべきではない。そうしないと、寄附金が非営利法人の構成員のものになるおそれが生じ、寄附のインセンティブを削ぐ。また、税制優遇措置の効果があった財産について構成員に帰属させるというのは、国民感情も納得しない。残余財産の帰属制限は、非営利法人が定款で定めるだけでは足りず、法令上で明示的にして、帰属させないという類型を一般の非営利法人についても設けておくのが有効ではないか。
- 公益的活動のために当初拠出された財産を拠出者に返還するのは認めるが、構成員以外から寄附された財産まで構成員に帰属させることを考えているわけではない。但し、残余財産のうち拠出見合い分と寄附見合い分とを切り分けるのが難しい。不動産の現物拠出であれば切分けが容易だが。当初に拠出された分が拠出者に戻されるのは公益とは矛盾しないと考えるが、仮に残余財産の分配を禁止する場合は、公益性を認められなくなり一般の非営利法人に戻った際に構成員に帰属させるべきではない。拠出された財産を公益目的に使用されるべき一種の信託財産と考え、法人は公益性を失った後も受託者として拘束を受ける、ということがその根拠になるだろう。一般の非営利法人について別類型を設けるべきという意見については、そのような類型は、公益性を認められなくなり一般の非営利法人に戻った際の受け皿として機能しうるが、当該意見の狙いはそこなのか、それとも寄附を集めやすくするのが狙いなのかどうか、よく分からないところがある。
- 調達した資金をいつか返還するのなら、それは寄附ではなく債権。だが、非営利法人が存続する限り債権のままにしておくのか。
- 拠出型の一般の非営利法人は、個人からの小口の資金を調達しやすくすることを想定しているので、法人からの資金調達と違い、寄附なのか債権なのかということをそれほど気にする必要はない。拠出された財産の性格は劣後債であって、配当は無いものの、出資的な性格が皆無ではない。
- 公益的活動のために拠出したのだから、構成員に帰属させないうえ、その他の拠出者に対しても返還しない、という考え方もありえるのではないか。
- 公益性を有する非営利法人については、残余財産の分配は不可とすべき。
- 債権や出資ではなく、期限(条件)付きの贈与といった形にすることについては、民法上は議論があるが、信託制度でこれを実現している。
- 現在の公益法人制度は、出捐された財産の返還は法文解釈上可能だと考えるが、運用上はそうなっていないのが現状。柔軟な運用を認めてもよいと考える。多様な公益活動の進め方を確保するために、いわゆる拠出型も寄附型も共に残した方がよい。
(文責:内閣官房公益法人制度改革推進担当)